去年いただいた皇帝ダリアが今年も大きな花をつけています。去年の冬、何節か残して切った茎を土に埋没しました。その茎から芽が出て、下のように花を咲かせました。皇帝ダリアは種はできないようですが、茎を切って増やすのは容易なようです。
去年埋めた茎から育った皇帝ダリア
皇帝ダリアを去年と今年育ててみて、その特徴に気が付きました。まず長所ですが、虫に食われることがなく、また病気にもならないほど丈夫です。短所ですが、背が高くて他の花などと離さなければなりません。また、背が高いため台風時に何本かが倒れたり折れてしまいました。そして、花期が晩秋だけで、しかも短いのが欠点でしょうか。今年も、何節かの茎を適度な場所に埋めてみようと思います。
皇帝ダリアの大柄の花びら たくさん咲いた皇帝ダリア
つい数日前まで、紅葉していたモミジがバラバラと落ち始めました。モミジの下はちょうど我家の道が通っています。そのため、その道が紅葉したモミジで敷き詰められました。踏みながら通るのがはばかれるほど綺麗です。
落葉したモミジで敷き詰められた我家の道
落葉したモミジが、舗装が見えないほど積もっています。モミジの葉をよく見ると、一枚一枚色が違っていることに気が付きます。すべて紅葉しているのかと思いきや、紅い葉、黄色い葉、紅と黄色が混ざった葉などです。これらの落ち葉、今は濡れていますが、乾いてくると、風でどこかに飛んでいきます。そして、元のように何もない道路に帰ります。紅葉した道路は、今だけの現象なのです。
隙間がないほど降り積もる 一枚一枚色が違う落ち葉
先日、田布施町郷土館で真空管関連の講演会やレコードコンサートを開催しました。その司会進行時間を知るための掛け時計を事前に修理しました。真空管全盛時代の振り子時計なのですが、最近時間が遅れて仕方ありませんでした。故障です。そのため、その時計を分解して講演会前に修理したのです。
時計の顔である表示板を外す ギヤなど、故障個所を調査
まずは、時計の顔である表示板を外しました。時計を分解・調査の結果、振り子の動きをカムに伝える箇所が固着気味になっていました。長い間に油が固着したのでしょう。油分を取るスプレーをかけて、乾いた布でふき取っておきました。すると、カムの部分が正常に動くようになりました。この修理のおかげで、講演会のタイムキープをスムーズに行うことができました。真空管の時代に存在した古い時計です。真空管とお似合いの柱時計なのです。
真空管と同時代にあった古い掛け時計
先日平生町に住むTさんから、平生小学校脇を流れる小川の傍に生える木の伐採を頼まれました。その木は、枝がすでに切られたおり枯れているようでした。しかし、小川側に傾いており、伐採せず放置したままにしておくと、いつかは小川側に倒れて小学校脇のフェンスを直撃します。
伐採に使用したチェーンソー 伐採し小川に落ちかけた木を移動
伐採した木は、それほど幹が太くないので切るのは難しくありません。しかし、一番困ったのは、小学校側のしかも小川側に大きく傾いているためチェーンソーを当てにくいことです。小学校側に倒れないように、鎖付きラチェットで強く引っ張りました。伐採した瞬間、小川に落ちるかと思いましたが、寸前のところで耐えました。小川の底に落ちなくて良かったです。落ちかけた木をみんなで引っ張り移動しました。お疲れ様でした。お役に立てて良かったです。
伐採し小川に落ちかけた1本、そして事前に伐採した1本
我家のモミジが紅葉しています。年に一度、燃えるように赤くなります。夕日が当たる頃、夕日の赤でモミジの赤で協調されるのでとても見ごたえがあります。でも、数日後には、パラパラと葉が落ちて、今度は道が赤くなります。
燃えるように紅い、夕日に照らされた我家のモミジ
ところで、冬が近づいた今、畑の一角でたき火を始めました。暖を取るためではなく、草刈りや木の伐採で出た枝などを燃やすのです。いつものように、紙に火をつけ、その上に枯れ枝を置くなどして、だんだん火を大きくします。そして、最後に伐採した木の幹などを燃やします。3月頃まで数日おきに燃やします。
紙を燃やし、細い枝を燃やす 太い枝を入れて燃やす
先日、枝豆の収穫をしました。そして、それが終わると小麦の種まきをしました。天候が良かったため、作業していると軽く汗が出てきます。
