東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施川の源流ウォーキングのための探索、塩田生野~余田畑

2013年07月31日 | 歴史探訪他ウォーキング

 田布施川沿い史跡巡りウォーキングの最終回である、田布施川源流ウォーキングのルートをいろいろ考えています。今回は、前回田布施川の源流を探索した時に川の工事で調査できなかった、光市塩田の生野から柳井市余田の畑までのルートを探索しました。田布施から歩くのは遠いので、バイクで周辺を調査しました。

   右に回ると塩田生野,小行司へ            田園風景が広がる塩田生野
 

 最初、大波野と塩田の境にある峠から塩田生野に向かいました。生野はゆったりとした田園風景が広がる私の好きな山村です。生野に着くと、柳井市余田の畑に向かう林道に進みました。この道は、田布施川の源流の一つに沿う林道です。工事が終わったのか、護岸が綺麗になっていました。

             生野にて、右に進むと余田畑、左は小行司からの道


 余田畑に向かう道は最初、舗装されており綺麗でしたが、山に登るにつれてだんだんさびしい道になりました。余田畑と生野の境である峠近くまで、昔は田んぼが開かれていたようです。昭和50年頃の航空写真を見ると、峠の直下まできれいな田んぼが広がっていました。今は、さびしい道だけしかありません。

  護岸工事された田布施川源流の一つ           もうすぐ生野と余田畑の峠
 

 峠の周りは木々が茂っているため展望はありません。畑生野林道を示す木の柱が一本立っているだけです。この峠は、三字路になっていました。生野方面,余田畑方面,そして余田保生地方面です。
 余田が村だった時、本庁がある今の余田公民館までこの山道を越えて山伝いに余田保生地方面に行っていたのでしょう。保生地は12月に柳井大平山に登った時に通りました。今は、一軒しか民家がありませんでした。昔は、余田畑と余田本庁の経由地として人が行き来していたのではないかと思いました。今は車時代です。徒歩経由地としての保生地は寂れる一方だったのでしょう。
 なお、この峠を通って余田畑の人達は生野や岩田,さらにその向こうの光市にも歩いて行ったのではないかと思います。大変な歩程だったと思います。ちなみに、私が住んでいる麻郷では昔、光市にいく時は高松八幡宮脇のいざり峠を越えて、麻里府中郷に行き、さらに竹尾から千坊山を越えて行きました。つい60年ほど前までのことです。車が無い時代はすべて徒歩でしたので、海沿いの道よりも山道の方が近かったのです。

      塩田生野方面,余田畑方面,そして余田保生地方面の三字路の峠


 ところで、この畑生野の峠に降った雨は、西に流れると田布施川に、東に流れると黒杭川に流れます。この場所は、田布施川と黒杭川の互いの源流の一つです。次に、峠を越えて余田の畑に行きました。ここは高い場所に集落があります。村の稲荷神社で休憩しました。

      眺めが良い余田畑地区             畑地区の稲荷神社を訪ねる
 

 今回初めて知ったのですが、余田は南北にとても長いことです。この畑地区が余田だとは今回まで知りませんでした。改めて地図を広げてみると、余田が南北に長いことが分かります。余田畑の方々は昔、大波野の近くにある余田公民館まで、畑生野の峠を越え、さらに余田保生地を経由して山道を延々と歩いて行ったようです。

        黒杭川に架かる橋               余田畑にある多賀神社の参道
 

 余田畑から山をどんどん下りて、黒杭川に架かる橋に出ました。そのまま小行司に行こうかと思いましたが、再び余田畑に戻って山を登り多賀神社に行ってみました。余田畑に何ヶ所か多賀神社への参道があり、その立札が立っていました。また道脇に「西 多賀神社参道」と読める古い石碑がありました。「山を西に登ると多賀神社」との意味でしょうか。かつて、柳井や伊陸方面の方々はこの余田畑を登って多賀神社にお参りしていたようです。

             多賀神社階段の最下段、昔はここから石段を登って参拝


 多賀神社に少しの時間ですが寄りました、実際のウォーキングではどこを歩くかさらに検討する必要があります。田布施川の源流にこだわるのであれば、今回通った畑生野林道を通ることになります。あまりこだわなければ、多賀神社から南参道を通って教円寺に下りるルートを通ろうと思います。

       小行司側への参道            教円寺傍の多賀神社への参道
                                  お地蔵様に新しい建屋
 

 多賀神社からは順当に、教円寺側の車道に抜けました。そして、最初余田畑方面に行った塩田生野に戻りました。
 今回の収穫は、多賀神社が光市塩田の生野,柳井市余田の畑,そして田布施町小行司ととても関係が深い事が分かったことでした。いわゆる多賀神社を中心としたネットワークで、これらの集落が多賀神社に向かう参道の村であることです。昔はこれらの村に、参拝する人々のための茶屋の一つもあったのではないかと思われます。そして、これらの村落は多賀神社を中心にして互いに何らかの交流があったのではないでしょうか。

     塩田生野と余田畑、その境の峠に田布施川源流  ※赤い線は実際に通った道

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タヌキにマクワウリ食われる、今年は電柵を設置

2013年07月30日 | 野菜:果菜

 私が大好きなマクワウリが実るころです。そう思っていたら、やられました!タヌキ,アライグマ,またはハクビシンです。最近、我家近くでこれらの小動物をよく見かけます。我家の近くに巣を作っているのかも知れません。住むのは構わないのですが、せっかく作っている農作物を荒らさないで欲しいものです。

