東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 麻郷の防犯パトロールに同行,大岩の見学,妹夫婦来訪

2013年03月31日 | 田舎暮らし

 30日、麻郷公民館館長のA君が運転する防犯パトロール車に同乗させていただきました。車の上にはスピーカーがあり、田布施町の宣伝などの声が響きます。なお、麻郷鳥越地区のKさんも防犯担当として同乗しました。
 私が中学生時代、田布施農工高等学校(当時、下松工業高等学校田布施分校)が建築中でした。学校からの帰り道、A君と私はその工事現場で遊んだ事がありました。パトロール中、そんな話などをしました。

   電柱の海抜2m表示(八海地区)       出発地点の中央公民館に帰着
 

 A君は麻郷公民館の館長を5年近く勤め、今回の防犯パトロールが最後の仕事とのことです。パトロールしながら地域の方々から声をかけられたり手を振られたりする様子から、地域のために頑張ってきたことがよく分かります。これまで本当にご苦労様でした。
 ここ数日、退職する同級生を数名訪ねました。役場勤務の人,保育園の園長先生,学校の先生など・・・・それぞれ「ご苦労さんじゃったね。」と声をかけました。

     防犯パトロールした道を思い出しながら、バイクで走った麻郷の道(GPS)


 防犯パトロールは午前中に終わりました。私は昼食後、パトロールした順路を思い出しながらもう一度そのルートをバイクで辿ってみました。山口県に帰ってから1年も経っておらず、まだまだ麻郷の道を思い出せません。古い記憶をたどりながら、バイクで同じ道を走ってみました。
 辿る途中、A君から聞いた「大岩」を見学することにしました。竹重地区のお地蔵様傍にある大岩の案内表示をたどって大岩まで行きました。この大岩、私が小学生の頃に一度見たかも知れません。竹重地区の友達の家に遊びに来た時、畑の隅にとても大きな丸い岩があったことをかすかに覚えています。

    お地蔵様傍の大岩への案内表示       畑の向こうに見える丸い大きな岩
 
 
 この大岩、見た感じでは硬い花崗岩です。不思議なことに、地面に接している部分が削れています。古代この地域は海岸でしたので、波で侵食されたのかも知れません。柳井の伊保庄の黒島海岸にこの岩に似た形状の岩がありますので、そうかもしれません。それとも津波?
 ただ、皇座山の山頂にもこれに似た丸い花崗岩の大岩がいくつかあります。皇座山頂の丸い岩は、その高度(527m)から波で侵食されたとは考えられません。津波はまず考えられません。一方、ニューヨークには氷河で運ばれた丸い巨岩(迷子石)が所々にあります。この竹重地区が数万年前氷河に覆われていたのでしょうか?・・・・まったくの謎です。
 この大岩の100m近くにも、丸い巨岩が半ば露出しています。私の想像ですが、この地域には花崗岩が何万年もかけて風化してできた砂が多いことから考えて、より固い花崗岩が風化せずに岩として残ったのかも知れません。地下がどうなっているのか知りたいところです。氷山のように、先頭のほんの一部がこの大岩かも知れません。麻郷の第一の不思議だと思います。

              地面に接する部分が削れた丸く巨大な岩、なぜここに?


 巡回パトロールで、ほとんどすべての麻郷地区を回りました。回ったコースの中に、去年の田布施川沿い史跡めぐりウォーキングで歩いたコースの一部がありました。麻郷小学校の前身である成器堂跡の正面を通る道です。
 防犯パトロールの後半、蓮輪地区から鳥越地区に向かう途中、耕作放棄された田んぼがたくさんありました。その耕作放棄された田んぼには一面雑草が生い茂っていました。その雑草の向こうに真新しい麻郷小学校の校舎が見えました。立派な校舎とたくさんの耕作放棄田、は真逆の光景です。

   麻郷小学校の前身、成器堂跡     耕作放棄田の向こうに新しい麻郷小学校
 

 ところで、お昼に妹夫婦と姪がやって来ました。そして、久しぶりに談笑しました。妹の夫は県職員で、この4月から徳山に転勤とのこと。あと2年で定年です。一緒に来た姪は、この4月から仕事に就きます。妹夫婦は、これで子供達3人全員を社会に送り出すことになります。これまでの子育て、ご苦労様でした。年齢的にも、今までのようには無理がきかなくなります。これからは、健康を第一にして仕事をして欲しいと思います。

            久しぶりに会って談笑した、私の母親,妹夫婦,そして姪

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籾殻堆肥、畑を耕耘して混ぜ込む

2013年03月30日 | 草刈り,整地

 近所に住んでいるSさんに籾殻堆肥をいただきました。その堆肥を畑にばらまいて、耕す作業をしました。堆肥をスコップですくってばらまくのは時間がかかります。その後、耕運機で土に混ぜ込むのにも時間がかかります。このため、久しぶりにトラクタを使って作業しました。

      Sさんにいただいた籾殻堆肥            トラクタで耕運開始
 

 最初、トラクタのシャベルで籾殻堆肥をすくってばらまいたり、シャベルを地面すれすれに降ろして堆肥を後ろに引きずるようにばらまきました。まったく均等にとは言えませんが、堆肥を畑全体にばらまきました。籾殻堆肥は発酵して熱を持っているため、シャベルですくうと湯気がたちました。

            籾殻堆肥を、シャベルですくったり手前に薄く引いてばらまく


 籾殻堆肥をほぼ均等に畑にばらまくと、今度はトラクタのロータリーを使って耕耘しました。5月頃、この畑には陸稲(うるち)の種をまく予定です。去年の秋、脱穀して採種した種籾をまきます。去年、陸稲を作ったのですが収量はよくありませんでした。今年は、もう少し収量を上げる工夫をしてみるつもりでいます。

