草刈りと並行して夏秋野菜の種まきの準備をしています。事前に草を刈っていた場所を耕運機で丁寧に耕しました。このところの長雨の影響のため畑がとても湿っています。そのため、耕運機のロータリーが苦しそうに回転します。回転数も落とさないとエンジンが止まってしまうほどです。
ところで、去年苗を植えた月桃が小さな芽を出していました。沖縄など暖かい地域では難なく越冬しますが、田布施は分かりませんでした。それでもかろうじて越冬したので嬉しくなりました。
春の花壇やネギ畑周辺を耕運機で耕す
月桃は沖縄など暖かい地域では、その葉を使って籠を編む細工に使っているそうです。私はとても籠など編めないので、今年ほぼろの手下げ紐か肩掛け紐を撚れないか試してみようと思います。去年、生姜の葉を使って手下げ紐を撚りました。同じように紐か縄に撚れないか試してみようと思います。
何度も往復して丁寧に耕運 越冬した月桃二株
牛頭天王社祭の準備をしました。去年の牛頭天王社祭は雨で野外のイベントは中止でしたが、今年も祭の当日は雨との予報です。しかし、雨と分かっていても準備を粛々と進めました。ポン菓子器、綿あめ器、丸テーブル、いす、テントなどを社会福祉協議会から借りました。そして会場の高塔公会堂に持ち込みました。
高塔以外の地区はお祭りをしているとの話を最近聞いたことがありません。地区独自にお祭りをするのは今や珍しいとのこと。今年は高塔地区で7人の新入小学一年生を祝います。新入祝い後、植樹祭、くじ引き、音楽会などを楽しむことができるささやかな地区のお祭りです。末永く継承したいお祭りです。
高塔公会堂にてお祭り前日の準備、最初にテントを三張
お祭り準備は三回に渡って進めました。一回目は準備やお祭り手順の確認、二回目はお祭り用具の借り入れと持ち込み、そしてくじ引き品の仕分けなどです。三回目はお祭り前日です。神棚へ鯛などのお供え品や備品などのセッティングをします。お祭りは始まってしまうとすぐに終わりますが、その何倍もの準備時間がかかります。準備された方々ご苦労様でした。
社会福祉協議会の備品 麻郷倉庫の備品出し くじ引き品の仕分け
お祭り前日、最初に大型テント三張を高塔公会堂前に立てました。大きく重いのでたくさんの方々が手伝いました。その後、テーブルや椅子のセッティングをしました。
その後、当日配布するポン菓子を作りました。ところが、圧力が上がらなく困りました。そこで、圧力計を取り外したりお米を入れる入口の対圧力シールを調整したりしました。それで何とかポン菓子を作ることができました。明日は雨との天気予報ですが、新一年生を迎えて地域の方々が楽しめるお祭りになると思います。
大型テントを三張立てる 調整したポン菓子製造器 ポン菓子に甘い赤蜜
秋冬野菜の整理を続けています。秋冬野菜の一つであるワケギの球根を掘り上げました。秋に植え付けたワケギの球根、一つの球根が10個以上に増えていました。たくさんの掘り上げた球根のうち、よく太った球根を選んで秋に再度植え付けようと思います。
長ネギはネギ坊主がまだ出続けているため切除しました。ネギ坊主が出なくなると分げつします。初秋、その分げつした長ネギを分け一本ずつ移植します。
枯れかかったワケギの球根を掘り上げる
掘り上げたワケギは根に泥がたくさん付いています。その泥を、水を入れたバケツに浸してたわしや指を使って取り除きました。最後にシャワーで全体の泥を流した後、天日で乾燥します。後日これらのワケギの球根から大きい物だけ選びます。その他秋冬野菜の残渣を畑から持ち出す作業が終われば、やっと秋冬野菜の整理が終わります。
ワケギを掘り上げ バケツの水で根を洗う 乾いたワケギの球根
