冠天満宮に向かうには、戸仲バス停近くの横断歩道まで移動しなればなりません。国道188号線を横切るその横断歩道を渡ると、お地蔵様2体を拝んでから冠天満宮の石階段に向かいました。
冠天満宮の石階段を何度登ったでしょう。何度も登ったため忘れてしまいました。その石階段の途中に防陽八十八箇所霊場五十四番札所の戸仲大師堂があります。元々は戸仲街にあったのでしょうが、いったいどこから移設されたのでしょうか。
太鼓橋のかんむり橋を渡って冠梅園に向かう
ところで、冠天満宮の石階段から数百m先に砂浜があります。しかし、冠天満宮ができた1000年以上前は石階段直下までが砂浜だったのではないでしょうか。さらにその昔、弥生時代はおそらく今の冠天満宮の山裾は波打ち際だったように思います。その後砂浜が広がって、その砂浜に沿って松林が広がったのではないかと思います。
戸仲バス停の横断歩道 冠天満宮前の地蔵様 長い石階段を登る
戸仲大師堂を出ると、再び石階段を登りました。なお、戸仲大師堂のある石階段の反対側に使われていない建物があります。昔、その建物は小動物園を兼ねたレストランだったそうです。場所が悪いのか長続きしなかったようです。
戸仲大師堂前の立派なお地蔵様 冠天満宮の立派な拝殿
ところで、戸仲大師堂を訪れる人が少ないようです。訪れるためには、下から長い石階段を登るか、冠天満宮から降りるしかありません。仮に訪れることができても、やはり長い石階段を通るしか戻ることができません。お年寄りには無理です。そのようなことが原因でレストランも閉鎖されたのではないでしょうか。階段はお年寄りにはきついので仕方がないのでしょう。
続いて冠天満宮に参拝後、かんむり橋を渡って冠梅園に向かいました。
光市 戸仲~冠梅園周辺の史跡巡りをしたコース
だいぶ遅れているジャガイモの種芋の植え付けです。やっと植え付ける場所を耕しました。種芋はすでに芽が出始めていますが、春は植えるのが少しくらい遅れてもかまいません。5月から6月にかけてどんどん成長して、他のジャガイモに追いつくと思います。そして、7月にはそれなりのジャガイモを掘り上げることができると思います。
ジャガイモの種芋を植え付ける場所を丁寧に耕運
ジャガイモを植え付ける場所を耕運する前に、小麦畑の畝間除草をしておきました。春の日差しが強いせいか、思いのほか成長しています。ただ、南側の畝は肥料部が不足しているか緑色がわずかに薄いように思います。後で化成肥料を施しておこうと思います。
小麦の畝間を除草 ロータリーで耕運除草 アオガエルが飛び出る
いつもの事ですが、耕運しているとどこからともなく小鳥がやってきました。そして、耕運したばかりの地面をつついています。驚いて地中から飛び出た虫を食べているのだと思います。今回耕運した畑には、ジャガイモの他に、サトウキビ、陸稲、藍、箒モロコシなどを植えようかと思っています。
もうすぐ畑の耕運が完了 耕運が終わった小麦畑など
先日下見したと思ったら、もう本番の史跡巡りウォーキングとなりました。下見から本番まで10日たらずでした。下見と同じように室積MaxValueを10:00にスタートしました。今回は雲一つない快晴でした。風も強くなく暖かい日差しで、一年でもっとも快適なウォーキングをすることができました。先月の銭壺山史跡巡りウォーキングが大変だった分、今回はのんびりとした楽々ウォーキングでした。
秩父宮殿下御宿泊記念石碑が建つレンガ塀の家
スタートすると国道188号線を横切って松林に沿う旧道を歩きました。南に向かうと、3年前に室積海岸沿いの史跡巡りをしたコースです。今回は反対側(北側)の戸仲方面に向かうコースです。左手に松林を見ながら旧道をのんびり歩きました。
スタートしたMaxValue 最初に見たお地蔵様 新宮自治会館裏のお社
皆さんとのんびり春を楽しみながら歩いていると最初のお地蔵様がありました。残念ながら管理がされていないようでした。花が活けておらず寂しげでした。そのすぐ近くに新宮自治会館があり、その裏の海岸側にお社がありました。砂浜に建つお社、海か砂浜に関連があるお社ではないかと思いました。
墓地群に寄り添うようにお地蔵様 国道を横切り冠天満宮に向かう