           トラクタのロータリーを使って、堆肥を土に混ぜなから耕耘完了

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枯草空き地を耕耘して、埋没した黒マルチ片を収集

2013年03月29日 | 草刈り,整地

 冬の間にハンマーナイフモアを使って枯草を刈り取った空き地、地表のゴミはほとんど取りました。今回は地中に埋没した黒マルチを取る作業をしました。10年位前のことだと思いますが、父親が雑草が生えないようにと黒マルチを畑に貼りました。その黒マルチ、長年の間に枯草や枯根などの下の埋没してしまいました。地表からは見えず、手やクワを使っても容易には取れません。その埋没した黒マルチを耕耘機を使って掘り起こしました。

  耕耘機、移動車輪からロータリーに        埋没した黒マルチを掘り起こす
 

 我家から持ってきた耕耘機、移動車輪からロータリーに切り替えました。そして、黒マルチが貼られていたと思われる場所を掘り起こしました。すると、黒マルチの破片が地上にどんどん出てきました。掘り起こした後、いったん耕耘機を止めました。そして、ビニール袋の中にその黒マルチの破片を収集して入れました。土の中にも混じり込んでいますので、手グワで土をかき混ぜながらの収集です。

             地中から次々に出てきた、黒マルチ片


 黒マルチの破片収集後、もう一度耕耘機で掘り起こしました。そして、地中に残った黒マルチを残らず収集しました。とにかく腰を下ろしての作業ですので、腰が痛くてたまりません。それでも作業していると、だいぶ畑が綺麗になりました。この畑に何を植えようか考えています。栗か、オリーブか、サトウカエデ(メープルシロップ)か、胡桃か、ナッツ類を植えようか、あまり手間のかからない栽培植物が良いと思っています。

        地表に出た黒マルチ片をゴミ袋に収集、あまりの量に腰が痛くなる

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古いSONY製トランジスタラジオ TR-610の修理(2/6)

2013年03月28日 | 古ラジオ修理工房

このSONY製トランジスタラジオ TR-610の修理履歴です。それぞれをクリックしてください。
  修理(1/6) 修理(2/6)  修理(3/6) 修理(4/6)
  修理(5/6) 修理(6/6)

 今日は一日中雨でしたので、電池を入れても全く音が出ないSONY製トランジスタラジオ TR-610の修理をしました。まずは内部の基板を取り出して、使われている部品などを調査することにしました。ざっと見て、基幹部品であるトランジスタは、JIS規格の前のものが使われていました。SONY独自に命名したトランジスタです。
 OSCコイルは、シールドされていない古いタイプのものです。この当時、まだまだ使われていた真空管ラジオのOSCコイルはシールドされていません。その形を引きずっているのではないかと思います。このOSCコイル、フェライトコア部が欠損していました。

  トランジスタラジオ TR-610から取り出した基板、矢印はコアが欠損したOSC


 使われているトランジスタを調査しました。欠損したOSCコイルの隣りにあるのは、周波数変換用トランジスタの2T73です。第1 IF増幅用には2T75、そして第2 IF増幅には2T76が使われていました。初段電圧増幅用として2T64が使われていました。

    左から、2T76,2T75,2T64            周波数変換用2T73
 

 次に、音声出力関連のトランジスタを調査しました。2T66が2個使われており、B級PP構成になっていました。安価にラジオを製造するため、A級出力にしているものがあります。A級出力にするとトランジスタを1個省くことができます。しかし、このA級出力は電気を常時流しているため電池がすぐに無くなります。このため、このトランジスタラジオTR-610のようなB級PP構成は正解です。なお、温度補償用バリスタとして1T52が使われていました。

     2T66を2個使ってB級PP構成、黒色のものは温度補償用バリスタ1T52


 昭和30年代初め、トランジスタの統一規格はありませんでした。トランジスタのJIS規格の登場により、2T73,2T75,2T76,2T64はそれぞれ、2SC73,2SC75,2SC76,2SD64になりました。これら、トランジスタ名称統一の過程を見ると、日本のトランジスタ開発史をみる思いです。

     2T73,2T75,2T76の規格                2T66の規格
 

 SONYのトランジスタが面白いのは、どれもNPN型トランジスタです。他メーカーはPNP型ばかりなのが不思議です。型の不統一は、当初トランジスタの製造がアメリカ(RCA,FC,WHなど)やヨーロッパからのライセンス生産から始まったためではないかと思われます。なお、高周波用のトランジスタを安定的に作ることができたのは、SONYだけだったようです。

        2T64の規格              温度補償用バリスタ1T52の規格
 

 使われているトランジスタの調査を終えて、スピーカ端子のショートを防ぐためのシートを元の位置に貼っておきました。当時のラジオ製造はカット&トライの連続だったでしょうから、製造してみて初めてこの不具合に気がついたのでしょう。一時的な対策として、このシートを貼るらざるを得なかったのではないかと思います。このTR-610の後期製造品は改善されていると思われます。
 私はかつて、テレビ製造現場の試作ラインにいたことがあります。新製品を試作ラインで組み立てて、製造するための工数,必要な人数や工具,工程などを測ります。これを測ることによって、より正確なコストが分かると共に綿密な製造計画を立てることができます。新製品製造時、思わぬ製造不具合が発生することはそう珍しいことではありませんでした。製造ラインを止めて、みんなピリピリしながら対策をしました。その時の、怒号が飛びかうような熱気あふれる緊張感を今でも思い出します。

         スピーカ端子のショートを防ぐためのシートを元の位置に貼る

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柳井市 稲荷山公園,石鎚大権現,六道地蔵などを散策

2013年03月27日 | 歴史探訪他ウォーキング

 24日、六道地蔵で餅まきやお接待があるので行ってみました。しかし、着いた時にはすでに終わっていました。残念!私以外にも、お年寄り二人組が残念だったようです。

 六道地蔵に行く途中、稲荷山公園にある稲荷山神社に寄りました。JR柳井駅から歩き始め、姫田川を通り過ぎて、柳井簡易裁判所近くから稲荷山公園への山道を歩きました。車も通ることができる上り坂を、ゆっくりと景色を楽しみながら歩きました。

