戸仲自治会館を出ると、ぽかぽか暖かい日差しを浴びながら戸仲漁港に向かいました。漁港にはたくさんの船が横付けされていました。魚を水揚げする建物には、アジだと思われる魚が開いて干してありました。その近くにお社がありました。恵比寿社です。恵比寿社のお社には祠が三つ安置されていました。左端は恵比寿社なのですが、残り二つは分かりませんでした。おそらく、荒神社か、地鎮様か、明神様か、天王社などのどれかだと思われます。続いて、スポーツ交流村とヨットハーバーに向かいました。
戸仲漁港に向かって鎮座する恵比寿社
恵比寿社から少し歩くと、ビオラや三色すみれがたくさん咲いた花壇のある公園がありました。花壇は屋根瓦で縁取りしてありました。屋根瓦も組み合わせると素敵な花壇の縁取りとして使えるのですね。その公園から少し歩いたと所にスポーツ交流村がありました。この施設はヨットハーバーと関係しているのでしょうか。海洋スポーツ選手が宿泊できる施設なのでしょう。
恵比寿社の三つの祠 屋根瓦縁取りの花壇 スポーツ交流村の施設
平日だったためかスポーツ交流村はとても静かでした。芝生を囲むように長椅子があったため、座って水分補給など小休止しました。休憩が終わると、近くを流れる川を上流に向かって歩きました。しばらく歩くと橋がありました。その橋を渡ったすぐの箇所の三体のお地蔵様が安置されていました。立像のお地蔵様5、座ったお地蔵様6、後光が射したお地蔵様7です。
三体のお地蔵様5,6,7 トトロと猫バスの総合福祉センター
橋を渡ってそのまま川の上流に向かいました。しばらく歩くと、車がたくさん走る国道188線に出ました。国道を田布施方面に向かって歩くと、右手に総合福祉センターがありました。その建物の入口でしょうか、大きなトトロ像と猫バス像が置いてありました。トトロに触ってみると、毛は松の枯葉で作られていました。猫バスは子供達が乗れるようにドアがありました。
石垣が立派な光立寺 お地蔵様8,9,10,11 お地蔵様向かいの祠
総合福祉センターのトトロと猫バスを見終わると、アルク前を通って光立寺に向かいました。時間が無かったため寺の場所を確認して冠八幡宮に向かいました。その途中、素敵な四体のお地蔵様8,9,10.11に出会いました。お大師様,地蔵菩薩(二体),そして阿弥陀様です。このお地蔵様の素晴らしい所は、お地蔵様の名前,由来,そして安置年がちゃんと書かれていることです。お地蔵様の管理はこうありたいものです。これらのお地蔵様の向かい側に祠がありました。続いて、岡庄自治会館横を通って冠八幡宮に向かいました。
戸仲,冠梅園周辺の史跡調査で歩いたルート
笹を使った六目籠を作っていますが、皮剥ぎに四苦八苦しています。一番苦労しているのは、こぶのように固い節の部分です。乗り越えるように皮を剥げないことです。薄く剥いだ節が折れてしまうのです。竹の方が楽に節を剥げるような気がします。笹の種類が良くないことは明らかです。それでも何度か剥いでいると、うまく節を剥げることがあります。そんなこんなで、皮を剥ぎ終わったので六目を編んでみました。籠を完成できるかどうか。
笹を割った後、鉈で皮を薄く剥ぐ
皮を剥いでいる時、大失敗をしました。鉈を持っている右手の指を切ってしまったのです。節を乗り越えようと力を入れて、スッと鉈が入った瞬間に剥いだ皮が指に当たりました。薄い皮が剃刀のように指を削いでしまいました。すぐに手当てしましたが、久しぶりに出血しました。ところで、剥ぎ終わった笹の皮を見ると、繊維のほつれがたくさん出ていました。竹の場合、こんなにたくさんのほつれは出ません。
皮を剥ぐ前の笹 笹の皮を次々に剥ぐ たくさんの繊維のほつれ
なんとか皮を剥いで笹ひごを作ったので、六目を編んでみました。六目の編み方は知っています。テーブルに笹ひごを一本ずつ置きながら、六目を編んでいきました。充分な薄さに剥げなかったので、大きめの六目になりました。この目の大きさだと果物籠になりそうです。さあて、籠はできるでしょうか。
笹ひごを置きながら六目を編む 笹ひごを六目に編み込む