枝豆の収穫を終わり、小麦の種まき
小麦の種まきが終わると、収穫した枝豆を食べました。食べた枝豆は、鞍掛豆と呼ばれ、最近はパンダ豆と呼ばれています。鞘の色がやや黒いのですが、とても美味しい枝豆です。乾いた豆を浸して食べることもできます。そのため、浸し豆とも呼ばれています。
まいた小麦に土寄せ 美味しい枝豆をほおばる
23日、第2回目の真空管関連オーディオの講演会が終わりました。第1回目と比べて、祝日のこともあって約2倍の方がお見えになりました。駐車場の混み具合もぎりぎりセーフでした。真空管を利用したラジオやアンプを組み立てたことがある年配の方が、一番多く来られたように思います。今回の講演会でも、真空管に関して質問された方や、古いラジオの真空管を舐めるように覘き込む方が少なくありませんでした。
いつもより混んだ駐車場 郷土館の立て看板 開始15分前の会場
古い柱時計の午後1時の音を合図に講演会を始めました。第1回と同じように、最初の20分位は、電気,通信,そして真空管などの講演をしました。その後は、手回し式蓄音機と電気式蓄音機でLP盤のレコードを鑑賞しました。その次は、小学校唱歌,JAZZ,ポップス,和楽器の曲,そして昭和の歌謡曲などを鑑賞しました。そして、最後に映像を見ながらのクラシック曲を鑑賞しました。映像と曲がほぼ同時に終わったのでで一安心しました。終わった直後にいっせいに拍手が出たので、とても嬉しかったです。
明日から東京に出張です。少年少女発明クラブの全国会議やそれに関わるコンテストなどがあります。29日に山口に戻ります。以降やっと、やり残してきた山の下草刈りやシイタケ用の木を伐採するなどの農作業ができそうです。
真空管関連講演会や真空管アンプによるレコード鑑賞に来られた方々
妙福寺を出ると、元来た道を戻りました。そして、潤田の荒神様に行きました。かつては荒神様の祠前は広場だったのではないでしょうか。その広場で盆踊りなどが開催されていたのに違いありません。その広場に、今の集会所が建てられたのではないでしょうか。大師堂や祠前の広場に集会所が建てられた例が少なくありませんので。
荒神様前の集会所 潤田荒神様の祠 西山まで大きく道を迂回
潤田荒神様の次に西山地区に向かうことにしました。しかし、下見の時に通ることができた道がすっかり変わっていました。道が寸断されていたのです。そのため、やむなく道を大きく迂回して西山地区にいきました。潤田地区は今、圃場整備で工事車両がたくさん行き来しています。数年後、潤田地区は道などがすっかり変わっていることでしょう。
しんま地蔵菩薩を拝む 後西山集会所内でお昼休憩
西山地区に着くと、しんま地蔵菩薩のお地蔵様を拝みました。私は、少ないながらお賽銭を入れました。次に、後西山の集会所でお昼休憩を取りました。集会所をお借りいただくことができて、後西山の方々や手配してくれたウォーキング仲間のM君に感謝します。
今回のウォーキング参加者、後西山集会所前で
後西山集会所を出ると、すぐ近くの千手観音菩薩と荒神社を訪れました。両者共によく手入れがされていました。後西山の方々が毎日のように掃除されているのではないかと思います。また、近くの畑にはいろいろな野菜や花が見事に育てられています。園芸が好きな方が後西山には多く住んでおられるのでしょう。
千手観音菩薩 荒神社の祠と鳥居 前西山に向かう
ちなみに荒神社の石鳥居に「安永4年・・・・」と刻まれていました。今から240年前の1776年に建立されたことが分かります。つまり、240年前にこれだけの鳥居を作ることができる集落があったことが分かります。江戸時代の絵図には、西山村と記載されています。
今回歩いた、田布施町城南の原,潤田,西山,大田のコース
これまでの小年少女発明クラブの活動は、田布施西小学校でした。今月は田布施中学校で、10日ほど前に科学に関する勉強をしました。今回は、大気圧についての勉強です。小学生、特に3年生には難しかったかもしれません。しかし、理屈抜きで、このような力があることを知ることは、とても良い勉強になったと思います。
半透明硬質ビニールを加工 コップにピタリと付ける コップが持ち上がる
