先日輪切りにしたジャガイモ(シンシア)を植え付けました。切り口が乾いて、少し縮れて小さくなった種ジャガイモです。浴光催芽しているためジャガイモに小さな芽が出ています。前回と同じように耕運機で畑を耕して畝を作り、その畝に平行に巻尺を引きます。そして、50cmごとに種ジャガイモを置いて行きました。
干した種ジャガイモ 耕耘後、巻尺を引く 浴光催芽したジャガイモ
種ジャガイモを置いた後、クワを使って土を被せました。これで、今年の種ジャガイモの植え付け作業は終わりです。ただシンシア以外は去年の残りジャガイモなので、少し気になります。
たくさん植えたので、今年も余るほどのジャガイモが収穫出来ると思います。余ったジャガイモはご近所か友達に食べていただこうと思っています。さて、今年も美味しいジャガイモが収穫できるでしょうか。
50cmごとに種ジャガイモを置いた畝、このあと土を被せる
春の花が次々に咲き始めています。春の花の代表である、菜の花が満開です。菜の花畑に入ると、甘い匂いがかすかに漂っています。また、耳を澄ませるとブンブン音が聞こえてきます。ミツバチです。蜜を集めるのに集中しているのか、近づいてもなかなか逃げません。
甘い匂いがかすかに漂う菜の花畑
昔は菜の花畑があちこちにありました。二毛作で田んぼに菜の花を栽培していたからです。田んぼ一面が黄色の絨毯のように染まっていました。その種を収穫して、菜種油を採油していたのです。その菜の花と菜種油の採油は昔のこととなりました。
レンギョの黄色い花 ハーブの薄紫の花 ユスラウメの白い花
菜の花畑とは別の所でも、春の花が咲いています。レンギョ,ハーブ,ユスラウメ,そしてボケなどです。特に、ボケの色が鮮やかです。山に目を移すと、桜の花芽が日に日に大きくなっているのが分かります。また桃の花芽の先端がピンク色に染まっていました。
鮮やかな色に染まったボケの花
桃の木の剪定をしました。去年剪定をしなかったため、枝が無駄に伸びていました。毎年選定すると良いのですが、一昨年の剪定以来の剪定です。私は、まったくの素人ですので、正式な桃の木の剪定方法を知りません。ただ、上に伸びすぎた枝を切り詰め、どの葉にも光が差し込むようにするだけです。このため、大事な花芽を取ってしまうこともあります。しかし、食べる量は知れたものですので、思い切りガツガツと剪定ました。
太い枝はノコギリで 細い枝は剪定バサミで 枝間がスッキリ
ついでに剪定で気を付けたのは、桃を収穫しやすい高さの枝を残すことです。高くても脚立で手が届く範囲の枝を残しました。このため、とても手が届きそうにない枝はどれも伐採しました。さあて、今年も去年と同じような美味しい桃が収穫できるでしょうか。いつか正式な桃の選定方法を学んでみたいと思っています。
ガツガツと剪定した桃の木、全体的に背が低くなる
近くのDIYのお店で、春キャベツの苗を売っていました。苗作りから始めようと思っていた矢先、たまたま目にした苗を購入してしまいました。我家のように食べる人数が少ない場合、苗を購入してもそう経費は変わりません。種を購入しても、ほとんどの種子を余らしてしまいすので。
購入した春キャベツの苗 収穫後の白菜畝に植え付け
春キャベツの苗を植えた畝は、秋に栽培した白菜の畝です。すでに白菜は収穫済みです。その畝を再利用することにしました。畝の周りを軽く除草した後、苗を植え付けます。そして、白菜に使っていた寒冷紗で覆いました。これで、害虫に食べられることは無くなります。順調に育てば、初夏には美味しいキャベツを収穫できると思います。
収穫後の白菜の畝を再利用して、春キャベツ苗を植え付けた畝
種ジャガイモの植え付けが1ヶ月ぐらい遅れてしまいました。植えた種ジャガイモは、今年は三種類です。去年収穫した4種類を食べ比べた結果、煮崩れしやすいアンデスレッドを今年は作るのを止めました。