もうすぐ食べるはずだったマクワウリ   小さなマクワウリもこのとおり
 

 去年は、マクワウリを網袋に入れたり畝全体を網で囲ったのですが、あまり効き目がありませんでした。たくさんのマクワウリが被害にあいました。今年は、田んぼなどの猪避けに使われている電柵を取り入れてみることにしました。さいわい、家庭菜園用の小型電柵セット(2万円台)が売っていましたので即購入しました。

   マクワウリの畝を囲むように、電線を張るための杭を打ち込む


 購入した電柵セットを家に持ち終えると、マクワウリの畝を囲むように電線を張るための杭を打ち込みました。そして、電線を通すための端子を杭に取り付けました。次に、電線を這わせました。田んぼなどでは、数百メートルもこの電線を張るので大変な作業です。私のはマクワウリを守るためだけですので、電線は短くて済みました。

 杭に取り付けた端子に電線を張る     高電圧発生器を畝に設置
 

 電線を張り終わると、高電圧発生器に電源である単一乾電池を8個入れました。続いて、高圧発生器をマクワウリの畝内に設置しました。そして、スイッチを入れました。説明書では6000Vの高電圧が発生するようです。大した高電圧ではありませんが、動物にはショックがあるのでしょう。
 私は20歳代の頃、テレビのブラウン管に関わる仕事をしていました。ブラウン管の電子銃には数万ボルトの電圧がかかります。ブラウン管の後ろに手を回して偏向ヨークの試験をしている時、パチンと手に放電して体がショックを受けたことが何度かあります。電流が少ないので助かっていますが、それでも放電した指先がゴマ粒ほどの大きさに黒く焦げます。

 アース(黒端子)、高電圧部(赤端子)    検電器で高電圧が出ていることを確認
 

 アース棒を地面に打ち込み、そこから出ている電線を高電圧発生器のアース端子に取り付けます。そして、高電圧発生器からの高電圧を流す線を電線に取り付けました。スイッチを入れた後、高電圧が出ていることを確認するため検電器を電線を接触します。すると、光るので高電圧が出ていることが分かります。この電柵、害獣に効果があるでしょうか。

  電柵に高電圧を流す、これでマクワウリの食害は防げるでしょうか

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田布施町 波野周辺のウォーキングルートを探索

2013年07月29日 | 歴史探訪他ウォーキング

 今回は、田布施町波野周辺を探索しました。田布施川沿い史跡巡りの6回目コースを決めるための初期探索です。最初に、後井古墳への距離を確かめるため交流館から田布施川を上流に瀬戸地区方面に行きました。後井古墳に寄った後、今度は長合地区に行き田布施農業高校の裏道に行きました。ここから、円満寺八十八番個所がある山に登りました。

       田布施農業高校の裏道              八十八番個所への登り道
 

 木が生い茂る山道を10分位登ると、八十八番個所がありました。ただし、参拝する人が少ないのかあまり手入れがされていませんでした。田布施から大和に向かう県道を作った時に、この八十八発番箇所ルートがあった山に大々的な工事があったようです。その工事の碑が立っていました。
 碑の近くに、県道をまたぐ歩道の陸橋(お大師橋)がありました。その陸橋の下を見ると県道が通っていました。そして、陸橋から北に石城山がよく見えました。元々は山だった場所を県道を通すために削り、その県道をまたぐように陸橋を作って八十八番個所を以前のように回れるようにしたのでしょう。

        歩道陸橋(お大師橋)から、眼下に県道を見下ろし、北に石城山を見て


 陸橋を渡ると、小さな祠がありました。また、陸橋に続く小道には八十八番のうちの四十番目のお地蔵様やそれに続くお地蔵様が並んでいました。おそらく円満寺に一番個所があり、八十八番個所が山の上にあるようです。なお以前この近くに火葬場があったので、火葬場とこの八十八番個所や祠に何らかの関連があったのかも知れません。

     陸橋を渡ってすぐ、小さな祠              四十番個所のお地蔵様
 

 歩道陸橋を過ぎてしばらく歩き長合と上ゲの境付近にある高台に立つと、目の前に行者山がよく見えました。この行者山の頂上からは、波野や上ゲなどが眼下に良く見えます。この行者山もルートに含めるかどうか検討中です。この頂上で昼食休憩できたらと思います。

               長合と上ゲの境付近の高台から見た行者山


 次に、円満寺前を通りました。おそらくこのお寺内に一番個所があると思いますが、今回は急いでいるため訪問しませんでした。なお、この近くに国木田独歩の波野英学塾がありました。しかし、私はその場所をはっきり知りません。ところで、麻郷高塔の我家のすぐ近くに、国木田独歩の仮寓跡があります。明治時代の彼の作品「帰去来」に麻郷高塔での生活が生き生きと描かれおり「高塔」の記述がでてきます。

             円満寺、この近くに国木田独歩の波野英学塾跡


 次に、専福寺に向かいました。専福寺に来たのは、4月にこの付近をミニウォーキングして以来です。ここは、第二奇兵隊が一時駐屯していた場所です。その碑がお寺に入口に立っています。専福寺を確認すると、田布施街に向かいました。山陽本線の小さな踏切を渡って、すぐそばの高台にある大内公園に行きました。この場所は、小学生の遠足で来たことがある場所です。今は、子供達の遊び場にもなっているようです。

