田布施川沿い史跡巡りウォーキングの最終回である、田布施川源流ウォーキングのルートをいろいろ考えています。今回は、前回田布施川の源流を探索した時に川の工事で調査できなかった、光市塩田の生野から柳井市余田の畑までのルートを探索しました。田布施から歩くのは遠いので、バイクで周辺を調査しました。
右に回ると塩田生野,小行司へ 田園風景が広がる塩田生野
最初、大波野と塩田の境にある峠から塩田生野に向かいました。生野はゆったりとした田園風景が広がる私の好きな山村です。生野に着くと、柳井市余田の畑に向かう林道に進みました。この道は、田布施川の源流の一つに沿う林道です。工事が終わったのか、護岸が綺麗になっていました。
生野にて、右に進むと余田畑、左は小行司からの道
余田畑に向かう道は最初、舗装されており綺麗でしたが、山に登るにつれてだんだんさびしい道になりました。余田畑と生野の境である峠近くまで、昔は田んぼが開かれていたようです。昭和50年頃の航空写真を見ると、峠の直下まできれいな田んぼが広がっていました。今は、さびしい道だけしかありません。
護岸工事された田布施川源流の一つ もうすぐ生野と余田畑の峠
峠の周りは木々が茂っているため展望はありません。畑生野林道を示す木の柱が一本立っているだけです。この峠は、三字路になっていました。生野方面,余田畑方面,そして余田保生地方面です。
余田が村だった時、本庁がある今の余田公民館までこの山道を越えて山伝いに余田保生地方面に行っていたのでしょう。保生地は12月に柳井大平山に登った時に通りました。今は、一軒しか民家がありませんでした。昔は、余田畑と余田本庁の経由地として人が行き来していたのではないかと思いました。今は車時代です。徒歩経由地としての保生地は寂れる一方だったのでしょう。
なお、この峠を通って余田畑の人達は生野や岩田,さらにその向こうの光市にも歩いて行ったのではないかと思います。大変な歩程だったと思います。ちなみに、私が住んでいる麻郷では昔、光市にいく時は高松八幡宮脇のいざり峠を越えて、麻里府中郷に行き、さらに竹尾から千坊山を越えて行きました。つい60年ほど前までのことです。車が無い時代はすべて徒歩でしたので、海沿いの道よりも山道の方が近かったのです。
塩田生野方面,余田畑方面,そして余田保生地方面の三字路の峠
ところで、この畑生野の峠に降った雨は、西に流れると田布施川に、東に流れると黒杭川に流れます。この場所は、田布施川と黒杭川の互いの源流の一つです。次に、峠を越えて余田の畑に行きました。ここは高い場所に集落があります。村の稲荷神社で休憩しました。
眺めが良い余田畑地区 畑地区の稲荷神社を訪ねる
今回初めて知ったのですが、余田は南北にとても長いことです。この畑地区が余田だとは今回まで知りませんでした。改めて地図を広げてみると、余田が南北に長いことが分かります。余田畑の方々は昔、大波野の近くにある余田公民館まで、畑生野の峠を越え、さらに余田保生地を経由して山道を延々と歩いて行ったようです。
黒杭川に架かる橋 余田畑にある多賀神社の参道
余田畑から山をどんどん下りて、黒杭川に架かる橋に出ました。そのまま小行司に行こうかと思いましたが、再び余田畑に戻って山を登り多賀神社に行ってみました。余田畑に何ヶ所か多賀神社への参道があり、その立札が立っていました。また道脇に「西 多賀神社参道」と読める古い石碑がありました。「山を西に登ると多賀神社」との意味でしょうか。かつて、柳井や伊陸方面の方々はこの余田畑を登って多賀神社にお参りしていたようです。
多賀神社階段の最下段、昔はここから石段を登って参拝
多賀神社に少しの時間ですが寄りました、実際のウォーキングではどこを歩くかさらに検討する必要があります。田布施川の源流にこだわるのであれば、今回通った畑生野林道を通ることになります。あまりこだわなければ、多賀神社から南参道を通って教円寺に下りるルートを通ろうと思います。
小行司側への参道 教円寺傍の多賀神社への参道
お地蔵様に新しい建屋
多賀神社からは順当に、教円寺側の車道に抜けました。そして、最初余田畑方面に行った塩田生野に戻りました。
今回の収穫は、多賀神社が光市塩田の生野,柳井市余田の畑,そして田布施町小行司ととても関係が深い事が分かったことでした。いわゆる多賀神社を中心としたネットワークで、これらの集落が多賀神社に向かう参道の村であることです。昔はこれらの村に、参拝する人々のための茶屋の一つもあったのではないかと思われます。そして、これらの村落は多賀神社を中心にして互いに何らかの交流があったのではないでしょうか。
塩田生野と余田畑、その境の峠に田布施川源流 ※赤い線は実際に通った道