三種類のうち、シンシアは1ヶ月ほど前に柳井園芸で購入しました。しばらくの間植え付けないで、浴光催芽しました。今回は、その浴光催芽したシンシアを輪切りにしました。今回輪切りにしたシンシアは、干した後に隣りの畝に植え付けます。
去年食べ残し、芽が出たジャガイモ カット中のシンシア
今回植え付けたのは、去年食べ残したジャガイモ2種類(キタアカリ,メークイン)です。たくさんの芽が出ている残りジャガイモです。多少不安がありますが使ってみました。植え方は毎年同じです。耕耘機で畑を耕して、種ジャガイモを植えるための畝を作ります。その畝に巻尺を引きます。そして、50cmごとに種ジャガイモを置いて行くのです。置き終ると、その上にクワを使って土を被せます。
ジャガイモの植え付け作業は比較的楽なのですが、収穫までの管理が大変です。除草したり、追肥をしたり、茎の数を調整したり、土寄せしたりと、特に夏の作業は汗だくになります。
巻尺を引いて、50cmごとに置いた種ジャガイモ
先日麦畑の土寄せを済ませました。クワで土寄せしてもよいのですが、いろいろ忙しいため耕耘機で土寄せしました。土寄せ作業する前、農機具小屋で耕耘機に培土器を取り付けました。そして、麦畑まで移動しました。
培土器を取り付けた耕耘機 麦間を耕運機で耕しつつ培土
麦は種まきの時、土寄せを考えて畝幅を決めています。耕耘機のロータリー幅が70cmですので、麦間は90cmにしています。こうすると、耕耘しながら培土すると両側に土が押し出されて土寄せできるのです。前日雨が降ったためやや粘土質な土でしたが、なんとか土寄せすることができました。5月頃に、除草を兼ねてもう一度土寄せしようと思っています。
麦の畝間を耕耘しながら、培土器を使って土寄せ
先日、五軒屋,伊保木,岩屋ウォーキングの下見をしました。しかし、帰りのバスを考えると、時間的な余裕がありません。そこで今回、A君と再度下見をしました。当初、五軒屋バス停から歩くことにしていましたが、東伊保木バス停から歩くことにしました。バス停近くにA君が運転する車を駐車して、実際に歩いてみました。最初に見学したのは磯邊八幡宮です。国道188号線はよく通りますが、こんな所に立派な神社があることを知りませんでした。本番での最初の訪問地はこの磯邊八幡宮にしました。
東伊保木バス停近くに駐車 磯邊八幡宮からの周防灘 磯邊八幡宮の社殿
磯邊八幡宮の次は、慶宝寺までの道のりを調べました。椿窯や美土里窯が近くにありました。続いて、伊保木公民館に行ってみました。しかしながら、誰もいませんでした。元小学校だったようです。今伊保木には小学校に通うような学齢の子供が誰もいないとのこと。この公民館では夏に盆踊りが開催されますが、麻郷と同様に嵯峨音頭だそうです。この夏はぜひ行って、麻郷と伊保木の嵯峨音頭の違いを調べたいと思います。
春の日差しに照らされた伊保木公民館
続いて、本番ウォーキングでの帰り道を探してみました。下見ではかんぼの宿 光に行きましたが遠すぎます。そこで、岩屋から岩屋バス停までのルートを探しました。そのルートは週に一人程度が通る寂しい山道でした。本番ではこの山道を通ることにしました。舗装道路ではなくしかも下り道ですので歩きやすいです。
岩屋バス停からの山道 再度来た岩屋集落 白雲稲荷大明神跡
続いておまけの調査をしました。それは、アネックススポーツランドから少し山側に入った場所にある白雲稲荷大明神です。麓に車を置いて石階段を登ってみました。すると、昭和40年頃に土砂崩れで参道が壊れた神社がありました。その後、再建されましたが世話をする方が減って、今は神社の資格をお返ししているそうです。つまり、神社跡でした。とても眺めがよい場所でした。
白雲稲荷大明神跡から見た素晴らしい象鼻ヶ崎と峨眉山
今回の再下見の結果、本番ウォーキングのルートを決めました。それは、東伊保木バス停でバスを降りて、磯邊八幡宮を経て慶宝寺に行き、正蓮寺を見学後、岩屋へ歩く。そして、長徳寺で昼食休憩。快山窯を見学後に山道を降りて岩屋バス停へ行きます。そして、バスに乗って帰ることにしました。