先日、アケビの苗を育てようと苗箱に種まきしました。実ではなく蔓を収穫するのが目的です。ちなみに、実を収穫できるようになるまで4~5年かかるそうです。もっと早く蔓や実を収穫できる方法はないか思案していると、我家の山にもアケビが生えていることに気が付きました。種から育てるより、蔓を切って挿し木で育てられないでしょうか。さっそく、山に行ってアケビの太い蔓を見つけました。そして、先端の方を切り出しました。もうすぐ春なので、小さな芽が付いていました。
山から切り出したアケビの蔓
アケビを育てたことがないので、今が挿し木に適している時期かも分かりません。節らしき箇所を2~3残すようにして切断しました。そして、先端の方を地表に出すようにして土に埋めました。埋めた後、ジョロで周りに水をまいておきました。この方法で芽が出てくれるならば、種まきより簡単にアケビを増やすことができます。春先に芽が出てくれるでしょうか。
アケビの太い蔓、先端を取る 支柱の下にアケビを埋める
このところ、三寒四温で少しずつ暖かくなりました。光市の冠梅園の梅は見ごろのようです。駐車場は満杯で入れないとか。一週間ほど前、冠梅園を歩いた時はまだ寒さが続いていました。梅は一部しか咲いていませんでした。そのため、梅を鑑賞する人も少なくテーブルやイスは座り放題でした。さて、今回は戸仲地区にあるはずの戸仲大師堂(防陽霊場札所)を探すため歩きました。しかし、見つかりませんでした。歩き方が足りなかったのかも知れません。
秩父宮殿下が宿泊した家、塀のレンガ模様がナイス
車を西ノ庄に置いて、最初室積海岸が広がる松原地区を歩きました。砂浜に平行に走る古道をのんびり歩きました。歩き始めてすぐ、松原の松の幹にに何本もの瓶が刺さっていることに気が付きました。松脂を取るためなのか、栄養剤注入か、または殺虫剤注入か分かりませんでした。たまたま、その松の幹下でその瓶を交換している方がいることに気が付きました。お聞きすると、殺虫剤とのことでした。初めて知りました。
幹に刺さる瓶 道脇のお地蔵様1 墓所のお地蔵様2
松林が見えなくなった頃、ブロック塀に囲まれたお地蔵様1がありました。さらに歩いていると、墓所が見えてきました。その墓所に数体のお地蔵様がありました。その昔、この近くにお寺があったのでしょうか。あるいはお坊さんが住んでいたのかもしれません。それを思わせるように平和霊場と書かれた立派なお堂にお地蔵様3が安置されていました。霊場があったのであれば、その昔お坊さま又は尼僧が住んでいた庵かお寺があったのではないでしょうか。
平和霊場と記載のお堂とお地蔵様3 秩父宮殿下御宿泊記念の石碑
墓所を過ぎてしばらく歩くと、家の塀を越えて目立つ立派な石碑が見えてきました。石碑には秩父宮殿下御宿泊記念と刻まれていました。戦前に何らかの軍の演習時に宿泊されたのでしょう。さすがに、石柱が立っている家は立派でした。特に塀のレンガの幾何学的模様が良かったです。その近くに、小さなお地蔵様4が安置されていました。
小さなお地蔵様4 新生仏教発祥之地碑 戸仲自治会館
さらに歩いていると、新生仏教発祥之地と書かれた碑が立っていました。昭和二十年代に新しい宗教が発祥した地のようです。ここに住んでいた方が開眼してできた宗教のようです。天照皇大神宮教の発祥地が田布施であることを思い出しました。戦後はいろいろな宗教が発祥したのでしょう。続いて戸仲自治会館に行きました。会館に出入りしている方に戸仲大師堂のことをお聞きしました。残念ながらご存じなかったようです。続いて、近くにある戸仲漁港に向かいました。
戸仲,冠梅園周辺の史跡調査で歩いたルート
笹細工に使えそうな笹を山で探しています。しかしながら、なかなか良い笹が見つかりません。根本は太くて先端になるほど細くなる笹ばかりなのです。山を歩き回っていると、私が子供の頃に筋竹と呼んでいた笹が山に残っていました。笹なのか竹なのか分からない不思議な笹です。しかも、色が薄い黄色なのです。観賞用の笹でしょうか。その笹を伐採して、ひごにして六目籠を試作することにしました。
笹割り機を使って、茎を細く割った笹
この笹は太さは15mm位で、しかもほぼも均一です。そのため、笹割り機にすっぽり挿入することができます。挿入口に押し込む時に少し力が要りますが、その後は面白いように割れていきます。そして、割れた側を掴んで引っ張ると、するすると割れたまま笹の茎を引き出すことができます。あまりに簡単であっけないです。竹よりも容易に割ることができます。