最初の実験は、ハサミで切り抜いた硬質ビニールをピタリとコップの淵に付けます。そして、硬質ビニールを持ち上げると、吸い付くようにコップが持ち上がるのです。続いて、コップの中にどの位の重さのものを入れて持ち上がるかを実験します。班ごとに、ビー玉,乾電池,水などを入れて実験しました。みんなの中で、一番重かったのは400g位でした。
持ち上がった重さを測りで測定
続いて、同じ大気圧の実験ですが、今度はガスバーナーなどの器具を使います。ここで初めて知ったのですが、今の学校ではアルコールランプを使わないのですね。アルコールが液体のため扱いが小学生には難しいからでしょうか。いつからアルコールランプが廃止されたのでしょうか。そのうち、バスバーナーも危ないとのことで、いつの日にか電熱器になるのでしょうか。
使ったガスバーナー 空き缶に水を入れ加熱 蓋をして水で冷やす
さて、空き缶に適度な水を入れて、ガスバーナーで加熱して沸騰させます。そして、その空き缶に蓋をします。その直後、水を入れた桶にその空き缶を入れます。すると、冷やされて空き缶がペコペコ音をたてながら窪んで、ついにはぺったんこに潰れます。これは真空状態になった空き缶が大気圧で潰される実験です。子供達には、その力の強さが分かったのでないでしょうか。
音をたてて潰れていく空き缶 最後に実験器具の片付け
天候が心配でしたが、20日、田布施町城南の潤田,西山,大田の史跡を巡るウォーキングをしました。潤田は、もともと9月のウォーキング時に訪れる予定でした。しかし、途中で雨が降り出してきたため、今回のウオーキングまで延期しました。いつものように10時に集合しました。今回は城南公民館に集合です。10時5分にスタートして、最初は原地区に向かいました。
集合した城南公民館 原地区のお地蔵様 道脇の小さなお地蔵様
原地区に入ると、原集会所近くのお地蔵様を見学しました。続いて県道すぐ近くに安置された小さなお地蔵様を見ました。そして、しばらく岩田方面に向かって県道を歩きました。山陽本線下のトンネルをくぐって潤田地区に入りました。潤田地区に入ってすぐ、幼児が道端で遊んでいました。その幼児達とお母さんに声をかけ、ゆるい上り坂を道をどんどん進みました。
幼児達とお母さんに声かけ 妙福寺に向かう静かな林
潤田から脇道に入り、潤田と三輪の境界の道を進みました。途中、静かな林の中を進みました。林にはしいたけのほだ木が何本も置かれていました。どのほだ木にもしいたけが生えていました。今は秋のしいたけ収穫時期です。林をしばらく進むと、妙福寺が見えてきました。
御磨きのため門徒さんが大勢集まっていた妙福寺
妙福寺に着くと、たくさん方が来ていました。ご住職にお聞きすると、今日は御磨きの日とのことでした。お寺の仏様などを綺麗にするために門徒の方々が集まっていたのです。その御磨きが終わった中、本堂を見学させていただきました。
妙福寺本堂 正泉寺先代ご住職書の襖絵 潤田の荒神様に向かう
光泉寺からこのお寺に嫁に来られた90歳代のお方より、正泉寺の先代ご住職が描かれた襖絵を見せていただきました。光泉寺と正泉寺は先月訪問したばかりです。その時、正泉寺の現ご住職から、先代ご住職が若い頃に画家を志していたとのことを聴きました。これらのお話しの奇遇さに驚きました。妙福寺でお接待をいただきました。そのお接待、昼食休憩時にみなさんと分け合いました。ありがとうございました。
今回歩いた、田布施町城南の原,潤田,西山,大田のコース
第1回目の真空管関連オーディオ講演会及び視聴会が終わりました。夕方6時から2時間の講演会です。郷土館が始まって以来の夕方開催です。夕方開催で、いろいろ不備が見つかりました。一つは、駐車場から玄関までが真っ暗なのです。誘導灯を置けば良かったと反省しました。玄関にも明かりが無かったため、これまた反省事項です。講演そのものは台本のとおり進行することができました。
開演15分前、少しずつ人が増える 最初、真空管についての講話
午後6時、柱時計が時刻を告げると講演会スタートです。最初の25分は真空管や電気通信の歴史についての講話です。それが終わると、視聴していただきながらオーディオの歴史についてお話ししました。手回し式蓄音機から、電気式蓄音機へ、そして現代のプレーヤーへの進歩。SP盤からEP盤へ、そしてLP盤への進歩。回転数が78から45へ、そして33への進歩。そしてモノラルからステレオへの進歩などをお話ししながら聞いていただきました。音楽も、童謡、唱歌、JAZZ,ポップ,グループサウンド,そして演歌などを視聴していただきました。最後は、映像を見ながらクラシックを聴いていただきました。