      柳井簡易裁判所前を通る         稲荷山公園へのゆっくりとした上り坂
 

 稲荷山公園に着くと少し休憩しました。公園内の稲荷山神社入口近くは、見晴らしが良いので休憩にはちょうど良い地点です。発電所,茶臼山古墳などが見えました。その向こうには瀬戸内海が見えました。

        茶臼山古墳,火力発電所などが見える,その向こうには海が


 景色を見終わると、稲荷山神社をお参りしました。この神社は、真っ赤な鳥居群が特長です。たくさんの赤い鳥居を潜り抜けると本殿がありました。この神社をお参りしたのは初めてだと思いますが、遠くからでも目立つ鳥居は市街から見たような記憶があります。どの鳥居も建築年が昭和50年頃ですので、その頃に建て替えられたのではないかと思います。

          真っ赤な鳥居に囲まれながら、急な石階段を本殿に向かう


 鳥居群は、石階段と稲荷山公園の二か所に立っています。車で来る人のために、鳥居群が新たに公園にも建てられたのでしょう。稲荷山神社を参拝すると、六道地蔵に向かう道を登りました。同じ勾配の坂道が延々と続くので、さすがに暑くなりました。そこで、一枚上着を脱いで歩き続けました。

     車で参拝する人が通る鳥居群            同じ勾配の坂道が延々と
 

 一時間位歩いたでしょうか、三ヶ岳や琴石山がすぐ近くに見えるようになりました。だいぶ高くまで登ってきたようです。最初、石鎚大権現をお参りしました。四国にある石鎚山と関連があるとのこと。大きな岩がご神体のようです。

               大きな岩がご神体でしょうか、石鎚大権現


 石鎚大権現の次に、すぐ近くにある六道地蔵を訪れました。このお地蔵様は岩に彫られたお地蔵様で、今は岩ごと建物にすっぽり覆われています。200年以上前に、柳井で最も古い普慶寺の住職が岩にお地蔵様を彫って奉ったそうです。しかし、長い年月の間に忘れ去られしまいました。近年、岩ごと土に埋まったお地蔵様が発見されてから、今のように再び奉られるようになったとのことです。建物の扉を開けて中にそっと入ると、岩に彫られたお地蔵様を拝謁することができました。

      六道地蔵が奉られた建物            六道地蔵近くの信ヶ峠展望台
 

 巨岩に掘られた六道地蔵を拝んだ後、近くの広場で休みました。この六道地蔵前で餅まきやお接待があるのですが、着いたのが遅かったためすでに終わってしまったようです。少しがっかりしました。この広場に、私と同じようにがっかりしたお年寄り二人がいました。

  信ヶ峠展望台から見下ろした景色、発電所,柳井病院,大星山などがよく見える


 そのお年寄り二人は、柳井市街からわざわざ林道を歩いて六道地蔵まで来たとのこと。「招待状のハガキに『1時に~』と書いてあったので来たのに、着いたらもう終わっていた。去年までは少しくらい遅くなってもやっていたのにねえ。どうしただろう。」などと、残念そうに話をしていました。主催者の何らかの都合で、早めに終わってしまったようです。ほとんどの方は車で来たようですが、このお年寄りは林道を延々と歩いて来たので少し可哀そうでした。お年寄り二人にお話しを聞くと、昔に比べて参加者がだいぶ減っているとのことでした。
 六道地蔵の後、信ヶ峠展望台で眺望を楽しみました。そして、三ヶ岳をウォーキングした時に歩いた下山道を通って柳井市街に戻りました。途中、三ヶ岳の山頂が見えました。

  残念そうだった、山を下るお年寄り二人       三ヶ岳山頂を見つつ下山
 

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絹さやインゲン、スナップインゲンなどの支柱立て

2013年03月26日 | 野菜:豆類ほか

 秋に種をまいた絹さやインゲン豆,スナップインゲン,グリーンピースがだいぶ育ってきました。からまる枝を捜してヒゲを伸ばすようになりました。このため、誘引するための竹枝を立てることにしました。最初、竹枝を支えるための支柱を立てました。この畑は砂質のため雨が降ると支柱が緩みます。緩まないように支柱を木槌で叩いて打ち込みました。

      ヒゲを伸ばし始めたインゲン豆        木槌で支柱を叩き込む
 

 支柱をx字型に叩き込むと、横に支柱を通しました。支柱や横棒が緩まないように、麻縄でしっかりと結びます。なお八王子に住んでいた時、畑傍に笹がたくさん生えていましたので、その笹を支柱として使いました。山口県の我家には笹がありません。やむなく市販の支柱を使いました。

              竹枝を支えるため、市販の支柱を立てて麻縄で固定


 支柱を立てると、インゲン豆がからまりながら成長する竹枝を取り付けました。竹林から3本の竹を切り出しました。そして、それぞれを二つに分割して6本の竹枝にしました。その6本の竹枝、インゲン豆を傷めないように支柱下に刺し込みました。

  絹さやインゲン豆用の竹枝を取り付け    スナップ/グリーンピース用の竹枝
 

 インゲン豆がヒゲをからませる竹枝をそれぞれの支柱に固定しました。この畑は風がよく吹くので、麻縄でしっかりと固定しました。うまくインゲン豆が成長すれば、5月には美味しい絹さやインゲン豆,スナップインゲン,そしてグリーンピースが収穫できるのではないかと思います。特に、絹さやインゲン豆は花が綺麗ですので、絹さやの収穫も楽しみですが、咲いた花を鑑賞することも楽しみです。