たくさん生えた笹 試しに数本を伐採 節を綺麗に取る
続いて、割った笹の皮を剥ぐ作業に入りました。10年以上前にした皮剥ぎ作業、こつをすっかり忘れていました。鉈を入れて皮を剥ぐのですが、何もしないで鉈に力を入れるだけでは皮が薄くなりすぎるか逆に厚くなりすぎます。また、節の越え方も忘れていました。力まかせではいけません。この笹はひごにしずらい笹なのかも知れませんが、思い出すためにとにかく何度も皮を剥ぐことにしました。
笹を入れて強く押し込む 出てきた笹を掴んで引っ張る
秋に種をまいて移植した長ネギ、そして小松菜などの冬野菜がそろそろ終わりのシーズンになりました。それがよく分かるのは小松菜です。葉の中心部を見ると、とうが立ち始めたのが分かります。とうは小さな花芽です。これからどんどん伸びてきて、来月には菜の花に似た黄色の花が咲きます。そうなると、野菜としてはもう収穫できません。食べたとしても筋があるし、味もきすくなります。これからは残りの冬野菜を抜いて、春や夏の野菜の種をまく準備に入らなければなりません。
来月になればネギ坊主が出始める長ネギ
これが最後になるかも知れませんが、とうが立ち始めた小松菜を収穫しました。冬を越した小松菜は、寒さに耐えるためかやや肉厚でかるく苦みがあります。そして、これからネギ坊主が出始める長ネギも収穫しました。冬を越している間に、1本が5本位に分げつして増えていました。さらに、畑に残していた小型の大根は全て収穫しました。
収穫した長ネギ 分げつした長ネギ まだ収穫できる小松菜
3月はもうすぐです。そろそろジャガイモの種イモを植えなければなりません。ところで、去年簡易温室で育てたナスの苗が皆さんに好評でした。今年も簡易温室で苗を育てようと思います。そして、育った苗を皆さんにお分けしようと思います。先日、柳井園芸で実が大型のピーマンの種を買いました。そのピーマンの苗も育ててみようと思います。三寒四温、これからは少しずつ暖かくなると同時に、畑の作業が忙しくなる季節の到来です。
収穫した小松菜 収穫した小型の大根
その後、柳井港街を歩いていると、大きな波音が聞こえてきました。海岸から少し離れているにしては大きな波の音です。近くを流れている川を覗き込むと、海水が流れ込んでいるではありませんか。上げ潮で潮が流れ込んできて、さらに海洋の波が押し寄せていました。そして、川を覗き込むと小魚がたくさんいました。
明治時代、鉄道を引いた時に砕いたとされる大きな岩の残り
しばらく歩いていると、月性像がある場所に着きました。ネジを回すと像が回転するらしいのですが、回転機構が壊れたのか動いていません。海に向かって止まっていました。海防僧との異名があったため、海に向かった姿で像が止められているのでしょう。月性の清狂草堂と妙円寺は以前見学したため、立ち寄りませんでした。月性像から少し歩くと、民家内に祠のような石積みがありました。
川と打ち寄せる波 止まった月性像 民家内の石積み祠
柳井港街内の古道をどんどん歩きました。その昔はこの古道が本道だったのですが、今は国道が街の海側を通っています。そのため、古道は車が時々しか通りません。そのため、のんびり左右の民家を見ながら歩くことができました。しばらく歩くと、大きな岩が見えるようになりました。この岩は鉄道を引いた時に壊されたそうです。見えた岩は、壊されなかった岩の一部とのことです。
民家の一番端っこにある祠 柳井港街の端っこ、大畠が見える
大きな岩を左手に見ながら歩いていると、国道188号線に出ました。国道沿いに歩いていると、ついに民家が途切れました。そして、灯篭と祠がありました。今回はここまでで調査歩きは止めることにしました。元来た道を引き返しました。帰る途中、川を覗き込むと数百匹もの小さなフグが泳いでいました。海よりも安全なのでしょう。
柳井港周辺の史跡調査のため歩いたルート