あっと言う間の2時間でした。郷土館にこられた方々、来館ありがとうございました。次回は23日午後1時に開催します。今回より人が多くなると予想されます。多めに椅子を用意するなど準備しようと思います。
真空管アンプを通してレコードを視聴
19日と23日の、真空管関連オーディオ講演会の準備がようやく終わりました。講話する真空管関連の内容、手回し式蓄音機、電気式蓄音機、各種真空管アンプ、もしもし電話の使い方、そして、流す音楽の順番などを簡単ですが台本としてまとめました。
視聴レコードを並べる プロジェクターを用意 スクリーンを設置
講演会は2時間を予定しています。そのため、その2時間の割り振りを分単位で決めました。ざっと次のとおりです。最初20分は電気通信と真空管開発の歴史を話します。続く5分は田布施町の明治大正時代の通信事情、そして郷土館の現建物である電報電話局の歴史を話します。次に、レコードの歴史を中心にいろいろな音楽を視聴していただきます。手始めに戦前の手回し式蓄音機、続いて電気式蓄音機を披露します。
流す音楽と映像の同期が合うかチェック
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続いて,文部省が子供達に聞かせるよう勧めた音楽,西洋のポップス,琴に代表される伝統的な日本音楽を順に流します。途中、ステレオチェック用のレコードを流します。続いて、昭和30年~の歌謡曲を視聴していただきます。曲が長くならないように、各曲1小節だけを流そうと思っています。
田布施町ジオラマを移動 電気式蓄音機の調整中 もしもし電話の操作
懐かしい歌謡曲が終わる頃、1時間40分位経過している予定です。最後はクラシックです。20分ほど、ビバルディ作曲の「四季」を流します。全曲は長いので、秋と冬を流すつもりです。クラシックが苦手の方のために映像も同時に流します。そのため、プロジェクターとスクリーンを用意しました。
真空管元祖と言われるエジソン電球 レコード演奏に使う真空管(2A3)アンプ
映像は、私が東京八王子市に住んでいた頃に撮影した画像や動画を編集したものです。里山の田んぼを中心に、その四季を映像にしました。近くの小学校の米作り体験(総合学習)のお世話をしていた時のものや、中学,高校,大学のゼミのお世話をしていた時のものです。クラシックの演奏時間に合わせて編集しました。パソコンで編集するのですが、これが一番疲れました。たくさんある真空管機器の移動も疲れました。なお、最新のBluetooth機器も紹介程度に使ってみようと思います。
珍しく5紙もの新聞に紹介されたので、どの位の方が来館されるのか全く見当がつきません。来館される方が少なかったらどうしようかとか、椅子が足りなかったらどうしようか、などと今から心配の種がつきません。どうなることやら。
椅子、真空管アンプ、映像装置などの設置が完了
大田地区の丘の上にある虚空堂に着きました。虚空堂は今、大田地区の集会所としても使われています。虚空堂は防陽八十八ヶ所霊場の第三十七番札所です。今、札所を思わせるようなものは見当たりません。わずかに、虚空堂傍に八十八ものお地蔵様が安置されています。かつては、巡礼などで虚空堂にお参りする方が多かったのではないでしょうか。
防陽八十八ヶ所霊場の第三十七番札所 虚空堂
虚空堂を出ると、丘伝いに狭い林の中を歩きました。しばらく歩いていると、見通しがよくなりました。そして、たくさんのビニールハウスが見えてきました。ハウスの中ではイチゴが栽培されているようでした。ここは観光農園ファームランドです。たまたま、オーナーがおられたので、遺跡などについて少しばかりお話をしました。そして、古い石や耕耘機のエンジンで作った手作り車などを見せていただきました。
観光農園ファームランド 疫神社の祠 粟島神社のお社
観光農園ファームランドを出ると、疫神社に行きました。続いて、蓮池寺(通称:池寺)に行こうか迷いましたが、あまり通らないコースを歩くことにしました。そのコース最初、粟島神社に行きました。ふだん気が付かない山道を登っていくと、そのお社がありました。その直下に地区の集会所がありました。