       二つの畝の竹枝を取り付け完了、ヒゲがうまく巻きついて欲しいものです

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春、花が咲き始めた庭や山

2013年03月25日 | 田舎暮らし

 このところ気候がどんどん暖かくなっているためか、いろんな花が咲くようになりました。秋遅くに種をまいたヒナゲシが花を咲かせています。最初黄色の花が咲き、続いて橙色の花がさきました。今度は白い花が今にも咲きそうです。ひなげしは、花びらが紙切れのように薄くて可憐です。咲いた花の地表をよく見ると、つぼみを覆っていた殻が落ちていました。
 同じ頃に種をまいたスイトピーやルピナスは、まだ小さいままです。ヒナゲシの種は極小にもかかわらず、冬の間に葉を茂らせてもう花を咲かせました。

        橙色のひなげしの花              最初に咲いた黄色のひなげし
 

 山に行くと、樒(しきび)の花が咲いていました。しきびの木や葉は知っていましたが、花を見るのは初めてです。不思議な形の実は知っていたのですが、花は今回初めて見ました。仏様に生けるため、父親がこの木をあちこちに植えたようです。なお、実には毒があるそうです。

              不思議な形の実がなる、樒(しきび)の花


 続いて、山にたくさん生えている非榊(ひさかき)の花が満開です。私には分からないのですが、この花は臭いがあるらしく嫌いな人がいます。この木の葉は、やはり仏様に生けます。本当の榊ではないので、非榊(ひさかき)と言うそうです。榊はまだ花を咲かせていません。5月頃に花を咲かせます。

              独特の臭いがあるらしい、非榊(ひさかき)の花


 東京では、もう桜が満開だそうです。入学式の頃には散っているかも知れないとのこと。しかし、我家を囲むように植えてある桜は、今のところ一分咲きです。一週間後頃に満開になるようです。
 庭に植えてあるユスラウメの花が満開です。初夏には、豆粒ほどの赤い実が実ります。すっぱ味のある美味しく甘い実です。でも小鳥達が食べるのか、いつの間にか実が無くなってしまいます。

   満開のユスラウメ、初夏赤い実          まだ一分咲きの桜(染井吉野)   
 

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椎茸(しいたけ)菌の種駒を原木に接種(3/3)

2013年03月24日 | 田舎暮らし

 椎茸菌の種駒を原木の打ち込むのは3月が最後です。専門家ではないのでその理由はよく分かりませんが、おそらく雑菌が入り込みやすいからかも知れません。また、椎茸菌が生育できる温度や湿度とも関係あるかも知れません。原木に椎茸菌を早くはびこさせることが大事だそうです。今年最後の種駒を打ち込みました。

     切断面にチョークでマーキング    マーキングに沿うよう種駒を打ち込み
 

 いつものように原木の切断面にチョークでマーキングしました。そして、そのマーキングに沿うように原木の円柱線上にドリルで等間隔で穴を開けました。作業小屋に下ろした原木に全て種駒を打ち込むと、山に置いたままにした原木に種駒を打ちました。その原木は重すぎて作業小屋まで下ろせなかった原木です。100Vの電源が無いので、充電式ドリルで穴を開けました。

              山の中で、椎茸の種駒を打ち込むための穴を開ける


 ところで、100V電源を使う電気ドリルに購入日付が貼り付けてあるのに気がつきました。1984/8/4の日付です。今から30年ほど前です。結婚して一年後頃に購入したようです。何かを工作するために購入したようですが、すぐには思い出せませんでした。
 一つだけ思い当りました。それは、赤ん坊だった娘のために作った幼児用の小さな木製の椅子です。その椅子を製作するために購入したのです。東京のJR東青梅駅近くの賃貸マンションに住んでいた頃のことです。この電気ドリルに付いた日付を見て、思わず当時を思い出してしまいました。せっかく丹精込めて作った椅子でしたが、娘が大きくなるのが早く、1年位しか座れませんでした。

     1984/8/4購入の電気ドリル    この頃、娘に椅子を作る(1984/8/19)
 

 種駒を打ち込んだ原木は一年位寝かせます。その一年の間に、椎茸菌が原木に浸透すれば二年後には立派な椎茸が生えます。私は素人ですので、それほど立派な椎茸を作れるとは思いませんが、自宅で消費したり親しい人にあげる程度の椎茸は作れるのではないかと思っています。種駒を植え付けた原木を積み重ねて、光が入らない浸透性の黒いシートを被せておきました。一年後、ちゃんと椎茸菌が原木に浸透しているでしょうか。楽しみなようで心配です。

       積み重ね、光が入らない浸透性の黒いシートを被せた原木

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柳井市 お大師様(おだいっさー)詣り,国木田独歩旧宅,普慶寺,柳と井戸などを散策

2013年03月23日 | 歴史探訪他ウォーキング



 柳井市のお大師様(おだいっさー)をお詣りしてきました。昔、毎年3月21日のお大師様縁日には大勢の善男善女で賑わったそうです。ところで、11月1月のウォーキング途中に2度もこの金剛寺にお詣りしたので、今回お詣りしようかどうしようかと迷っていました。そんな中、友達のYさんから「お大師様の縁日ですよ」とのメールが入りました。そのメールに背中を押されて、今回お詣りすることにしました。

   柳井最古のお寺と言われる普慶寺     国木田独歩が約2年間住んだ旧宅
 

 せっかくなのでウォーキングルートを考えながら歩きました。スタートするのは姫田川で、旧丸久があった場所です。最初に、柳井最古のお寺と言われる普慶寺を訪れました。そして次に、丘の上にある国木田独歩の旧宅に行きました。普慶寺を南に見下ろす場所に、その旧宅はありました。国木田独歩は毎日のように普慶寺を見下ろしたはずです。

              広々とした「おかのうえ公園」、すぐ傍には田んぼが


 国木田独歩旧宅を見学後、「おかのうえ公園」を散策しました。近くには田んぼがあり、展望が良い広々とした公園です。滑り台やジャングルジムなどの遊具がたくさんありました。放課後になると、たくさんの子供が遊びに来るのではないかと思います。