東京に住んでいた頃、八王子市の里山農業クラブのお手伝いを時々していました。農機具が壊れた時に修理して差し上げたこともありました。インターネットで検索できるので、今でも活動しているようです。そのクラブは米作りの他に、地元伝統の六目籠作りの継承や普及活動をしていました。私は時々、その六目籠作りのお手伝いしていました。今回その六目籠作りを思い出して作ってみることにしました。その六目籠作りに必要な鉈を久しぶりに研いでみました。また、笹を割る笹割り機がだいぶ錆びていたため錆取りしました。なお、私はその里山農業クラブの田んぼの隣にある田んぼで、幼児,小学生,中学生,高校生,そして大学生のために、米作りを中心とした農業体験支援をしていました。
最初に荒砥石で刃こぼれ等を直し、次に中砥石で丁寧に研ぐ
笹細工につかう鉈ですが、これは奥多摩地区に残っていた鍛冶屋の古老にいただいたものです。元々は石臼の目研ぎ用の槌を注文したのがきっかけで、その古老と親しくなりました。なお、石臼の目を手で研ぐことができるのは、全国で私を含めて数人ではないかと思います。ところで、その鉈を研いだのは10年以上前の事です。少し錆が出ていたので綺麗に研ぎました。研げたことを確認するため、笹の皮を剥いてみました。
研ぐ前の鉈(少し錆) 研いでいる鉈 研ぎ終わった鉈
鉈を研ぎ終わると、笹割り機の錆取りをしました。これまた10年以上使っていなかったため全体に錆が出ていました。すべての錆を取るのは無理だと判断して、竹を六つに割る刃だけをヤスリで磨きました。これまた、笹を入れて押し込むと綺麗に六等分に割れました。あとは、笹細工に使える笹を探す必要があります。我家の山には笹がうんざりするほど生えています。どの笹が使えるか、いろいろ割って試そうと思います。
研いだ鉈で、笹の皮を薄く剥ぐ 笹割り機をヤスリで研ぐ
6年ほど前に柳井港から大畠まで史跡巡りウォーキングをしました。この時は、柳井港周辺の史跡を巡りませんでした。松戸八幡宮と妙円寺を訪れたぐらいでした。今回2時間程度でしたが柳井港周辺の祠やお地蔵様を調査歩きしました。最初イエローハット近くから歩き始めました。そして、竜華川を河口に向かって歩きました。すると、木に囲まれた小さな祠がありました。昔この周辺が海だったことを考えると、竜華川か海に関係する祠の可能性があると思います。
国道188号線に面した、レンガ作り家屋のお地蔵様
竜華川の祠を見終わると、いったん国道188号線に戻りました。そして、JR柳井港前の街内に入りました。その一角にある大師堂に行きました。続いて、再度国道188号線に出ました。国道188号線から海岸方面を見ていると、何やらお社が見えました。国道188号線を渡ってそのお社を確かめに行くと、三新化学のお社でした。ちなみに、三新化学の工場が田布施川河口の平生町側にあります。
木に囲まれた祠 柳井港街の大師堂 三新化学のお社
三新化学のお社から海岸の堤防が見えました。海を見ようと堤防に近づきました。すると、変わった石柱を見つけました。その石柱には「魚供養塔」と刻まれていました。魚供養塔を見終わると、再び国道188号線を渡りました。そして、国道に面した小屋内に安置されたお地蔵様を見ました。珍しいレンガ作りの小屋でした。
漁港近くの魚供養塔 第一長州征討の碑
レンガ作りの小屋のお地蔵様から15分位歩いたでしょうか、境川の河口近くを通りました。そして、すぐの場所に第一長州征討の碑がありました。面白いことにこの石碑には元々南無阿弥陀仏と刻まれていたようですが、南の字だけが欠けています。そのため、首なし地蔵とも呼ばれているそうです。
柳井港周辺の史跡調査のため歩いたルート
去年皆さんと琴石山をウォーキングしている時、アケビの種をたくさん見つけました。鳥が実を食べた後に糞として落としたようです。種が一ヵ所にまとまって落ちていました。アケビは、このように鳥を媒介して種をばらまいていることが分かります。
郷土館にはアケビを使った籠があります。笹細工に興味を持ったついでに、アケビ細工にも興味を持ちました。ところで、拾ったアケビの種を瓶に保存していましたが、湿気が残っていたようで芽生えていました。そのため、芽生えたアケビを急遽植えて育ててみようと思います。晩秋にアケビ蔓を手に入れることができれば嬉しいですが、アケビ細工できるほどの蔓が収穫できるでしょうか。
芽生えたアケビの種を植える