  第二奇兵隊が一時駐屯していた専福寺            山陽本線の小さな踏切
 

 大内公園内はとても静かでした。広場の北にひっそりと忠魂碑が立っていました。戦時中、この広場からたくさんの方々が出征したのでしょう。私が子供の頃、この公園北側から山陽本線を通る汽車を見下ろした記憶があります。大内公園を下りると、大恩寺の飢民碑を見学しました。豊かな今の時代、この田布施で飢え死にする人がいたとはとても想像できません。田布施町史や平生町史を読むと、当時亡くなった方々のおよその人数や推移がお寺の過去帳に記録されています。

    広々とした大内公園と忠魂碑           飢民碑がある大恩寺
 

 10月初めに、田布施町の歴史を昔から探求されている方々と波野付近をご一緒させていただきます。田布施地方史研究会の三回史跡探訪とのことです。その時に訪れた史跡を合わせて、ウォーキングルートを決めようかと思っています。今回は、ざっと回ってみただけですので、見落としている個所がたくさんあると思います。
 しかしながら、猛暑の中をあちこち探索するのは疲れます。まだまだ知らない田布施がたくさんあります。

              今回、いろいろ探索して回った田布施波野周辺

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昨日午前中に雨、もう大豆が発芽

2013年07月28日 | 野菜:豆類ほか

 昨日26日の午前中に待望の雨が降りました。雨が降る前に種をまいていた大豆小豆は2,3日後に発芽すると思っていました。ところが夕方畑に行ってみると、なんと大豆がもう発芽しているではありませんか。雨が降ってから2日も経たないのに発芽していました。驚きの早さです。 

       防鳥網を張る杭を打つ          大豆畑の片側に張った防鳥網
 

 ところで、大豆は子葉が地表に出ます。このため、発芽直後に鳩などに食べられてしまう被害がよく発生します。このため、鳩などの害鳥に食べられないように急遽防鳥網を張ることにしました。こぼれた小麦を食べるために鳩やスズメなどが、毎日のように畑にやって来ます。このため、防鳥対策は絶対に欠かせません。鳩が飛んだり歩けないように、防網は地表すれすれ高さ5cm位に張りました。

                 発芽した大豆、明日には子葉が展開


 ところで、同じ豆でも小豆は防鳥網を張る必要はありません。小豆は、子葉が地中にあって芽だけが地表に出ます。豆には、子葉が地表に出る種類と地中に埋まったまま発芽する品種があります。ちなみにドングリは豆ではないのですが、子葉が地中に埋まったまま芽だけが地表に出ます。
 大豆のように、子葉が地表に出る豆は早く発芽します。しかし、鳩などに食べられやすい欠点があります。小豆のように子葉が地中に埋まったまま発芽する豆は、発芽はやや遅いのですが子葉が地中に保護されますので害鳥の被害にあうことがありません。

   種をまいた畝に沿って防鳥網を張る             張り終わった防鳥網
 

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害虫の被害にあうトウモロコシ

2013年07月27日 | 野菜:果菜

 5月にトウモロコシの種まきをしました。その後順調に育っています。小麦関連の作業が一段落したため、雄穂が出始めたトウモロコシの生育状況を確かめました。すると、予想はしていましたが、散々の状況でした。遠目には成長しているのですが、茎や葉にたくさんの害虫アワノメイガが食い込んでいました。やれやれ!

                遠目には、しっかり成長しているように見えるトウモロコシ


 根元の茎がポッキリ折れているトウモロコシが数本ありました。そして一番多いのは、アワノメイガが葉のあちこちに穴を開けている被害です。今は葉に穴を開けているだけですが、そのうち茎や実に移動してさらに被害が広がると思います。

        ポッキリ折れた茎             あちこち穴を開けられた葉と虫の糞
 

 葉に穴が開いているのはまだいいとして、雄穂にも被害が進行していました。ポッキリ折れている雄穂を調べてみると、大きくなったアワノメイガが芯にいました。害虫アワノメイガは、小さなうちは周辺の葉芯に入り込むようですが、大きくなるにつれて茎や実を食い込むようです。いったん茎に入り込まれると薬をまいても効きません。

     ポッキリ折れた雄穂              雄穂の芯を食い尽くしたアワノメイガ
 

 今年は、いっさい農薬をまかないでトウモロコシを育ててみました。やはり、何も対策をしないとトウモロコシは収穫できないことを改めて知りました。農薬を使わないで、害虫を寄せ付けない方法はあるでしょうか。トウモロコシを寒冷紗で覆うのも一つの方法ですが、トンネル状に寒冷紗を覆わなければならず時間,場所,コストともに大変です。来年はもう少し勉強して、再度トウモロコシを作ってみたいと思います。

                ひげが出てきた実、今のところ被害にあっていないが

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夕方涼しくなってから、小豆の種まき

2013年07月26日 | 野菜:豆類ほか

 もう一ヶ月近く雨が降っていないでしょうか。それでもいつか夕立で雨が降るだろうと、カラカラに乾いた元小麦畑に小豆の種をまきました。先日雨が降るだろうとの天気予報で、大豆の種をまきました。しかし雨が降ったのは関東や東北だけのようで、山口県はまったく雨が降りません。困ったことです。