  金剛寺前のたこ焼きなどの露店           金剛寺の石段を上る
 

 「おかのうえ公園」を過ぎると、まっすぐ金剛寺に向かいました。私が幼児の頃は金剛寺に向かう道すがら、たくさんのお接待があったそうです。子供には飴が配られていたそうです。今回お詣りして、思っていたよりは静かでした。しかし、露店が数店あり、昔の賑やかさがわずかに残っていました。足の悪い方がたった一人、一生懸命に石段を休みながらも一歩一歩登っている姿が印象的でした。

              信者の方でしょうか、数人が手鐘を鳴らしながら合唱  


 金剛寺の本堂では、信者の方でしょうか数人の方がお坊さんの手の動きに合わせて、合唱していました。私は、幼児の頃にお詣りしたのでお祈りの仕方が分かりません。しばらく、お詣りする方々のお祈りを見させてもらいました。その後しばらくして、お寺を囲むように山を回る八十八か所を回りました。一番から八十八番まで回りました。

     回る途中、たくさんのお地蔵様             山の頂上付近の岩
 

 お詣りコースを登っている途中、前回ウォーキングした三ヶ岳への分岐点に来ました。今回は、その場所からお詣りコースをさらに歩きました。しばらく歩くと、下りになりました。途中に見晴らしの良い石のベンチがありました。そこで数分休憩しました。眼下に柳井湾が広がっていました。遠くの島や発電所などの建物がよく見えました。

      一番~八十八番の詣りコースの途中、眼下に広がる柳井湾を見下ろして


 再びお詣りコースを歩き、一周して金剛寺に戻りました。お詣りの最後、どうしても八十五番個所が見つからなく困っていました。そんな時、親切な方に出会って八十五番個所を教えていただきました。なんと、お詣りコースから200m近く離れた場所に八十五番箇所だけがポツンとありました。ほとんどの方は知らないと思われます。八十五番をお詣りして、コースに戻りました。そして無事八十八番個所に着きました。

        最後の八十八番個所               お線香を立てる
 

 一番~八十八番箇所すべてのお詣りを終えると、お線香を立てました。背中を押してくれたYさんの分のお線香も立てておきました。その時、ビンを持って来ていればよかったなあと思いました。煙をビンに収めて後日Yさんに渡せたのですが。お線香の煙を浴びた後、鐘を鳴らして家路につきました。

             満開桜の隣りの鐘つき堂、一回だけ鳴らしてみる


 帰る時、少し寄り道しました。サンビーム柳井,柳井小学校,「柳井」の名前の元になったといわれる柳と井戸,そして誓光寺などです。
 私は、以前歩いた場所をウォーキングする時、いつも新しい別ルートを探索しながら歩きます。みんなとウォーキングするならば、このコースが良いかなとか,あのコースがいいかなあ、などと考えながら歩くのが好きです。来年のいつか、この付近をみんなと一緒にウォーキングできればと思っています。

       柳井」の名の元、柳と井戸           伽藍が見事な誓光寺
 

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田布施川沿い史跡めぐりウォーキング8回シリーズ(その3)の下見

2013年03月22日 | 歴史探訪他ウォーキング

 来月4月、田布施川沿い史跡めぐりウォーキング8回シリーズの3回目をします。そのための下見をしてきました。最初、麻郷の八海バス停から国道188号線に沿って鳥越に向かって歩き、麻郷護国神社(惣田山招魂社)に行きました。この麻郷護国神社には、明治維新の戊辰戦争で亡くなった方などが祀られています。歴史上有名な方も祀られています。

     スタート地点の麻郷八海バス停            物静かな麻郷護国神社
 

 麻郷護国神社は小高い丘の上にあります。私が子供の頃、この丘から見下ろすと田んぼや海が良く見えました。しかし、今は工場ばかり見えるのは残念です。ところで、ここに最も早く祀られた方は、戊辰戦争で亡くなった第二奇兵隊関連の方です。亡くなった場所が「越後」と刻んである方は、今の新潟で亡くなったのでしょう。当時、越後の長岡藩で激しい戦闘がありました。NHKドラマ「八重の桜」に関わる奥州列藩同盟の遠因となった世良修蔵の碑もひっそりと立っています。10日後の4月1日、これら亡くなった方々を供養する慰霊祭があります。

             明治維新の戊辰戦争などで亡くなった方々の碑


 次に鳥越から高塔に向かって歩きました。しばらく歩くと、国木田独歩が滞在していた吉見家跡の碑があります。目立たない碑ですので、車に乗っていると気がつかないほどです。続いて、麻郷中学校跡地に行きました。麻郷村が田布施町に合併するまで、ここに中学校がありました。私が子供の頃、まだ校舎が残っており子供会などの行事に使われていました。その後一時的に養鶏場になり、今は大晃機械の工場になっています。大晃機械の隅にひっそりと、麻郷中学碑が立っています。

        国木田独歩吉見家跡碑             人島橋跡に建つお地蔵様
 

 麻郷中学校跡を過ぎしばらく歩いて、人島橋跡地にひっそりと立つお地蔵様に行きました。このお地蔵さま前の道には、江戸時代に平生方面に行く唯一の橋(文化九年申三月十?年1812年に架橋、昭和2年1927年に再架橋)が架かっていました。江戸時代の古地図によると、当時は八海から竪ヶ浜までの一帯は海でした。このお地蔵様あたりから、熊毛南高校に至る土手が海岸線だったようです。もちろん今の八海橋はない時代です。

                     約40年前、昭和49年(1974)の高塔地区北部
          田布施川に残る
人島橋の朽ち果てた橋げた(黄丸の部分)

 私が子供の頃、平生に行く時はここに架かっていた人島橋を渡っていました。また、この橋の付近で貝(しじみ)をよく取っていました。しかし、この橋は再建されずに朽ち果ててしまいました。このあたり、今では橋があったとは思えないほど様変わりしてしまいました。