芽生えたアケビの種を一つのポットに三つ植えました。たくさん苗が育ちそうなので、必要な方がいればさしあげようと思います。蔓が伸びて葉が茂れば、かっこうの日陰になります。毎年アサガオを日影用として植えていますが、今年はアケビを日影用として植えてみようと思います。そもそも蔓が取れるほど育つかどうか分かりません。初めてのアケビ栽培です。
いつの間にか芽生えていたアケビの種 アケビの種をまいたポット
数年前から移動郷土館を実施しています。元々の目的は、足腰が悪くて郷土館に来れない方々、来ても階段を上がれず上階の展示物を見ることができない方々のためでした。その方々のために、郷土館にある懐かしい物を持って行き、かつ歴史を楽しく学んでいただくために出張し始めました。当初はお年寄りの方々をターゲットにしていましたが、今年はコロナ禍で郷土館に来れない町内全ての小学校に出かけました。そして、子供達に昔の生活を学んでもらったり昔の古い物を体験してもらいました。コロナ禍のため、逆に忙しくなった郷土館です。今回は、田布施町にある西田布施公民館に出張した移動郷土館でした。
テレビが無い時代、各地で上映されていた幻灯機
今回は最初に幻灯機を上映しました。教室内を暗くしての上映です。公民館の館長さんと主事さんの楽しい声の掛け合いです。そして、私はその声に合わせて幻灯機のフィルムを回しました。上演したフィルムは子供向けタイトルですので誰でも楽しめます。ちなみに、幻灯機の代わりにフィルム映画(例えば名犬ラッシーなど)を上映することがあります。幻灯機が終わると、私の方から歴史に関するお話をしました。古代の生活,昭和の生活,明治維新などを、分かりやすく楽しくお話をしました。
拝聴いただいた方々 幻灯機(昭和30年頃) パワーポイント使用
お地蔵様がとても多かった史跡巡り調査でした。あらかじめ地図を見て歩くルートを決めていました。そのため、歩けなかった場所にもお蔵様があったはずです。一人で歩きまわる時間と距離には限りがありますので仕方ありません。このルートは来年の史跡巡りルートの候補ですので、今回歩けなかったルートを来年下見できたらと思います。
一人おだやかな顔のお地蔵様14
さて大隅稲荷大社のお社から三方向に赤い鳥居が続いていました。北方向の鳥居は来た方向ですので、残った二方向のうち西方向の鳥居を通りました。そのため、南方向の鳥居は通れませんでした。下見ウォーキング時はすべての鳥居を通ってみたいものです。その通った西方向の鳥居を抜けると、とてもおだやかな顔の地蔵様が道端に安置されていました。そして、道行く人々を見守っていました。
お地蔵様15 お地蔵様16 お地蔵様17
大隅稲荷大社からの道端には、大小いろいろなお地蔵様があちこちに安置されていました。道に沿ってあるかと思えば、道脇の向こうに見えたりしました。また、道の正面に顔を向けたり、何故か道と並行の方向に顔を向けたりしています。そして国道188号線に近づくと、小柄なお地蔵様が多くなるとともに屋根が無いお地蔵様がありました。
小柄な屋根なしお地蔵様18 小柄な屋根なしお地蔵様19
最後のお地蔵様19に近づくと、国道188号線を走る車の音が聞こえるようになりました。お地蔵様18,19の周辺を丹念に歩き回れば、まだまだお地蔵様があるのではないかと思います。しかし、最初に向かった金毘羅社の山で転んだ足がだんだん痛くなり始めました。左膝の筋が痛くてたまりません。やむなく国道188号線に出て、出発したMaxValueに戻りました。今回歩いたコースは、来年の史跡巡りウォーキングの候補にしようと思います。
調査のため歩いた室積の西ノ庄,東ノ庄方面
1月はコロナ禍のため休んでいたコットンクラブ、いつもより参加者が少ないものの談笑しながら楽しく作業しました。私は、春に種をまく予定の綿の種を取りました。綿繰りです。種を取ったのは白綿(バルバゼンセ),緑色,,そして茶色の綿です。白綿には和綿がありますが、バルバゼンセと間違えそうになります。そのため、去年からバルバゼンセだけ栽培しています。その他の方々は織りをしたり、綿をカーディングなどをしました。なお、季節がらXXXをいただきました。ありがとうございました。
作業の合間に休憩タイムをとり、皆さんと談笑