※3月25日から4月2日まで、東京の我家に行きます。娘の神前結婚式や人間ドッグなどがあり、それなりに忙しい毎日になりそうです。時間があれば、都内をウォーキングしようと思っています。
今回、再度下見した伊保木、岩屋のルート
伊保木を過ぎると、ひたすら岩屋に向かって歩きました。途中立ち止まって、周防灘を見下ろすと、牛島や祝島が雲海の上に浮かんでいるように見えました。海と空の境である水平線が見えません。少しばかり不思議な、墨絵のような風景でした。
雲海の上に浮かんでいるようにみえる牛島や祝島
誰かがいつか、室積の峨眉山のことを話してくれたことがありました。もともと峨眉山は中国にあるそうです。本家の峨眉山は山の上にあり、雲海が出ると眉が浮かんでいるように見えることからこの名前が付いたそうです。光市室積の峨眉山は海の上に霧や雲が立ちこめると、やはり眉のようにみえるとか。千坊山から見ると眉のように見えるのかも知れません。これを早く知っていれば、眉のように見えたかもしれません。
岩屋の長徳寺、大正8年に焼失
岩屋に着くと、集落の一番高い場所にある長徳寺に行きました。このお寺、長屋のように見えます。たまたま近くにいた方に聞きました。すると、大正8年にこのお寺から火が出たそうです。その当時の民家は茅葺きでしたので、見る間に火の粉が広がって集落が全て燃え尽きたとのこと。尼僧に夜這いしたさいのロウソクが火事の原因とか。この長徳寺、火災後にお寺としては再建できず、今のような長屋風の建物になったとか。そして、今は単に岩屋公会堂としてだけ使われているそうです。中には仏像などお寺を思わせるものは何も無いそうです。正確には、長徳寺ではなく、長徳寺跡のようです。
快山窯を訪問 快山窯の作品を見学 岩屋古墳を見学
なお、私が持っている防陽88か所霊場のリストでは、この長徳寺と隣接する大師堂が47番、そして長徳寺が48番なのです。明らかにおかしいです。その昔、正蓮寺が47番で、長徳寺の大師堂が48番だったと思われます。正蓮寺が早くに廃寺になったため、巡礼する上で長徳寺を48番にして、隣の大師堂を47番にせざるを得なかったのでしょう。歴史をさかのぼると、最初に正蓮寺が廃寺となり、次に大正8年の火災で長徳寺が無くなったことが分かります。
岩屋古墳を過ぎしばらくして歩いた後、道路に座って休憩
長徳寺から道を降りて、快山窯に寄りました。4月19日のウォーキングで再訪することを伝えておきました。その後、道をどんどん歩いて岩屋古墳に行きました。そして、アネックススポーツランドを横切って、かんぽの宿 光に行きました。そして、フロアで休憩を取りました。
アネックススポーツランド かんぽの宿 光で休憩 バスに乗って帰る
かんぽの宿まで、だいぶ時間がかかりました。本番では快山窯でもっと時間を取られると思います。このため、本番ではアネックススポーツランドやかんぽの宿 光に行かないで、岩屋からすぐ国道188号線の岩屋バス停に下ることにしました。
今回下見した五軒屋,伊保木,岩屋
第3部が終わると休憩です。友達と外に出てコーヒーを飲むことにしました。とても混んでいたため、少し場所を移動して何とか座る場所を見つけて休みました。そして、今回の定期演奏会などについて談笑しました。ざっと見渡すと、知っている方々が数人いました。しばらく談笑していると、休んでいる人が少なくなったため急いで戻りました。
珈琲を飲んで休憩 身動きとれないほど混雑 第4部の始まり
席に戻ってすぐに第4部の始まりです。今年は新作オペラ「にじの鳥」です。去年は木の実のお話でしたが、今回は鳥達と虹のお話でした。ところで、私の娘が小さい時に、子供向けオペラを一緒に見に行ったことがあります。ごんギツネだったでしょうか?