お社を見終わると、歩いてすぐの所に墓地がありました。そして、墓地に寄り添うように屋根付きのお地蔵様がありました。木札を見ると字が消えそうでしたが、わずかに平和霊場・・・・と読めました。かつてはここを巡礼者が訪れていたのでしょう。その後、しばらく歩いていると国道側に冠天満宮の石階段が見えてきました。そのため、国道を跨いで冠天満宮に向かいました。
光市 戸仲~冠梅園周辺の史跡巡りをしたコース
ほぼろの底部を丸く編み込むと、底が抜けないように表と裏を蜘蛛の巣状に編みました。この蜘蛛の巣状に編み込む方法は地域によって差があるようです。縁の編み方,俵の両端の編み方,底部の編み方などの違いです。地域性があって面白いと思います。時間があれば各地の資料館を回ってみたいものです。
子供の背中に合わせた背負いワラ籠(ほぼろ版)
私個人の好みですが、草木染めした紐で編み込むのが好きです。わらと紐のコントラストが、なめこ壁のようなのです。今回の子供用の背負いワラ籠は、円柱面は紅花で染めた紐で編んでみました。底部は藍染めした紐で編んでみました。
蜘蛛の巣編み開始 もう少しで完成 蜘蛛の巣編み完成
底部の表と裏を蜘蛛の巣状に編み込み終わりました。これで、わら籠部分の出来上がりです。次は、わら籠の内張にする布袋をミシンを使って縫製しようと思います。最後に、背負うためのワラ紐を取り付けようと思います。さて、使える子供用の背負いワラ籠(ほぼろ版)ができるでしょうか。
底部の表側を蜘蛛の巣編み開始 完成した底部表側の蜘蛛の巣編み
どこを見渡しても春の花が賑やかに咲いています。大きく分けてピンク色と黄色があります。黄色の花で一番多く咲いているのは菜の花でしょうか。この花は、今よりも昔の方がたくさん咲いていました。里山における春の風物詩のように思います。
この花はただ観賞用に咲いているのではなく重要な作物でした。私が子供の頃のことです。乾かした菜の花を叩いてナタネを取り出していました。そして、唐箕でゴミを飛ばして出荷していました。ナタネは食用油を取るための大事な産品だったのです。確かナタネを蒸して砕いて圧縮して油を取っていたように思います。
その昔、食用油を取るための菜の花(種のナタネを収穫)
私が子供の頃の昭和30年代初期、冬の作物として麦と菜の花がありました。麦は初夏に収穫しますが、菜の花はそれより前に収穫しました。鞘が大きくなって茶色になり始めると一斉に刈り取って天日干しします。
そして、鞘がはじけるほどに乾燥すると、叩いてナタネを収穫するのです。大勢が集まっての一日仕事でした。そのような時、親戚同士が集まって助け合ったものです。今はそのような助け合うことが無くなりました。
黄色のラッパ水仙 名前を忘れた花 枝に咲いたレンギョウ
光市総合福祉センター「あいぱーく光」でトトロを見終わると。近くにある光井川を海に向かって歩きました。川を見下ろすと、干潮のためか川底の砂が見えました。その砂に不思議な小さな窪みがたくさんありました。何の窪みでしょうか?もしかしてカニなどが砂をさらった跡でしょうか?よく分かりません。
橋の袂に着くと、お地蔵様が並んでいました。この橋を通る道はかつては街道だったのでしょう。今は車が多く通る国道188号線がメイン道路になっていますが、かつてはこの橋をとおる街道がメイン道路だったのではないかと思います。
橋の袂に安置された屋根付きのお地蔵様
光井川を離れると光井団地内の道を海に向かいました。そして、スポーツ交流村に向かいました。スポーツ交流村にはたくさんの宿泊施設が並んでいました。スポーツをする方々が利用する施設なのでしょう。この施設は海に面しているためヨットハーバーを見たいと思いましたが、鍵がかかっていました。平日は入れないようです。
スポーツ交流村の堤防 防潮堤に登ってみる 戸仲漁港を散策
ヨットを見ることができませんので、海沿いに歩いてみました。すると、巨大な防潮堤がありました。その防潮堤に登ってみました。登ると高くて足がすくみそうでした。防潮堤の海側には無数のテトラポットが無造作に積み上げられていました。そして、海とは反対側を見下ろすと戸仲漁港がありました。
戸仲漁港の恵比寿神社 お地蔵様と新生仏教発祥の地碑
防潮堤を降りると、戸仲漁港に向かいました。漁港を回り込むように歩いていると石鳥居がありました。恵比寿社でした。恵比寿社は海に面する箇所に建てられていることが多いです。海難を防ぐ御神体なのでしょうか。