今回のコットンクラブで、私が制作したほぼろや笹細工道具をおみせました。綿や羊毛の作業ばかりではなく、素材は違うものの編物の一種であるわら細工や笹細工もそう悪くありません。視野を広げる意味でも皆さんに勧めてみようと思っています。そう言えば、当クラブで去年2月に木工作業(糸巻き台製作)を楽しんだことがありました。
私は綿繰り作業 織機で織り作業 綿のカーディング作業
西ノ庄、東ノ庄のお地蔵様巡りも後半になりました。長安寺を過ぎて道を右へ左への曲がりながら道端に安置されているお地蔵様を探しました。すると、いろいろなバリエーションのお地蔵様がありました。立っているか座っているか、数体あるかどうか、屋根があるかないか、帽子をかぶっているかどうかなどです。ただ一つ共通なのは、どんな小さなお地蔵様でも必ず帽子をかぶりよだれ掛けを付けていることです。生地は雨風に当たると容易に傷みます。どのお地蔵さまも、地域の方々が定期的に生地を交換しているのだと思います。
仲良く二体のお地蔵様11
長安寺を過ぎてすぐの場所にお地蔵様10が、そして少し歩くとお地蔵様11がありました。なお、室積半島には霊場として八十八体のお地蔵様が並んでいます。そして、規則正しくほぼ等間隔で並んでいます。そのため、とても見つけやすいです。しかし、西ノ庄や東ノ庄地域のお地蔵様はバラバラに安置されていてます。そのため、なかなか見つけることができません。見つけるために道を右往左往して、結果として時間がかかります。
溝傍のお地蔵様10 お地蔵様12と石柱 お地蔵様13
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さらに歩いていると瓦屋根で囲まれた不思議な一角(広さ6畳位)がありました。その中には小さめのお地蔵様12一体と石柱がありました。石柱には何か刻まれていましたが読めませんでした。そもそもこの小さな一角は何なのでしょう。近くに地域の方がおられなかったため聞くことができませんでした。
大隅稲荷大社入口の鳥居 石鳥居と大隅稲荷大社のお社
不思議な一角からしばらく歩くと、立派な特養ホーム光寿苑が現れました。その光寿苑に向かうように屋根が新しいお地蔵様13が安置されていました。元々は地蔵様13前を通る道の安寧を願うためなのだと思います。そのお地蔵様13から西の方向にたくさんの赤い鳥居が見えました。その鳥居は大隅稲荷大社の鳥居でした。たくさんの鳥居をくぐってお社に向かいました。
調査のため歩いた室積の西ノ庄,東ノ庄方面
令和二年度はコロナ禍で散々でした。小学校の放課後学習 成器塾も、半年程度しか活動できませんでした。また活動時間も短くなりました。「手芸と調理」教室でしたが、調理は全くできませんでした。去年度は、手芸としてエプロンの製作,ポケットティッシュケース製作,羊や鶏などの見学,羊毛の洗浄,紡ぎ,綿の収穫,フェルト細工,染色,ダーニング,座布団製作,刺繍をしました。そして調理として果物調理,干柿作り,ホットケーキ作り,小麦の種まき,麦踏みをしました。来年度は、昨年度と同程度の内容を子供達に教えることができればと思っています。今回、織物体験が最後の放課後学習となりました。
円周上に横糸をぐるぐる巻く織物、途中で毛糸の色や種類を変更可
今回は、前回の織物体験の続きと円周上に横糸をぐるぐる巻く織物体験です。前回の織物体験で完成できなかった子供達は、私を含む指導員がサポートに入りました。難しいのは横糸を変えた場所の止め方とフリンジでしょうか。慣れた子供はさっさと済ませて、円周上に横糸をぐるぐる巻く織物体験に入りました。
好きな毛糸を選ぶ 横糸をぐるぐる巻く フリンジ加工中
横糸を円周上に丸くぐるぐる巻く編み方は、ザルの作り方に似ています。奇数の経糸への横糸の通し方が分からないようでした。横糸相当の毛糸をぐるぐる通すだけなのに、子供達には意外に難しかったようです。そのため、丸く織る織物よりは四角に織る織物の方が作りやすかったようでした。丸く織る織物を早々と止めて、再度四角に織る織物をした子供がいました。今年度の「手芸と調理」はこれで終わりです。指導員の方々、ご協力ありがとうございました。来年度もよろしくお願いいたします。
段ボールから外してフリンジ加工 今回完成した織物作品(一部)