地味な色の鳥たちは虹にあこがれる
子供向けオペラですので、悪者をやっつけるハッピーエンドのお話でした。今回は遠くの席で鑑賞したので、子供達一人一人の顔が良くみえませんでした。代わりに全体の流れを観察することにしました。伴奏,指揮者の方々もよく見ることができました。演奏そのものに加えて、子供達や指導者の方々の一生懸命な姿を見ることができました。
虹からのお使い 虹を食べる悪者たち 鳥達と悪者の戦い
私は学生時代、ど素人なのですがジャズを演奏していました。夏休みなど、トラックに乗って各地を演奏旅行していました。演奏だけでなく、当地のホールの楽屋でいろいろ下準備をしたものでした。演台をセットしたりスポットライトを操作したりと、いろいろ経験させてもらいました。ある時、横浜のとある楽屋で歌手の岩崎宏美とぶつかったことがありました。きゃしゃで小柄な方でした。
私の学生時代はフォークソングの黄金時代でした。隣りの楽屋に、青い三角定規,海援隊,高橋真利子などがいました。私は前座演奏ばかりでしたが、今思えば彼らからサインの一つや二つもらえば良かったなと思い出します。
虹のように綺麗な色に染まった鳥達
私が東京に行っている40年間に、田布施はずいぶんと変わりました。道路やスーパーのようにハードはもちろんですが、スポーツクラブやこの合唱団のような文化活動も変わったようです。私が子供の頃は、スポーツも合唱団も小学校に付随していたように思います。今は、学校から離れて社会人運営が主になったようです。学校では負担が重くなったのでしょうか。音楽などいろいろな得意分野を持っている大人が、社会貢献することはとても良いことだと思います。ひるがえって、私はどんな社会貢献ができるのかとあらためて考えてみました。
学業の合間をぬっての歌の練習、子供達も指導者の方々もご苦労様でした。良い歌の数々をありがとうございました。
にじの鳥、エンディング 楽しい合唱やオペラをありがとう
今年も、田布施町西田布施公民館で開催された、たぶせ少年少女合唱団定期演奏会に行ってきました。去年の定期演奏会より人が多かったように思います。開演30分前に会場に着きましたが、すでに前の方はほとんど席がふさがっていました。来年はもう少し早く来て、良い席を確保しようと思います。
さて、最初はたぶせ少年少女合唱団のテーマソングのHumming Angelの合唱でした。何度も聞いているため歌詞を少し覚えてしまいました。
たぶせ少年少女合唱団テーマソングのHumming Angel
テーマソングが終わると、第1部 春の童謡の開始です。どこかで春が,春が来た,春の小川,そして花、と続きました。童謡はあらゆる世代が共有できる歌です。以前病院に勤めていた時、入院していたお年寄りと時々童謡を歌いました。童謡は、いくら年を重ねても心に残っています。私は昔のなつかしい自然を歌った「ふるさと」が一番好きです。ところで、時々ウォーキングでご一緒する子供達が、この定期演奏会で元気よく歌っていました。
第1部 童謡
どこかで春が 小4,5の合唱 春の小川
私は小学生5年の時、ほんの少し合唱団にいたことがあります。どんな歌を歌っていたのか思い出せません。しかし、童謡を歌っていたような、かすかな記憶があります。そして、6年の時に鼓笛隊に少しいました。小太鼓担当でしたが、上手でなかったため早いうちに辞めました。しかし、最初のバチの叩き方を今でも覚えています。何の曲だか忘れましたが「タンタンタン タンタンタン タタタタタ タタタタタ タンタンタン ・・・・ 」と続くフレーズです。無難な笛(リコーダー)にしておけば長続きしたのではないかと思います。