      種をまく畝を耕運機で耕す           約30cm間隔で小豆の種をまく
 

 雨台風でも来れば雨が降るのでしょうが、今年はその様子もありません。小豆だけは7月下旬に種をまいても晩秋に収穫できますので、雨は降らなくても予定通り種をまいておきました。こう日照りだと、今年は人参の種をまけそうもありません。今後は、キャベツや白菜などの秋冬野菜の苗作りに専念しようと思います。
 ※26日の朝、待望の雨が降りました。数日後、大豆や小豆が発芽するはずです。

                小豆の種まき後、平クワで土を被せる

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田布施町 麻郷 麻郷ふるさと会(6) 麻郷嵯峨音頭と田布施音頭の練習

2013年07月25日 | ふるさと



 約十日ぶりに田布施町麻郷地区の盆踊りの練習をしました。麻郷嵯峨音頭と田布施音頭の二つです。しかしながら、この二つとも太鼓も歌もなかなか覚えられません。覚えた方にそのこつを聞くと、曲が入ったCDを何度も聞いたそうです。私もCDを麻郷公民館からお借りしたのですが、私は数回聞いただけです。残り数回の練習時間、踊りだけでも覚えたいと思います。

      最初は麻郷嵯峨音頭の太鼓の確認、私は座って歌詞を見ながら歌う


 麻郷嵯峨音頭と田布施音頭の踊りを、ベテランの方に教えていただきました。初めて参加した方も、熱心に教わりました。私もベテランの方々の後姿を追いながら、その動きをまねるように踊ってみました。
 麻郷嵯峨音頭は古くから伝わるなじみにくい音律のためか、ステップ数は少ないのですが動作が難しくなかなかスムーズに踊ることができません。しかし、田布施音頭はベテランの方の後ろについて動作をまねていると、あともう一回か二回練習すれば踊れそうな気がします。

   麻郷嵯峨音頭を教えるベテランの方   田布施音頭の踊りを教えるベテランの方
 

 一通りベテランの方の教習が終わると、再び太鼓をたたいて踊る実技です。私もベテランの方々をまねながら踊りました。私は昔、仕事で花笠音頭などを覚えましたが、年なのかどうも麻郷嵯峨音頭も田布施音頭もスッキリと覚えられず困ったちゃんです。8月の本番までには、なんとか形にしたいと焦っています。

         供達が太鼓をたたきつつ、田布施音頭を練習する方々

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元小麦畑を耕して、大豆を手で種まき

2013年07月24日 | 野菜:豆類ほか



 7月に入ってから一向に雨が降る気配がありません。しかし、明後日頃ようやく雨が降りそうとの天気予報です。急いで耕耘機を出して畑を耕しました。6年ほど前に、八王子市のある方にいただいた耕耘機です。故障知らずで、とても重宝している耕耘機です。

       元小麦畑を耕運機で耕す           正確に種まきするための巻尺
 

 元小麦畑を綺麗に耕すと、大豆の種まきをしました。種まきの時期としては7月上旬が最遅期だったので、今種をまいても遅いかもしれません。しかし、枝豆としては収穫できそうです。まき幅30cmで2粒/株で種まきをしました。手押しの種まき機ではなく、直接手でまきました。

               まき幅30cm畝間90cm2粒/株で、直接手で種まき


 これまで育てたことのある大豆の品種はエンレイです。しかし、この田布施にはその品種は売っていませんでした。このため、白大豆と呼ばれる大豆を種まきしました。この品種は、煮豆,味噌豆,そして枝豆に使える万能品種のようです。しかしながら、もう二週間近く雨が降っていません。いくらなんでも、そろそろ雨が降って欲しい今日この頃です。雨が降らないと、秋冬野菜の種まきスケジュールなどがガタガタになります。

      万能品種の大豆の種                 種まき後、土を被せる
 

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快適だった、真夏の田布施町石城山ウォーキング

2013年07月23日 | 歴史探訪他ウォーキング



 21日、真夏の田布施町石城山(山頂は光市)をウォーキングしてきました。お正月6月にほぼ同じコースを下見をしました。当初は、田布施町の交流館から歩いて登る予定でした。しかしこの猛暑、交流館と石城山を往復するのは過酷です。このため、いったん交流館に集合して車で石城山駐車場まで行きました。そして、石城山山頂を取りまく古代朝鮮式山城遺跡(神護石)に沿って、石城山をぐるりと一周するウォーキングをしました。

             スタート前石城山駐車場にて、薄曇りで涼しい風が快適


 猛暑でとても暑いかと思っていたら、高度が300m位あり元々涼しいこと,薄曇りで日差しが弱いこと,そして快適な風が吹いていることなど、思っていたよりも快適にウォーキングできました。最初、神社(14社)巡りからスタートです。日本神社から柳井方面を眺めたり、葦原神社で鯉に餌を少しあげたり、石城山神社からの眺めを楽しみながら歩きました。

    水に浮かぶ葦原神社で鯉に餌を           眺めが良い石城山神社
 

 石城山神社から戻るとき、神田やその傍の船石を見ました。その後、少しばかり歩いて石城山最高峰(362m)の山頂に着きました。そして、気持ち良い風が吹く山頂の木陰で、各人好きな場所にシートを広げました。そして、わいわい談笑しながら昼食休憩にしました。