お地蔵様 何かのお堂 蓮成寺に到着
いったん山道を降りて、少し歩きました。そして、お地蔵様正面の脇道を上に登って不思議なお堂に行きました。かつて安置されいていたであろう仏像はありませんでした。その横には滝行をする跡がありました。
下見に同行したメンバー、左から三番目T君 撮影Eさん
続いて、防陽八十八ヶ所霊場第三十八番札所の蓮成寺に行きました。そのお寺は何度か来たことがあるため、ざって見るだけにしようと思っていました。すると、下見に同行した友達が、T君と、そのお姉さんがいることに気が付きました。T君は蓮成寺の次男で中学高校の同級生です。少しばかりT君と談笑しました。
山陽本線の踏切 木の陰にある石碑 石碑傍にある地蔵様
蓮成寺を出ると、スタート地点の城南公民館に向かいました。途中山陽本線の踏切を渡りました。そして、田布施川を渡る橋近くに置かれた石碑やその隣に安置されたお地蔵様を見学しました。そして、城南公民館に着くと、中に入って休憩をとりました。下見に参加された方々、お疲れ様でした。特に城南の潤田,西山,大田を道案内してくれた、M君K君ありがとうございました。
20日の本番ウォーキングでもよろしくお願いいたします。
下見で歩いた、田布施町城南の潤田,西山.大田方面コース
12月郷土館で、田布施町四ヵ所の田んぼの古代米の写真展示が行われます。展示に先だって、表彰対象の古代米アート写真の選出がありました。郷土館に何人かが集まって選出しました。私も選出員の一人として加わりました。
最も多くの選出紙を集めた写真が表彰対象
最初に最も良い古代米アート写真を決めました。選出方法は次のとおりです。各選出委員は、同数の選出紙を渡されます。各委員は自分が良いと思う写真の上に選出紙を置いて回ります。そして、最も多くの選出紙を集めた写真が表彰対象となるのです。
選出用紙を写真上に置く 選出された写真の確認 表彰写真をボードに貼る
最優秀写真、準優秀写真などを決めると、次に四ヵ所の田んぼ別に表彰対象の写真を決めました。決め方は同じ方法です。各田んぼ別に委員が良いと思う写真上に選出紙を置いていきます。良い写真ばかりです。私も写真を出しましたが、残念ながら選出されませんでした。来年はぜひ頑張って良い写真を提出しようと思います。
四ヵ所の田んぼ別表彰写真を選出
西山の荒神様を見学しおわると、次に西山院寮に向かいました。院寮は、稱名院に続く防陽八十八ヶ所霊場三十六番札所です。50年ほど前まで、ご住職夫婦が住んでおられたそうです。そして、小さなお店もしていたそうです。今は無人の寮ですが、当時、この寮を中心に前西山は賑やかだったのでしょう。
今は無人の西山院寮、かつてはご住職夫婦が在住
西山院寮の南側に傷んだ小屋のような建物があります。西山院寮よりも傷んでいます。窓ガラスが割れていました。屋根も崩れかけています。この建物は何なのでしょう。建て替える前の古い院寮なのでしょうか。地元の方も知らないようでした。いずれ朽ちて崩れるのではないかと思います。
西山院庵より傷んだ小屋 手入れされた西山院庵 前西山のお地蔵様
石山院庵を出ると、前西山の通りにお地蔵様がありました。比較的綺麗に維持されていますので、地元の方が綺麗に手入れているのではないかと思います。前西山の道をどんどん西に向かいました。うら寂しい道が続きます。そして,大田に入る幹道に入りました。しばらく歩くと、大田地区の広々として田んぼが見えてきました。収穫前の田んぼかと思っていたら、刈り取り後に生えたひこばえのお米が実っていました。
大田地区の田んぼ、稲刈り跡に生えたひこばえ
大田地区の田んぼを歩いていると、川で何かしている地元の方々がいました。測量をしているようでした。川の工事をするのでしょうか。しばらく大田の道を歩いて、山の急斜面を登りました。虚空堂に最短で行ける山道のようでした。急な道を歩いていると、窯のようなものがありましとた。お聞きすると、竹炭を作る窯とのこと。しかし、窯で竹炭を作っていた方が亡くなってからは、この窯が使われることはないとのこと。
川を測量している方々 急な斜面の道を登る 今は誰も使わない竹炭の窯