続いて、第2部はおやつのうたです。おやつのうた,チョコっとだけ,世界を食べちゃおの、三曲のパレードでした。私が子供の頃に好きだったお菓子は、マーブルチョコレート,コンペイトウ,カリントウ,芋飴でした。芋飴は最近見たことがありません。そのなつかしい飴を食べてみたいのですが、そもそも今でも作っているのでしょうか。
第2部 おやつのうた
おやつのうた 続いて、チョコっとだけ,世界を食べちゃお
第3部は去年、映画で世界的に大ヒットしたアナと雪の女王の曲です。氷の心,雪だるまを作ろう,生まれてはじめて,そしてありのままで、のパレードでした。そして、第3部が終わると休憩となりました。
ところで、人間はいつから音楽に親しむようになったのでしょうか。人間は猿から進化したと言いますが、猿やチンパンジーはあまり音楽に反応しません。太鼓や打楽器のようなリズムが音楽の始まりと聞いたことがあります。そして、リズムに合わせて踊ることによって仲間意識が強まり、それが群れとしての生きる力になったとか?本当のところはどうなのでしょう。どうして音楽は心地良いのか、と時々思います。
第3部 アナと雪の女王
みんなで合唱、ありのままで
慶宝寺の石垣はなかなか立派です。いろいろなお寺を見てきましたが、山の斜面にあるお寺はだいたい石垣が立派です。山の斜面にお寺を作ろうとすると、境内を広くするために高い石垣を作らざるを得ないのでしよう。
慶宝寺の立派な石垣、丁寧に石が組んである
慶宝寺の石垣を降りて、しばらく歩いていると左手に椿窯がありました。これまで何度かこの道を通りましたが、気が付きませんでした。立ち寄ってみましたが、誰もいないようでした。少し離れた所に椿壽窯と掲示された大きな窯がありました。
椿窯からしばらく快適な道を歩いていると、道角にお地蔵さんが立っていました。台座正面には三界天霊と、右横には享和四甲子正月(1804年)と刻まれていました。
椿壽窯の大きな窯 享和四年安置のお地蔵様 正蓮寺に到着
お地蔵様を過ぎると、急な坂道を登って正蓮寺に行きました。約二ヶ月ぶりの正蓮寺です。このお寺は、相当昔にお寺ではなくなったようです。地元でも、正蓮寺の名前を知らない方や巡礼者がいたことを知らない方がいるのです。かつては防陽八十八霊場だったと思われますが、私が持っている防陽八十八霊場リストにはありません。しかし、近所に住む古老の話が記憶違いでなければ、かつては明らかに霊場でした。霊場を証明する板が掲げられていますが、風化してどうしても読めません。
談笑しながら昼食休憩した正蓮寺
正蓮寺は今、地元の集会所となっています。このお寺で昼食休憩しました。今回は寄れませんでしたが、近々近くに住む古老に再度聞き取り調査しようと思っています。正蓮寺は高台にあるため景色が雄大です。景色を楽しんだ後、高台を降りてウォーキングを再開しました。
正蓮寺から見下ろした集落 バイクに乗った方とお話 貯水池建設の石碑
しばらく歩くと、バイクに乗った方に声をかけられました。何でもこの近くに遺跡があったとのこと。その遺跡があったため、貯水池が別の場所に作られたそうです。その貯水池に行ってみました。土手の端に記念碑と思われる石碑が建っていました。
今回下見した五軒屋,伊保木,岩屋
来月のウォーキングの下見に行ってきました。ウォーキングする場所は、光市の五軒屋,伊保木,そして岩屋です。本番通りに平生のバス停からバスに乗って行きました。海岸沿いの188号線上にある五軒屋バス停でバスを降りました。そして、五軒屋の集落を通って丘の上へ登りました。とても緩い上り坂ですので、談笑していると登っていることに気が付きません。
スタートの五軒屋バス停 あちこち咲く、春の花 きれいに咲く山桜