             ヒバリの鳴く、広い田んぼの真ん中をウォーキング


 人島橋跡の後、少し道を戻って広々した田んぼの中を歩きました。朝は豪雨だったのですが、午後は少しずつ晴れてきました。ヒバリが空を飛びながら、ピーチクピーチクとうるさいほど鳴いていました。この広々した田んぼのどこかに巣を作っているのかも、あるいはもう巣があり子育てしているのかも知れません。しばらく広い田んぼのど真ん中を歩くと、田布施川堤防に着きました。その堤防を歩いて川添橋近くにある河川工事碑に行きました。

     川添橋近くの田布施川工事碑            浮島神社の石段と鳥居
 

 田布施川工事碑を見学した後、浮島神社に向かいました。この「浮島」と言う名前は不思議です。この田布施平野には「島」や「浜」など海に関係する名がつく地区がたくさんあります。一例として「人島」地区があります。平生町の地区で、古代には島だった地区です。このため、浮島も古代には島だったのは間違いありません。ただ、「浮島」と言う名前が何故なのかは分かりません。浮島神社の力石や江良碧松(えらへきしょう)碑を見た後、再び田布施川堤防に戻りました。

           広々とした田布施川と、その堤防をのんびりとウォーキング
              左下は、歩いた距離を測るウォーキングメーター



 田布施川の堤防を過ぎて、新関戸橋を渡りました。今度は田布施川の左岸の堤防を降りて、その草地を歩きました。草を食むのか、たくさんのカモが草地にいました。私が歩いて迫ると、驚いたのか一斉にカモが群れ飛んでいきました。4月7日は田布施町恒例のさくら祭りです。この堤防沿いに植えられた桜が一斉に咲きます。私も4月7日、さくら祭りに行きます。

              たくさんのカモが群れていた堤防沿いの草地


 次に、橋を渡りハミングロードに沿って歩きました。少しお腹がすいたので、交流館を覗いてみました。私の好きなメロンパンは売り切れでしたので、シュガーラスクを買いました。そして、田布施川を見下ろすハミングロードの長椅子に座って食べました。初めての休憩です。この頃になると少し足が疲れてきました。食べ終わると、すぐ先に見える、終点の田布施町役場に向かいました。そして、ついでに田布施駅まで行ってみました。スタートポイントの麻郷八海から田布施町役場まで6.2kmで、JR田布施駅まで6.7kmでした。いつものウォーキングより距離が短いので、本番ウォーキングでは詩情公園を追加してもよいかも知れません。

     交流館傍のハミングロード            終点の田布施町役場
 

 歩いたルートは、下記GPS地図の紫線のコースです。右下の麻郷八海から左上の田布施駅まで歩きました。なお、田布施川史跡めぐりの次回(シリーズ4回目)は、今回歩いた反対側の田布施川左岸を6月に歩く予定です。




下は、会報3月号(ハガキ版)です。

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時期が少し遅れた、種ジャガイモの植え付け

2013年03月21日 | 野菜:芋類



 時期が少し遅れてしまいましたが、ジャガイモの種芋を植え付けました。去年は、まだ東京に住んでいましたので山口県に帰省した今頃に種芋を植え付けしました。ジャガイモの品種は、去年はキタアカリでしたが、今年はベニアカリと はるかです。ベニアカリはやや皮が赤みを帯びています。かつて作ったアンデスによく似ている品種です。

      植え付けるため、畑を耕耘         植え付けた2つのジャガイモ品種
 

 最初、植え付ける場所を耕運機で耕しました。冬の間に耕しておいたので、土が柔らかく楽に耕耘できました。耕耘が終わると、平クワで種ジャガイモを植える溝を作りました。ジャガイモは芽や葉が伸びるたびに土寄せするため、畝は作りません。

                  平クワで種ジャガイモを植える溝を作る


 溝を作り終わると、いよいよ種ジャガイモを植え付けます。予め種ジャガイモを2等分するなど切断しますが、今年は畑が小さいのでそのまま植えました。種ジャガイモを植え終わると、平クワで土を被せました。4月中旬には芽が出ると思います。ジャガイモを切断しなかったので、たくさんの芽が出ると思います。このため、芽欠き作業が欠かせません。何度か土寄せをして、初夏には美味しいジャガイモを収穫できる予定です。

     種ジャガイモを溝に置く               種ジャガイモに土を被せる
 

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春、花が咲き始めた野菜や山野草の花

2013年03月20日 | 花,野草

 もうすぐ春分の日です。春を感じさせる暖かい日々が続くようになりました。それにつれて、畑や山でいろいろな植物の花が咲くようになりました。そして、花の匂いが漂うようになりました。のんびりと日差しを浴びながら、野菜や草木の花を愛でるのもいいものです。

                小松菜の花、菜の花にそっくりの花が今咲いています


 花壇でも、いろいろな花が咲くようになりました。クロッカスは今黄色の花が咲いています。紫や白の花はこれから咲くようです。スイセンの花も咲くようになりました。我家には4種類のスイセンが植えてあります。比較的小型のスイセンが咲いています。ラッパ水仙は来週頃から咲き始めるようです。
 
     花を咲かせている小型の水仙1        花を咲かせている小型の水仙2
 

 今、一番賑やかに花を咲かせているのはレンギョウです。すべての枝が満開です。遠くから見ると、木全体が黄色に見えます。一週間位咲き続け、花が散ると今度は新芽が伸びてきます。新芽はどんどん伸びるので、毎年の剪定が大変です。

              すべての枝に花が咲き乱れる、レンギョウの黄色い花


 園芸種の植物は、比較的大きい花が咲きます。それに比べて山野草は小さな花が目立たないように咲いています。しかし、群生してたくさん咲いていると遠くからみても目立ちます。今、オオイヌノフグリとホトケノザがあちこちで咲いています。

 青色の花が目立つオオイヌノフグリ          ピンク色が綺麗なホトケノザ
 

 最もポピュラーな花は、つくし(正確にはスギナで花ではないのですが)とタンポポではないでしょうか。空き地のあちこちに生えています。我家近くのタンポポは西洋タンポポです。山裾に生えている白いタンポポは在来種ですが、残念ながら我家近くには生えていません。去年まで住んでいた八王子には在来種の関東タンポポがたくさん生えていました。