戸仲漁港を過ぎて光井団地内を歩きました。お地蔵様があったため近づくと、近くに新生仏教発祥の地碑がありました。どんな宗教なのでしょうか、あまり聞いたことがありません。新生仏教発祥の地碑を見終わると、ひたすら出発した室積MaxValueにもどりました。下見に参加された方々、お疲れ様でした。
光市戸仲及び冠梅園周辺史跡巡り下見ウォーキングのルート
品種の違いによりますが、シイタケは年二回の収穫時期があります。その春の収穫時期を迎えました。原木にはシイタケがたくさん生えています。雨が降って湿気が強くなるほど生えます。これからもどんどん生えるのでしょう、芽のようなふくらみが原木のあちこちに出ています。しばらくはシイタケ三昧の日が続きそうです。
原木に生えるたくさんのシイタケ
シイタケにはいろんな料理があるようですが、我家はバター炒めで食べることが多いです。料理下手な私ですので料理の幅が狭いのです。ところで、シイタケの原木を二本転がしています。3月末にやってくる孫に、シイタケ菌を植えさせようと思っている原木です。去年の春に菌を植えさせた原木がありますが、まだシイタケは生えていません。早くてこの秋に生えると思います。
次に生えるシイタケ 去年菌を植えた原木 菌を植える2本の原木
冠梅園で昼食休憩が終わると、いったん冠天満宮に戻りました。手水舎を見ると、たくさんの花弁が浮いていました。神主さんのいきな計らいです。菊の花が一番多く浮いていました。しばしその花びらに見とれました。
次に、冠天満宮から裏道を通ってアルク方面に降りました。途中、岡庄自治会館がありました。その会館を過ぎてすぐの所に、立派なお地蔵様が数体安置されていました。
冠天満宮の手水舎に浮かぶたくさんの花弁
数体のお地蔵様で感心したことがあります。それは、それぞれのお地蔵様の名前や由来が記されていることです。よく道端でお地蔵様を見ることがありますが、ほとんどは名前も由来も分かりません。お年寄りの方が亡くなると、その名前も由来も永遠に分からなくなるのです。そんなお地蔵様やお堂が少なくありません。残念なことです。
冠天満宮下の岡庄自治会館 数体のお地蔵様 お地蔵様傍の祠
そのお地蔵様達の傍にひっそりと祠がありました。その祠を見終わると、アルクに立ち寄りました。トイレの確認です。せっかくなので、立ったまま休憩を取って、ついでに体を軽くしておきました。
トイレ休憩をしたアルク 光市総合福祉センターのトトロ
アルクを出ると、光市総合福祉センター「あいぱーく光」に行きました。お目当てはトトロと猫バスです。到着すると、なんと猫バスがありません。一昨年来た時にはあった猫バス、どこに行ったのでしょう?センター内を探してもありません。職員の方に聞くと、古くなって傷んだので処分したそうです。残念ですが仕方ありません。
光市戸仲及び冠梅園周辺史跡巡り下見ウォーキングのルート
畑を見ると、つい最近まで小さかった雑草がぐんぐんと伸びています。このまま放置していると、草刈機や鎌を使った作業が大変になります。まだ時期的に早いと思いましたが、今年になって初めて小雨の中草刈機で草刈りをしました。
まだまだ背が低い雑草なので、すらすらと刈ることができました。これが真夏だと、汗だくで熱中症になるほどの重労働です。雑草は小さい時に叩けの諺通りだと思います。
畑の草を刈る前に、庭木下の雑草を刈り取る
最初に、玄関前に植えてある庭木の下を刈り取りました。これはすぐに終わりました。次に、秋に種まきした秋冬野菜を刈りました。食べ残した野菜は、食べても筋が多くえぐみがあるため食用には適しません。そのため刈ったり抜いたりしました。同じ場所には後日、夏秋野菜の種を蒔くつもりです。
たくさん食べ残した秋冬野菜 鎌で秋冬野菜を綺麗に刈り取る
続いて、草刈機で畑の周辺の雑草を刈り取りしました。畑の草刈りが終わると、家の周り,山裾,溝などに生える雑草も刈り取りました。今はまだ気温が低いので、草刈りは苦になりません。しかし、5月以降はどんどん気温が上昇します。今のうちに雑草をたたいておこうと思います。
ネギ畑周りの雑草を刈り取った後、家の周りなどを刈り取り