この地域は暖かいのでしょうか、道端にいろいろな花がさ咲いていました。水仙は当然として、フキノトウがたくさん花柄を出していました。フキノトウは春を楽しむ食べ物ですが、食べ過ぎるとおなかを壊します。歩きながら上を見上げると、梅はもうおしまいのようです。山桜があちらこちらに咲いていました。染井吉野は花だけ先に咲きます。しかし、山桜は花が咲くと同時に新葉が展開します。淡い萌黄色の透き通るような葉が出ていました。
ひっそりとたたずむ、峠ノ木稲荷大命神のお社
道端の花を鑑賞しながら、歩いていると六本の朱色の鳥居が目に入りました。何らかの神社のようでしたので、立ち寄ってみました。すると、峠ノ木稲荷大命神でした。峠ノ木とは珍しい名前です。また、大明神ではなく大命神も珍しいです。この神社の言われを調べてみたいところですが、道を急いでいたので民家に立ち寄らないで道をどんどん進みました。
トガリネズミの死骸 小さな祠前を曲がる 慶宝寺に到着
たまにしか車が通らない道をどんどん進んでいると、道脇に動かないネズミを発見しました。最初モグラかと思いましたが、トガリネズミでした。死んだ直後だったようで、手に血がたらりと付きました。カラスか猫に噛まれたのか、はたまた車にはねられたのでしょうか。可哀そうに!
トガリネズミの他に、散弾銃の殻を発見したりして楽しくウォーキングしていると、最初の目的地である慶宝寺に到着しました。眺めがとても良いお寺です。
防陽八十八霊場の四十六番ヶ所札所の慶宝寺
慶宝寺に到着すると、お寺の方に来月来訪することをお伝えしました。そして、トイレを使わせていただくことも快く了解していただきました。ありがとうございました。この慶宝寺は、防陽88霊場の46番ヶ所札所です。田布施町竹尾の龍泉寺から、千坊山の峰尾峠を越えて次の巡礼地であるこの慶宝寺に来ます。峰尾峠は今、荒廃して使われていません。
今回下見した五軒屋,伊保木,岩屋
浜城の妙躰神社に降りると、少しばかり休憩しました。この頃になると、小雨が降ったりやんだりの不安定な天気になりました。ただ、ウォーキングを中止するほどの雨ではないため続行することにしました。これから歩くするルートは、比較的のんびり歩くことができます。
浜城の妙躰神社前で立ったまま休憩
休憩が終わって体調を整えるとウォーキングの再開です。浜城妙躰神社のすぐ下にある千代稲荷大明神に行きました。鳥居やお堂が真っ赤に塗られています。お賽銭をあげようとしましたが、賽銭箱が室内の奥の方にあるので届きません。そこで、私が室内に入ってお祈りをした後、賽銭箱を入口近くに移動しました。これで、子供もお賽銭を入れることができます。ところで、最近は賽銭泥棒が出るとのことです。そのような話をあちこちで聞きます。人心の荒廃は残念なことです。
赤い千代稲荷大明神 賽銭箱にお賽銭を入れる 浜城の集落を抜ける
千代稲荷大明神などの話を聞いていると、牛もり様などの昔話もお聞きしました。機会をみて再び浜城に来て、珍しい昔話を収集してまとめようと思います。史跡や昔話を集めるにはとにかく、足げく通うことが大切です。
亘理南山の顕彰碑 米出の上関審判勘場跡 蓮輪の塩谷天王社
千代稲荷大明神を過ぎると、浜城の集落に行きました。そして、亘理南山の顕彰碑を見学しました。亘理南山は幕末の漢学者でした。彼が開いていた塾跡にこの石碑が建てられました。明治になってから塾生が石碑を建てました。
亘理南山の顕彰碑を過ぎると、巡礼ルートに従って大日如来のお地蔵様やお地蔵様跡を見学しながらウォーキングを続けました。次に、浜城から米出に入って上関審判勘場跡に行きました。幕末の田布施史には欠かせない史跡です。次に蓮輪に入り、塩谷天王社のある丘に登りました。
鳥越の浮島神社分神祠と人麻呂様の祠