     土手に生えたつくし(スギナ)          我家付近に生えた西洋タンポポ
 

 木に咲く花では、1月に咲く蝋梅が既に散り、3月に咲く梅や紅梅もすでに散り始めています。今は、レンギョウに加えてボケが満開です。我家のボケは桜よりも濃いピンクが特長です。桜は中央部が濃い色のものがありますが、我家のボケは中央部ではなく花びらの周辺がわずかに濃い色をしています。

               満開のボケの花、我家のボケは濃いピンクが特長


 普通の桜は4月始めに満開になります。しかし、2月に苗を購入して植えたサクランボは、今が満開です。花が咲くのは来年かと思っていたので意外です。まさかサクランボの実はならないと思います。八王子に住んでいた時、庭にサクランボを植えたことがあります。赤いサクランボの実がなったときは嬉しくて仕方ありませんでした。この山口県でもサクランボが実るでしょうか。

               満開のサクランボの花、はたして実がなるでしょうか?

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上関町史跡めぐりと上盛山ウォーキング

2013年03月19日 | 歴史探訪他ウォーキング

 17日、上関町の史跡と上盛山を7人でウォーキングしてきました。平生イオンタウンに9:30に集合し、車3台に分乗して上関町四階楼近くの駐車場に行きました。
 下見した時と同様に、この駐車場がウォーキングのスタート地点です。最初に常満寺の大銀杏を見学しました。住職と思われる方に説明を受けました。それによると、この大銀杏はもともとは、今の地下5m位の場所に生えていたそうです。お寺の増築時、高さ5mまで土を盛ったため今のようになったそうです。常満寺の大銀杏の見学が終わると、上関大橋を歩いて渡りました。強い風が吹いており、しかも数十メートル下に海面が見下ろせました。恐る恐る橋を渡りました。

  最初、常満寺の大銀杏を見学      上関大橋の上、恐る恐る渡る
 

 ところで、この日の朝とんでもない事がありました。さあ上関に行くぞ!と車を動かそうとすると、車がピクリとも動きません。何とバッテリーが上っていたのです。一週間ほど前、ルームランプを点灯したまま消し忘れたことに気がつきました。何と言うことでしょう!パニクってしまい気持ちが動転してしまいました。
 そんな中、農耕用トラクタに大型バッテリーが付いていることを思い出しました。急遽トラクタからバッテリーを取り外しました。しかし、自家用車のバッテリーと規格が全く違います。自家用車には取り付けできません。緊急事態ですので、取り外したトラクタのバッテリーと自家用車のバッテリを、探してきた電線で繋ぎました。そして、キーを入れると嬉しいことにエンジンが動きました。やったー!   しかし、一度でもエンジンを止めると、再びエンジンを動かすことができません。このため仲間を乗せて上関に着くまで、ずっとエンジンを動かし続けました。とにかく気持ちが動転しまくりの、上関ウォーキングの朝でした。

   沖の浜の綺麗な砂浜にて、海抜0のこの砂浜から315mの上盛山へ          


 上関大橋を渡ると、今回は六人塚をスキップして沖の浜の砂浜に行きました。そこで立ち話しながら、横島,平群島,八島などを見渡しました。今回は霞がかかり四国は見えませんでした。釣り船は一隻しか見えませんでした。砂浜は海抜0mです。ここから、上盛山315mまで登ります。一か所だけ少し降りて、「7人のお地蔵様」横を通りました。お地蔵様から再び、急坂を上りました。しばらく歩くと、上盛山への遊歩道に着きました。

  7人のお地蔵様」横を通る      ようやく上盛山の展望台に到着
 

 遊歩道手前の広場で5分位の休憩を取りました。これからしばらく急坂が続きます。体が熱くなり汗が出るので、私は上着を一枚脱ぎました。遊歩道を、そして途中から合流した車道を歩きました。みんなと楽しく談笑しながら登ったからでしょうか、それほど時間が経ったように思わないうちに上盛山頂上に12時20分頃到着しました。頂上に着くとすぐ、みんな展望台に登りました。ぐるぐる階段を回って上に登りました。いつもながらの、360°の素晴らしい眺望を楽しむことができました。

     上盛山頂上の展望台で、360°の素晴らしい眺望に囲まれて


 展望台で眺望を楽しんだ後、展望台下の休憩テーブルで昼食を取りました。手作り弁当あり、おにぎりあり、お菓子ありの楽しいお昼休憩でした。私とほぼ同年代の方ばかりですので、自然と子供の頃の話や地域での生活の話に花が咲きました。ウォーキングは体の健康にとても良いですがさらに、こうして和やかに楽しくお話しできることは心の健康にも良いと思います。

 歩いた上関大橋方面を見下ろして      談笑しながらのお昼休憩
 

 上盛山頂上にしばらくいると、少し寒くなってきました。体が冷えないうちに下山することにしました。下山コースはひたすら舗装された車道です。下る途中、五合目あたりにある御汗観音にお参りしました。いつもながら素晴らしい石垣です。どんな人達が作ったのかと思わずにはいられません。この荒削りの石垣を見ていると、八王子城の石垣を思い出します。

       とても見事な石垣の上に建てられた御汗観音


 今回御汗観音をお参りしてとても良いことがありました。毎月17日はお接待の日とのこと。参加者7人全員に、お接待のささげ混ぜご飯がふるまわれました。私は、家に持って帰って夕飯に食べました。とても美味しかったです。御汗観音の後は、ひたすら道を下って上関城山歴史公園に向かいました。