秩父宮殿下宿泊の家を出ると、しばらく砂浜沿いにしばらく歩き続けました。すると、冠天満宮の石階段が見えました。そこで、国道188に出て横断歩道を回りました。そして、近くにあるお地蔵様を見てから冠天満宮を参拝するため石階段を登りました。その石階段を登っている途中で戸仲大師堂の建物が見えました。
冠天満宮を参拝した後、太鼓橋を渡って冠梅園に向かう
戸仲大師堂は移設されたにしては綺麗に管理されていました。傍に数体のお地蔵様が安置されていました。冠天満宮に移設された理由は、冠天満宮を参拝するついでに戸仲大師堂にお参りできるようにと願ったからかも知れません。
戸仲大師堂前のお地蔵様 戸仲大師堂の建物 冠天満宮の拝殿
戸仲大師堂を出ると、再び石階段を登って冠天満宮に向かいました。石階段を登りきると拝殿は目の前です。拝殿、銅の牛、銅の馬を見ながら立ったまま小休止しました。小休止が住むと、冠梅園に向かいました。冠天満宮からの太鼓橋を渡ると、そこが冠梅園です。
冠梅園のなだらかな頂上道 冠梅園から見下ろした戸仲周辺
冠梅園の梅はもう散り始めていました。今回の下見ウォーキングで散り始めていると言うことは、本番ウォーキングでは散った梅園を歩くようです。散り始めていたためか、平日だったためか梅園はすいていました。日差しが強いので、東屋で昼食休憩を取ることにしました。戸仲や海岸方面を眼下に見ながら休憩をとりました。
光市戸仲及び冠梅園周辺史跡巡り下見ウォーキングのルート
去年から茜を栽培しています。初めて育てるため栽培方法がまったく分かりません。茜は野草でもあるため春になると芽生えるだろうとの認識はありました。今回、茜を育てている場所に積もった枯草を払いました。すると、すでに茜が芽生えているではありませんか。まだ霜が降りる季節なので、春の寒さには強いようです。
いつの間にか芽生えて、地面を這っていた茜
茜を草木染めに使う時は根を使います。去年から栽培しているため、まだまだ今は貴重品です。そのため、今年は株を増やして来年草木染に使う予定です。
来年になりますが、どんな色に染まるのか楽しみです。また、植物性繊維と動物性繊維の染まり方の違いなどを調べてみたいものです。
誤って先端を千切った茜 芽生えたばかりの茜
次回の史跡巡りウォーキングは光市の戸仲方面です。冠梅園から見渡せる範囲の地域を回ることにしています。一番の史跡はここ数年訪れている防陽霊場のうちの五十四番札所の戸仲大師堂です。この大師堂、以前戸仲の街並みを何度か探しましたが、見つけることができませんでした。ところが、ひょんなことで冠天満宮の境内傍にあることが分かりました。昔は戸仲街にあったのでしょうが、信仰がすたれて冠天満宮に移設されたのではないかと思います。
戸仲大師堂がある冠天満宮国道沿いのお地蔵様
これまで何ヵ所もの移設された霊場をみました。しかし、移設先で最も多いのはお寺です。神社に移設されたのは戸仲大師堂だけだと思います。廃止されるよりは良いのですが、近所のお寺に何故移設されなかったのか不思議です。
海岸通りの地蔵様 海に面する新宮自治会館 砂浜にあるお社
さて、10:00に室積MaxValueをスタートすると、海岸に向かうため県道を横切りしました。その後、砂浜の防風林に沿って戸仲に向かって歩きました。しばらく歩くとお地蔵様がありました。続いて、新宮自治会館の南側にあるお社に着きました。
砂浜の墓地群横のお地蔵様 秩父宮殿下が宿泊した趣ある家
そのお社の石鳥居には天保十一年と刻まれていました。お社には、幕末に亡くなった方の石碑が建っていました。幕末の蛤御門の変の戦いで、今の光市の方々がたくさん亡くなりました。その方々の一人が、このお社付近の出身なのかも知れません。あるいは単に海難事故で亡くなったのかも知れません。そのすぐ近くには墓地をありお地蔵様が安置されていました。また、秩父宮殿下が宿泊したレンガ塀の趣ある家がありました。
光市戸仲及び冠梅園周辺史跡巡り下見ウォーキングのルート
この五月連休中ににほぼろ製作講習会を開催する予定です。その時までに、猫ちぐら(ほぼろ版)に加えてもう一作見本を作ろうと思っています。それは子供が背負うことができる小さなワラ籠です。
最初、大人用を作ろうと思いましたが、ワラが多く必要ですし時間がかかります。そのため子供用にしてみました。5歳位用です。いわばワラで作ったリュックサックでしょうか。この子供用背負い籠は、鹿野の農家レストランたぬきで見たほぼろがヒントになっています。