蓮輪の天王社見学後、鳥越に向けてしばらく歩きました。かつて巡礼されていたコースと同じ道を歩きました。鳥越に入ると、浮島神社分神祠と人麻呂様の祠を見学しました。ここにはかつてお堂があったそうです。また、この場所はかつて源氏浜と呼ばれていたそうです。さらに昔の古地図によると、この付近に源氏島と呼ばれる島があったようです。このため、この祠は当初は海に浮かぶ源氏島にあったのではないでかと思われます。この島に渡る橋が、今回渡った橋として残っているとの話を聞いたことがあります。
鳥越の法界様と広場 雨が強くなり床屋さん軒下で雨宿り
次に、鳥越の法界様に行きました。ここにはいくつかのお墓が並んでいます。かつて助政に焼場があった頃に使われた葬儀用品が置かれた倉庫がここにありました。ここの広場ではかつて盆踊りなどがあったそうです。
続いて、こつり地蔵が安置されたお地蔵様跡を見学しようと思いましたが、雨が強くなったためここでウォーキングを中止しました。法界様傍にある床屋さんの軒下を借りて雨宿りしました。そして、各自の車で帰りました。
ウォーキングに参加された方々、お疲れ様でした。
今回ウォーキングした、戎ヶ下,浜城,蓮輪,米出,鳥越
==========健康ウォーキングクラブ==========
浜城妙躰神社で少し休憩した後、いよいよ城山に登りました。この山の頂上は、単に山のいただきではありません。国道188線から肉眼で見えるほどの巨大な岩が頂上に鎮座しているのです。さらに、不思議な石垣があり、周りに瓦が散乱している遺跡でもあるのです。いろいろ調べてましたが、その遺跡が何なのかまだ分かりません。
さあ頂上に向かってGo! 落葉で滑りやすく注意 そろそろ頂上です
その遺跡で分かっているのは、「何らかの瓦屋根の建物が石垣の上に建てられていた。」だけです。言い伝えがほとんど消えているため、大正年間位までに建物が倒壊したのではないかと思われます。瓦が散乱しているため自然災害で倒壊したようにも見えます。地元の方によると昔「雨乞いの火を焚いていたらしい」とのこと。頂上の大岩に何らかの関係があったのではないかとも思われます。これだけ何も分からない遺跡は珍しいです。石垣上の建物跡は広場となっており、草や灌木があちこちに生えています。
あいにくの天気だったけど、絶景が眼下に広がる頂上
不思議な石垣の遺跡がある頂上に登るにあたって、4歳のNちゃんが登ることができるかとても心配でした。実際、頂上手前で泣きべそをかいていました。しかし、元気に登り切りました。これまでのウォーキングで最年少のNちゃんでした。
頂上に着くと、各人が広場に適度に散らばって昼食休憩にしました。心配していた天気は晴れとはなりませんでしたが、平生湾の水場,曽根,大野,平生街,八海,鳥越,浜城などが眼下に見えました。馬島や佐合島なども見えました。そして手前に泊団地が大きく見えました。
地元の元気なお三方 広場で昼食休憩 美味しい昼食でした
今回のウォーキング参加者は24名でした。景色の絶景ポイントにぎりぎり全員が入って写真を撮影することができました。この撮影ポイントの向こう側は岩があり絶壁となっています。雨で濡れて滑りやすいため、岩の上には絶対に乗らないように皆さんに注意しました。あいにくの曇り空でしたが、史跡に加えて景色を楽しんでもらうことができて良かったです。
頂上の絶景ポイントで写真撮影、岩の向こう側は絶壁
頂上でお昼休憩中、しぶきのような小雨になってきました。このため、雨具に着替えて下山することにしました。登る時より降りる時の方が危ないことがあります。山歩きの経験が少ない子供達を先導するように、私がゆっくりと山道を下りました。落ち葉が濡れて滑りやすいため、とにかく木やロープから手を離さないように言いました。手さえしっかり握っていれば、たとえ滑っても滑り落ちないからです。しかし、私の心配をよそにしっかりとした足取りで降りてくれました。20分位で、ふもとの浜城妙躰神社に到着しました。