 お接待にいただいたささげ混ぜご飯     立派な石垣の階段を下る
 

 上関城山歴史公園では、昨日桜祭りがあったようです(河津桜)。入口付近にお祭りの旗がまだ残っていました。お祭りが昨日だったにも関わらず、たくさんの人が桜を鑑賞していました。桜は満開をちょっと過ぎた頃でしたが、とても綺麗でした。さらに、土手に植えられたスイセンが満開でした。桜のピンク、そしてスイセンの黄色がとても鮮やかでした。

       河津桜を背に笑顔の7人、このころ天気が下り坂に


 上関城山歴史公園では、満開の河津桜やスイセンに囲まれて20分位休憩をしました。染井吉野桜は花が散った後に葉が展開しますが、河津桜は花が散り始める頃に葉が展開するようです。河津桜の花をよく観察すると、花びらはピンクですが、花芯は赤みがあります。とても鮮やかな花色は、花芯の赤のためではないでしょうか。

      花芯がわずかに赤い、散り始めの満開の河津桜


 上関城山歴史公園で休憩していると、ポツリポツリと小雨が降り始めました。天気予報通り、午後から天気が下り坂に向かっているようです。すぐに出発しました。小雨がぱらつく中、いったん道を登り、竃八幡宮行きました。そして、右手に旧上関小学校校舎を見ながら石階段を降りました。降りたところは、上関町役場横でした。上関町役場からは、旧道を囲むいわれのある古い建物を左右に見ながら歩きました。

  上関大橋を向こうに,右手に旧上関小学校跡を見つつ、竃八幡宮の石階段にて


   竃八幡宮の石階段を降りる      左右の古い建物を見ながら歩く
 

 時間があれば、NHK連続テレビ小説「鳩子の海」が撮影された箇所の一つである熊毛南高等学校上関分校跡地や旧上関番所などを見る予定でした。しかし天候も悪くなり時間も迫ってきたため、残念ながら割愛しました。ひたすら道を歩き、上関特産物センターに立ち寄った後、再び上関大橋を渡りました。渡っている時、ちょうど下を貨物船が通りました。橋の中央部で手すりに手をかけて、橋下を通過する貨物船を見下ろしました。そして橋を渡り終えた後、橋の袂の吉田松陰碑を見学しました。

        上関大橋の下を通り過ぎる貨物船を見下ろして


 最後に四階楼を見学しました。私が代表として記帳しました。管理人の方が、下見に訪れた私を覚えていました。車輪を回すウォーキングメータのことを覚えていたとのこと。ウォーキングメーターを回している人はあまりいませんので珍しかったのでしょう。急な階段を登りながら各階を管理人の方と一緒に回りました。解説ありがとうございました。
 四階では素敵なステンドグラスに再会です。仲間の一人が、畳の中央に仰向けになって天井彫刻をデジカメに撮っていました。四階楼の見学を終わると、スタート地点である駐車場に戻り解散としました。ほど良い足の疲れのまま談笑しつつ、集合地点の平生イオンタウンまで運転しました。参加者のみなさん、お疲れ様でした。
 
 (追伸)我家から上関到着までの約1時間ずっとエンジンを止めずバッテリーを充電し続けたため、バッテリーは生き返っていました。やれやれ、よかったです!!

  下見以来、再度訪問した四階楼       綺麗な四階のステンドグラス
 

                                 歩いたルート ①スタート②終点

==========健康ウォーキングクラブ==========

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最後のたき火、畑に灰をばらまいて耕耘

2013年03月18日 | 田舎暮らし



 晩秋から続けてきたたき火、春になったので止めることにしました。まだ燃やす木々が残っていますが、これからは春夏野菜の栽培や草取り作業が増えてきます。気候も暖かくなってきたこともあり、たき火の季節は終わりました。寒くなってくる今年の晩秋、たき火を再開しようと思います。

            晩秋から続けてきたたき火、今年の晩秋までおあずけ


 次の日の朝、火が完全に消えたことを確認して溜まった灰をそばの畑にスコップを使ってばらまきました。灰は、穴の中いっぱいに溜まっていました。そして、たき火をした場所や灰をばら撒いた畑を耕耘機できれいに耕耘しました。

     スコップを使って灰をばらまく            耕耘機できれいに耕す
 

 たき火をした場所の周りは、私が燃やす木や枝などを切ったり折ったりした場所です。また、歩きまわったりナタをふるった場所ですので硬く踏み固められていました。そのため、一度では耕耘できませんでした。何度も耕耘機を往復して耕しました。この場所には、ナスやきゅうりの苗を植える予定でいます。

          同じ場所を、耕耘機を何度も往復して耕耘

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小麦畑、培土器を使って除草兼土寄せ作業

2013年03月17日 | 麦,穀類,雑穀



 このところ風が強く吹くため、小麦が少し傾きかけています。そのため、培土器を使って除草を兼ねた土寄せをすることにしました。これまで、土寄せは土を跳ね上げる方式で行ってきました。しかし、山口県に持って帰った跳ね上げ器、駆動するベルトが見つからないため仕方なく培土器を使いました。

     培土器を付けたまま畑に移動           移動車輪を鉄車輪に交換
 

 培土器を耕運機に取り付けると、移動車輪で畑まで移動しました。そして、畑に着くと移動車輪を鉄車輪に取り替えました。この鉄車輪の駆動力で培土器を引っ張ります。私は土の耕耘以外に耕運機を使うことが少ないため、この培土器やカルタベータの使い方が上手くありません。よろよろしながら、耕運機について行くのが精いっぱいです。上手な人は、走るように除草や土寄せをします。

              培土器で土寄せしながら、よろよろ耕運機について行く


 この耕運機は二輪ですが、一輪の耕運機(管理器とも言う)もあります。一輪耕運機はもっと使いづらいのではないかと思います。しかし、畝間を専用に土寄せしたり除草する場合は、一輪の方が使いやすいのではと思うことがあります。土寄せを終わって改めて麦畑を見渡すと、麦の緑がとてもすがすがしく感じられます。あちこちにつくしが生えています。春はいいものです。

               除草兼土寄せ後の麦畑、麦の緑がすがすがしい

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