      神田と船石を見学               展望の良い石城山山頂に到着
 

 その山頂の東側は開けており、柳井市の余田,新庄,柳井市街,発電所,柳井湾,大島などが見渡せました。少し北側に視線を移すと、小行司や塩田の段々畑や田んぼなどが山間に見えました。それらの景色を見下ろしながらの楽しい昼食休憩です。12時半頃、ウォーキングを再開しました。

                           石城山山頂(362m)の開けた東側、柳井方面を眼下に


               山頂での楽しい昼食休憩後、みんなそろって


 昼食後は、古代朝鮮式山城遺跡(神籠石)を巡りながらのウォーキングです。石城山の山頂をしばらく下るとT字路に出ました。左に行くと古代朝鮮式山城遺跡巡りです。最初は東大門に行きました。
 東大門の山城遺跡の石積みをよく観察すると、古代朝鮮式石積みの工法がとても良く分かります。今の韓国に残っている古代朝鮮の山城の石積みそっくりです。この石城山は、古代朝鮮からの渡来人の影響があるのではないでしょうか。

    東大門がある古代朝鮮式山城遺跡            北門に下る長い下り坂
 

 東大門を見学すると、今度は北大門に向かって歩きました。古代山城遺跡に沿うアップダウンのある散策道は、昔に比べてよく整備されています。北大門に着く前に、北門遺跡に立ち寄りました。ここには沓石と呼ばれる大きな石が二個転がっています。明らかに人が加工した、大きな門柱の土台にしたと思われる巨岩がありました。古代ここにはどんな門柱が建っていたのでしょうか。
 この古代の山城は、日本書紀などの古文書にいっさい記述が出てきません。いつ、だれが、何のために、どう利用したのかなどが分かりません。私の想像なのですが、これだけの規模の山城を作るとなれば朝廷と関わりが無いはずはないと思います。白村江での敗戦後、日本を防御するため急遽作られた山城だったのかも知れません。その後、唐と新羅の内紛があり、大陸から攻め込まれる危険性が少なくなったため放棄されたのかも知れません。古代の謎です。石垣の一つにでも文字が刻んであれば良かったのになあ、などと残念に思います。

       東大門に比べてやや雑に積まれたようにみえる北大門石垣、数か所が崩壊


 古代の日本においては、朝鮮などから渡来してきた人がたくさんいたようです。その頃大和朝廷はありましたが、まだ「日本」と言う確固たる中央集権の国家形態がまだ形成されていなかったように思います。実際九州で磐井の乱がおきています。この当時、志ある人などは大陸から自由に雄飛して来れたのではないでしょうか。ヨーロッパの志ある人々が、自由や希望を求めて新天地アメリカに移住した状況に似ていたのではないかと思います。

       北水門の石垣下を歩く              北水門西端の高台で休憩
 

 今のような技術が無い時代、すべてが人力だったと思います。首長と技術者の下で、この山城遺跡を作ったのでしょう。古代の田布施には、これだけの山城を作る労働力や技術者集団があり、王国か部族連合のようなものがあったように思われます。実際、国森古墳をはじめとするたくさんの古墳が集中して残っていますので。

      西水門で立ち止まって休憩         神護寺跡、第二奇兵隊本陣跡近く
 

 西水門を過ぎると、かつて屋根つき休憩所があった広場に着きました。ここで、木々の間から光市方面を見下ろしました。ここは古代において、周防灘からやってくる古代船が見えたはずです。古代地中海においてアテネなど、ほとんどの有力都市国家は海に面していました。船による交易が都市文化を栄えさせていました。古代日本も同様に、海に面する拠点が栄えたはずです。古代において湾だった今の田布施は、古代朝鮮,九州,瀬戸内海,そして近畿を結ぶ、重要な拠点の一つだったのではないでしょうか。これだけ大規模な古代山城跡です。古代に栄えたこの地域は何らかの名で呼ばれていたはずです。その名がどこかにひっそりと今の地域名(例えば、周防,束荷など)として残っているのではないかと思います。
 ※田布施の語源には、今のところ三つ説があるようです。田伏,田布の瀬,そして田のお布施です。地名の不思議の一つです。古代の地形や人々の営みに何か関連があるのでしょう。

           神護寺跡と第二奇兵隊本陣跡を見た後、石城神社を参拝


 西水門近くの広場からしばらく歩くと、神護寺跡,第二奇兵隊本陣跡がありました。これらの遺跡を前にして、明治維新直後の神護寺の行く末,そして第二奇兵隊の脱走事件や反乱事件を思わずにはいられません。明治維新を見ることなく散っていった志士達は、どんな気持ちでこの石城山を駆け回っていたのでしょうか。ある志士の「維新後の日本を見てみたかった」と悔やんでいる辞世の句を思い出します。
 一年ほど前から、田布施町や平生町周辺をウォーキングしていますが、この地域は明治維新に関わるたくさんの史跡や口伝えが多いことに気がつきます。私自身も祖母から維新前後の話を口伝えに聞いています。

   石城神社、どんな願をかけたのかな?     この門を出ると目の前は駐車場
 

 下見の時は、三角点や電波塔などに行きましたが、今回は歩きやすいルートを順当に歩きました。GPS上で、歩いた距離は3.2kmでした。アップダウンのある山道でしたが、日差しが強くなく適度に風が吹く歩きやすい散策道が続きました。ウォーキングに参加された方々、お疲れ様でした。

 ところで今回参加された方々にはお知らせしましたが、8月のウォーキングは、お盆や猛暑もありスキップします。9月にウォーキングを再開致します。

     今回ウォーキングした石城山山頂を巡るルート ※田布施町交流館~石城山駐車場は車で移動

==========健康ウォーキングクラブ==========

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スイカとマクワウリの除草と敷わら掛け

2013年07月22日 | 野菜:果菜

 相変わらずの猛暑ですが、今回は先月苗を植えたスイカとマクワウリの畑を除草して敷きわらを敷きました。まずは、スイカの作業をしました。株周りは以前から草刈りしていましたが、株元はすっかり草で覆われてスイカの苗がどこにあるか分からないほど草が茂っていました。

      どこにスイカの苗が?             雑草を取るとスイカ苗が出現!
 