石垣の遺跡にお別れ 落ち葉で滑らないように 山のふもとに到着
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この日曜日(3/15)、定例ウォーキングに行ってきました。今回は、かつて「麻郷まいり」と呼ばれていた巡礼コースの一部をウォーキングしました。先月の下見時の反省を元に、コースを一部変更しました。変更したのは、交通の安全を考えてのことです。戎ヶ下バス停を降りてから、下見の時のように先に戎ヶ下大師堂へ行くのではなく、先に菅原神社や渡船場跡へ行くことにしました。
最初に行ったのは菅原神社です。石の階段を登ってお社を見た後、ここに埋めてあるタイムカプセルについて説明しました。このタイムカプセルは、当時の小学生が60歳頃に掘り出す予定のようです。埋めてから34年経っているので、掘り出すのは16年後のようです。
菅原神社の石階段 タイムカプセルを埋めた場所 戎ヶ下菅原神社
菅原神社を過ぎると、渡船場跡を見ました。南周防大橋が完成するまで、戎ヶ下と水場は船で結ばれていました。私も子供の頃に利用したことがあります。光市などに通勤する曽根や佐賀の人々は、この船に乗って戎ヶ下に渡っていました。そして、戎ヶ下からバスに乗って光市などへ通勤していたのです。当時の戎ヶ下には、これらの通勤者のための旅館や割烹料理店などがありました。水場側には今でも桟橋跡が残っています。
戎ヶ下の渡船場跡 お地蔵様 成器堂の跡
渡船場跡を過ぎると、通る人を見守るように立つお地蔵様を見ました。このお地蔵様は立っている場所こそ少し変わりましたが、江戸時代からこの道を通る人々を見守っています。ちなみに、お地蔵様が立っている道はもともと国道188号線でした。かつては、バスが通っていました。次に、麻郷小学校の前身である成器堂跡を見学しました。
南平和十一番ヶ所霊場の戎ヶ下大師堂
成器堂跡を過ぎて少し歩くと、今の国道188号線に突き当たります。その国道を横切って、戎ヶ下大師堂に行きました。この大師堂は国道から奥まった坂上にあるため、知らない方が少なくないです。地元の方が守っている数少ない大師堂の一つです。大師堂隣りの山を巡るように、お地蔵様が八十八体以上安置されています。このたくさんのお地蔵様を描いた絵手紙が大師堂内に飾られています。ちなみに、この大師堂は南平和十一番ヶ所霊場の札所です。かつて、たくさんの巡礼者が立ち寄っていました。
戎ヶ下から浜城へ向かう 妙躰神社の御旅所 妙躰神社で一休み
戎ヶ下大師堂を過ぎると、泊団地を通過して、浜城の妙躰神社に向かいました。しばらく緩い坂道を上っていると、道横にイノシシを捕まえる罠が置いてありました。この付近はイノシシがたくさん出るのでしょう。坂道を登っていると御旅所がありました。この上に神輿を乗せて神様にお休みいただくのです。御旅所前の道のすぐ上に石鳥居がありました。この鳥居をくぐって石階段をしばらく登ると、浜城の妙躰神社に到着です。
妙躰神社から、獣道のような険しい道を登る
妙躰神社はもともと谷筋にあったため、過去に何度か濁流に流されたそうです。今のお社は、三度目に再建されたものだとのことです。何度も流されたため、谷筋から少し離れた、安全な場所に再建されています。妙躰神社前で少し休んだ後、険しい道を登りました。道は無く、赤いテープを頼りに登りました。
今回ウォーキングした、戎ヶ下,浜城,蓮輪,米出,鳥越
==========健康ウォーキングクラブ==========