子供が背負うことができるワラ籠(ほぼろ)の底部を縫う
まず最初に、ほぼろと同じように馬を使ってほぼろの側面を組み上げました。そして、ほぼろの側面の端を結び合わせて円柱状に仕上げ的。次に、底面の円周側から内側5cmの箇所を鉤針を使って丸く縫い合わせました。ほぼろ製作専用に私が作った鉤針です。
ほぼろの円周完成 円周側から5cm ほぼろの底面を編む
ほぼろの底面をバケツに被せると、平らに縫い合わせやすいです。また、あらかじめ底部を水に浸しておくと、ほぼろ底部のワラを90度内側に曲げやすいです。なお、今回は底部をチェーンステッチで縫い合わせました。
なお、右手の人差し指に力がかかります。軍手をはめるか、人差し指にテープを巻いておくと指を痛めないですみます。
次々にワラを内側に曲げる もう少しでほぼろの底部が完成
何げなく庭や畑を見ていると、雑草が茂っていることに気が付きます。暖かくなり草が元気に育っているのです。雑草は園芸作物よりも耐寒性があるため、3月になるとよーいドンで一斉に競争しているのでしょう。早く背が高くなった草が勝ちなのです。中には、花が咲き終わって種が飛んでいる草があります。タンポポです。
いつの間にか花が咲き終わり、種が飛んでいるタンポポ
タンポポが咲いているのを見つけたため、その周りを見てみると、いろんな雑草が花を咲かせていました。まだ肌寒い季節なのに、雑草達には春爛漫なのでしょう。どんな花が咲いているか腰を落として探してみました。背が低いままタンポポがあちこちで咲いていました。こんもり盛り上がったカラスノエンドウもちらほらマメ科特有の花を咲かせていました。
背が低く咲くタンポポ カラスノエンドウの花 ピンク色のホトケノザ
その他に、ホトケノザがあちこちで多く咲いていました。花弁を摘まんで引っ張るとポロリと取れます。また、小さなスミレもたくさん咲いていました。子供の頃、スミレの花弁同士を引っ掛けて遊んだことがあります。これまではピンクや紫などの有色の花弁でしたが、ぺんぺん草とも言われるナズナが白い花を咲かせていました。尺八に似た種がたくさん、花と同じ茎に付いていました。だいぶ前から花を咲かせていたようです。
子供の頃に遊んだスミレの花 通称ぺんぺん草のナズナ
天狗堂で立ったまま小休止すると、急斜面を滑るように降りました。下見時に滑って手をついたことが何度かありました。尻餅をついたこともありました。落葉の上に雪が積もっていて、落葉の厚みが分からなかったことも滑る一因でした。
その反省をもとに、杖を持って行ったのは正解でした。厚く積もった落葉も何のその、滑ることもなく無事に下に着きました。下から見ていると、私に付いてきた方々も滑ることなく無事に下に着きました。
鳩子の滝からは、春を感じながらのんびりウォーキング
その後、石ころや岩を避けたり笹や竹を避けたりする箇所がありましたが、快適な歩きで談笑しながら歩きました。私は、遺跡のように残っている棚田跡の石垣を見たり、谷を流れる水の音や鳥の声を聞いたりしました。そのうち、お地蔵様がある鳩子の滝に到着しました。そこで、汗ばんだ服を着替えました。そして、立ったまま小休止しました。
天狗堂からの急斜面 道を遮ぎる竹藪 鳩子の滝で小休止
鳩子の滝からは車が通ることができる幅の道が続きます。時々横一列になって歩きました。そして、銭壺山,天狗堂,次回のウォーキングなどの話題を話しました。日積ふれあいどころ437に着くと、甘いものが食べたくなりました。下見時と同じアイスクリームを食べました。日積ふれあいどころ437内でデコポンを買って我家に帰りました。
車道に出ると快適ウォーキング もうすぐ日積ふれあいどころ437
銭壺山まで登り降りしながら、昔の人はこのように里から里へとすべて歩いていた事に思いをはせました。思い返してみると、私が幼児の頃は平生幼稚園まで麻郷から歩いて通っていました。3km位の距離だったでしょうか。今その距離を歩いて通勤する人はいません。幼児の頃の私は、考えてみれば昔の人だったのでしょうね。今回の史跡巡りウォーキングに参加された方々、お疲れ様でした。
由宇と日積を結んでいた旧街道跡を歩いて銭壺山に登ったルート