 スイカの苗と雑草が混在しているため、雑草だけを丁寧に一本一本抜きました。すると、雑草の合間からスイカの苗が出てきました。スイカの苗はそのままに、雑草は全て取り除きました。よく見ると、小さな実が付いていました。また雄花が咲いていました。種から育てたこのスイカ、収穫して食べることができるほど大きくなるでしょうか。

          それなりに育っていたスイカ、小さな実がつき花が咲いている


 スイカの草取りを終わると、今度はマクワウリの除草をしました。マクワウリは雑草に負けていないため、マクワウリの株元に生える草を少し取り除きました。スイカと違ってあちこちに茎が分かれて伸びていました。

      マクワウリの株元に生える雑草            雑草をすべて取り除く
 

 マクワウリはいくつにも茎が伸びていたため、茎の数を減らしました。一本のマクワウリに4本の茎だけを残して、他の茎は全てカットして取り除きました。これで、残した茎葉すべてに太陽の光が当たります。今年も美味しいマクワウリの収穫ができるでしょうか。

                余分な茎や葉を取り除いたマクワウリ、4茎/株にする


 スイカとマクワウリの除草と茎数の適正化を終えると、昨日細断した麦わらを敷きわらとして敷きました。敷きわらを施すと、雑草を抑え,地面温度の上昇を抑え,水分の蒸発を抑えます。また、直接地面に接しないので実が汚れません。一番心配なのは去年もそうでしたが、タヌキなどの害獣被害をどう減らすかです。今年は電柵を使ってみようと思っています。

                敷きわらを敷いた、スイカとマクワウリの畝

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最後の麦わらを細断、涼しい夕方に作業するも汗だく!

2013年07月21日 | 麦,穀類,雑穀



 真夏は農作業できる時間が朝夕数時間に限られます。このため、小麦の脱穀後に出た麦わらは次に日に細断しています。今回が最後の細断になります。ところで、麦わらを細断するカッターの機械音がキーキー,ガタガタとうるさくなってきました。油切れを起こしているようです。このため、今回は細断する前にカッターに油をさしておきました。油をさす場所には、小さな蓋がついています。その蓋を指で開いて油をさしました。ギア部分にも油をさしておきました。油をさし終わると、さっそく麦わらを細断しました。

      〇の個所が油をさす場所             反対側のギヤ類にも油をさす
 

 ところで、今私がもっているカッターは四つあります。一つ目は、通称押し切りと呼ばれる手で押してワラを切る道具です。少量のわら,草,笹などを細断する時に使います。二つ目は今回細断に使っているカッターです。細断する幅を変えることができます。また細断したわらを遠くに飛ばすことができます。一番多く使っているカッターです。

                   発動機でカッターを回し、麦わらを細断


 三つ目は手で回しても使え、発動機で回しても使えるカッターです。発動機が故障している時に手で回して使うことができます。少量のわらなどを細断することに使いますが、細断するスピードが遅いのが欠点です。最後五つ目は父親が昔牧場を経営している時に使っていたやはり発動機で回すカッターです。一番効率よく細断できますが今は故障中です。いずれ修理して使おうと思っています。
 今回細断した麦わらは、スイカやマクワウリなどの敷わらとして使います。

     麦わらの投入口、とても危険           細断された麦わら、勢いよく排出
 

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小麦粒を脱穀機で風選

2013年07月20日 | 麦,穀類,雑穀



 これまで小麦を脱穀してきましたが、収穫した小麦にけっこう麦わらなどが混じっていました。どうも脱穀機内部にあるファンの回転数が遅かったのかも知れません。麦は米よりも脱穀機の回転数を上げる必要があるようです。今回、小麦粒に混じった麦わらを完全に取り除くための作業をしました。そのため、発動機のプーリー軸を取り替えることにしました。

                左が脱穀時に使ったプーリー、右が今回使ったプーリー


 直径が長いプーリーを使うと、脱穀機の回転数が上ります。すると、脱穀機内部のファンの回転が上って風が強くなります。この風に小麦粒を当てる事によって、麦わらを取り除きます。つまり、脱穀機を唐箕として使いました。

      変える前の直径が短いプーリー          直径が長いプーリーに変えた
 

 脱穀した小麦が全部で何Kgあるのか分かりませんが、ざっとみて約60Kgあります。お米でしたら量的に足りませんが、小麦としては我家の自給用としては多すぎます。この小麦を脱穀機を使って風選しました。

                  これから風選する小麦5袋、約60Kg


 最新の脱穀機であるハーベスターでは、ほとんど麦わらなどのゴミが入りません。私が使っている脱穀機は古いためか、ドラムやファンの回転数をどの位にしてよいかの記載がありません。記載があっても、回転数を測る道具が無いので決められません。今回、プーリーの直径からみて脱穀時の1.4倍位の回転数で風選しました。少々回転数が大きいかなと思いましたが。

    風選前の麦わらが混ざった麦粒      麦わらが混ざらない、風選後の小麦粒
 

 発動機を起動して、いつものように脱穀機を平ベルトで回転させました。回転数が一定になると、小麦粒をボールですくって脱穀機に少しずつ投入しました。すると、麦わらだけが風で飛ばされて、小麦粒だけが袋に入りました。この方法での風選は成功でした。
 ところが、風が強すぎたのか1割程度の小麦も風で飛ばされてしまいました。しかし飛ばされた小麦は、虫が食った小麦、成熟しなかった小麦、欠けた小麦などだと考えられます。より小麦粒の品質が上ったと思うことにしました。
 飛ばされた小麦は、鳩や野鳥の餌として食べてもらいましょう。ところで、たまたま地面を見ると野ネズミが走っているのを見かけました。地面をよーく見ると、たくさんの穴がありました。野ネズミの穴です。野ネズミもちゃっかり小麦粒を食べているようです。

                脱穀機の投入口に、麦わらが少し混じった小麦粒を投入

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猛暑日、真夏の花が次々に咲き始める

2013年07月19日 | 花,野草

 梅雨明け以降、猛暑日が続いています。それにつれて、真夏の花が咲き始めました。一番元気が良いのは松葉ボタンです。春に種を購入して苗作りからはじめて、一ヶ月位前に育った苗を家前に植えました。すると、日当たりが良かったのか、このごろ次々に花を咲かせ始めました。葉がぐんぐん伸びているため、来月はさらにたくさん花が咲きそうです。

           白,黄,桃,赤などの花を咲かせ始めた松葉ボタン


 松葉ボタンは葉が平らでなく丸いので葉内に水分を溜め込むようです。このため、少しぐらい日照りでもへこたれません。この松葉ボタンが好きになったきっかけは、子供の頃の事ですが、オシペを触るとなぜかモゾモゾ動くことです。今だにその理由は分かりませんが、ミツバチなどの昆虫が飛来したときに、たくさんの花粉を運んでもらうためではないかと思います。夏と言えば、この松葉ボタンでしょう。

  昔はなかったピンク色の松葉ボタン           赤色の松葉ボタン
 

     白色の松葉ボタン                    黄色の松葉ボタン
 

 松葉ボタンの次に元気に咲いているのがダリアです。去年種から育てたダリアの球根を保存しておいて、今年その球根から育てました。いろんな色のダリアがありましたが、私の好きな色のダリアを選び、球根として残して今年育てました。元々球根として販売しているダリアは花がとても大きくて豪華ですが、このダリアは小さめで単色です。

          赤色のダリア                    黄色のダリア
 

 今年初めて栽培しているのが鶏頭です。今園芸店で売られている鶏頭は、ほとんどが花が穂のような形の鶏頭です。昔最も一般的だったニワトリの赤い鶏冠状の鶏頭の種を探していました。しかし、近くの園芸店には私の欲しかった鶏頭が売っていませんでした。インターネットでいろいろ探して、やっとその種を入手しました。今、なかなか無い品種の鶏頭です。

             昔よくあったニワトリの鶏冠状の鶏頭、まぶしいような赤


 次に、千日紅とかわらなでしこが畑の隅で咲いています。千日紅は父親が好きだった花で、今年こぼれ種から芽が出て、去年と同じ色の花を咲かせるようになりました。まだ小さいのですが、秋にかけでどんどん分げつして大きくなります。かわらなでしこは、雑草に負けないで毎年のようにピンクの可憐な花を咲かせています。

      父親が好きだった千日紅          雑草に負けない、かわらなでしこ
 

 我家で一番大きな花は、真っ赤なカンナです。私が東京で訪問ヘルパーの仕事をしている時、たまたま枯れそうなカンナを見つけて移植したものです。今では、我家の庭で一番威張っています。花びらがとても大きくあざやかな赤ですので、遠くからでも目立ちます。真冬でも球根が生きているためとても丈夫です。東京のとあるゴミ捨て場近くで今にも枯れそうだったカンナ、今では三箇所に株分けしてそれぞれ大きく育ち元気に花を咲かせています。

                  青い空に映える真っ赤なカンナ


 夏の花の代表である朝顔も毎朝花を咲かせています。日陰用に網に絡ませて栽培しているのですが、毎朝咲いては昼しおれます。それでも、次の朝は別の朝顔のつぼみが花を咲かせています。ところで、ヘブンリーブルーと呼ばれる西洋朝顔を同じ網に絡ませているのですが、まだ咲いていません。この花は、小さくてもたくさんのブルーの花が咲きます。さらに昼頃まで咲きます。早く咲いて欲しいと思っています。

       涼しげな青色の朝顔                   薄赤色の朝顔
 

 花ではないのですが、葉鶏頭がだいぶ大きくなりました。小さなうちは葉色は単純ですが、これから大きくなるにつれて、いろんな葉色が出てきます。コリウスに似ています。それぞれの株で葉色が少しずつ違うので、今後楽しみです。

                 中心部から葉色がどんどん変わり始めた葉鶏頭


 その他、宿根性の花も花を咲かせるようになりました。ノコギリソウ,そしてクロコスミアなどです。宿根性植物の花はやや地味で、毎年同じ場所で咲きます。

      橙色のクロコスミア                ノコギリソウの花(ピンク系)   

 それから、ルドベキアが群れて咲いています。ひまわりを小型にしたような花がです。葉は産毛のようなもの包まれています。とても丈夫で、半ば野生化しています。猛暑のため日中は花や葉が少しばかりしおれていますが、朝夕はピンと立っています。なお、今年もこぼれ種から芽を出した百日草がそろそろ花が咲きそうです。

           ひまわりを小型にしたようなルドベキアが群れて開花

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今年は麦を作り過ぎか、最後の小麦の脱穀作業

2013年07月18日 | 麦,穀類,雑穀



 小麦の最後の脱穀をしました。今回脱穀したのは、約一ヶ月前に刈り取った小麦です。脱穀しようと思っていたら、梅雨に入ってしまい脱穀する時を失してしまいました。梅雨に備えてブルーシートを被覆していましたので、穂発芽などの問題は全くありませんでした。しかし、一ヶ月以上も放置状態でしたので、鳥などがだいぶ実を食べてました。

     脱穀前に発動機を始動        乾燥した小麦束を脱穀
 

 ブルーシートを掛けていたとは言え、一部の小麦束は雨に濡れて穂が傷んでいました。このため、この傷んだ小麦束は脱穀しないで廃棄しました。

 〇:雨が入り込んで傷んだ小麦束   左は傷んでカビが生えた小麦束、右はOK
 

 猛暑の季節ですので、山影が差しこむ夕方に脱穀作業をしました。それでも、作業しているとじわっと、汗がシャツににじみ、額の汗が顔を伝います。今回の脱穀で、すべての小麦を脱穀しました。今年は少し小麦を作り過ぎたかなと思いました。自給以上の量を作ってしまったようです。今年の半分位が量的にまた時間的に良いようです。梅雨や猛暑時の作業は、分かっていたとは言えそれはもう大変でした。

       山陰が差し込む中で、もくもくと小麦の脱穀作業

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田布施川沿い史跡巡りウォーキング8回シリーズ(その5)の事前調査2/2

2013年07月17日 | 歴史探訪他ウォーキング

 田布施川沿い史跡巡りウォーキング8回シリーズ(その5)の事前調査1/2では、歩く距離が11kmもあるなどの問題がありました。このため、ウォーキングルートを大幅に変更して6km程度のコースを考えました。そのルートは、交流館から田布施川の上流に向けて右岸を歩いて、国森古墳方面などを経由して城南公民館まで行くルートです。今回、バイクで走ってルートを確かめてみました。この猛暑、バイクとは言え刺すような日射でした。

     スタート地点の交流館バス停留所        田布施川右岸を上流に向け走る
 

 まずは、交流館から田布施町役場前を通って、詩情公園を左に見ながら田布施川の右岸をどんどん上流に向けて進みました。30分位堤防の道を進むと、田んぼアートが見下ろせる場所に着きました。古代米(有色米)を使ったアートですので、秋にならないと何が描かれているのか分かりません。去年10月の田布施町ウォーキング大会の時は、はっきり見ることができました。

  何かが描かれているようですが、秋にならないとはっきり分からない田んぼアート


 田んぼアートを見下ろした後、国森古墳の入口まで行きました。下見の時は古墳まで登るつもりです。続いて、石走山古墳の入口まで行きました。ここも下見の時は、古墳まで行くつもりです。石走山古墳を過ぎると、山陽本線の上をまたぐ陸橋を渡りました。

     国森古墳入口の案内板         石走山古墳入口、階段を登ると古墳に
 

 私が中学高校の頃、山陽本線をまたぐこの陸橋はありませんでした。何年か前に農免農道として開通したのではないかと思います。この陸橋のおかげで、西田布施から城南や宿井方面へ行きやすくなりました。ただ、それほど走っている車がいません。

            陸橋から、田布施川,山陽本線,城南,そして石城山を見て


 陸橋を過ぎてしばらく行くと、右手に行く舗装道路があります。その道を右手に100m位行くと後井古墳があります。今回はルート探索が目的ですのでスキップしました。陸橋からの道路を直線にどんどん進むと、田布施苑に行く道が見えてきます。本番ウォーキングでは、田布施苑でトイレ休憩する予定でいます。

    田布施苑ではトイレ休憩予定           見上げるような富永有燐碑
 

 田布施苑西側の小高い場所に富永有燐の墓地があります。そして、その墓地から下ると瓜迫農業公園があり、その公園の向かいに巨大な富永有燐の碑があります。富永有燐は幕末に吉田松陰などと親交があり、明治以降この地で私塾を開いていたそうです。
 富永有燐碑を確認すると、城南公民館に向かって走りました。途中、田んぼを掘り返しているブルドーザーなどの大型機械がありました。この付近は、古代は海の下でした。半年ほど前の新聞に、この付近の史跡調査で漁具などが発見されたことが載っていました。

   古代は海だった城南の広い田んぼ           終点の城南公民館
 

 前回調査したルートは距離が11kmもありました。全面的に見直した今回のルートは、5.5kmでした。本番では後井古墳にも行くので、トータル6km~7kmになると思います。とても歩きやすい古墳散策を中心にしたルートです。なお、終点の城南公民館から交流館までは車で戻る予定でいます。

            古墳散策を中心としたルート ※橙色矢印は本番で通る道

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