淡島神社は眩しいほどの朱色に塗られていました。最近の神社は苔むした社殿が多いのでとても綺麗に思いました。朱色に柱に塗るのは古くは防虫や防腐のためでした。朱はもともとは水銀朱で体に良くありませんでした、今は体に優しい朱が使われていると聞きます。淡島神社を出てすぐの所にお地蔵様が安置されていました。その後、海岸に沿う道をのんびり歩きました。
周防大島道の駅前、アンテナショップやラーメン店
和田地区を回っていると正午を過ぎていました。お腹がすいてきたため昼食休憩することにしました。そこで周防大島の道の駅に行きました。ベーグルと呼ばれるパンのアンテナショップがあるらしいとのこと。聞いたことがあるパンですが、初めて食べるパンです。硬めのもちもち感たっぷりのパンでした。
ベーグルを二個購入すると傍店のラーメンを食べました。快晴でしたので座席は露天です。今回は平日だったためかどの店も空いていました。休日や祝日ならが駐車場に困ることが多い道の駅ですが、今回はのんびりと時間を忘れて休憩しました。その後、周防大島をぐるりと回り外入に行きました。懇意にしている方々に会うためです。
淡島神社近くの地蔵様 道の駅の小店舗 マオランを少し頂く
外入に到着すると少しマオランを頂きました。そして、当地のアイドル猫に会いました。私が隣に座ると膝の上に乗りたがりました。とても人なれしている猫ちゃんでした。また羊達も元気に草を食べていました。
ここは当地のお年寄りの交流センターのようです。お年寄り達が仲良く草刈りしたり畑仕事をしたり談話したりして、穏やかな空気が漂っています。落ち着く薪暖房の休憩小屋もあります。
外入地区のアイドル猫 頂いたマオランを車に積む
初めて作ったクルミ細工は簡単なコースターでした。これから作ろうとしているのは買物籠です。いきなり籠はできないため、型になる板を作ろうと思いました。たまたま倉庫に9cm x 9cmの角材があったのでそれを型に加工して作ることにしました。
その角材を加工して9cm x 27cm x 24cmの厚板を作っていきます。その厚板を型として籠ができないかと思います。とにかく思い立ったら作るしかありません。ノコギリ、金槌、釘などを用意してどんどん木工細工をしました。
籠の型とするため9cm x 27cm x 24cmの厚板を製作中
まずは角棒を24cmの長さにノコギリで切りました。最近チェーンソーで樹を切ることが多いためノコギリを使うのはしばらくぶりです。最初、ノコギリで切る線を差し金を使って引きました。その後、その線に沿ってノコギリで角材を切断しました。
物差しで印を付ける 差し金で線を引く 線に沿ってノコギリを引く
24cmごとに角材を3個切断し終わると、その角材3個を接合しました。接合は木材用のボンドを使いました。ただ、しばらく倉庫に寝かせていた角材ですので少し歪んでいました。そのため、ボンドを使っても硬く接合しないと思われました。その対策として、DIYのお店に行って特殊な釘である波釘を購入しました。
24cmごとに切った角材3個 木工ボンドを使用して接合
その後、目的地であった正岩寺と淡島神社に向かいました。向かう途中に屋根付き地蔵が安置されていました。その後、だんだんと大きな池と朱色の淡島神社が見えてきました。そして、その右隣に正岩寺が見えてきました。
しばらく歩くと池に出ました。やや濁った大きな池で池に突き出すように楽楽亭と書かれた宴会場がありました。今は使われていないようです。記名を見ると1972年に建設されたようで、47年経っています。水上の建物なので解体に莫大な費用がかかると思います。
右から、正岩寺,聖観世音堂,鐘撞堂,そして淡島神社
ちなみに正岩寺は周防大島第六十七霊場で、隣の霊場は七十四霊場の内入の元正寺です。隣どうしで連番になっていないのは面白いです。なお、池に背を向けるようにお地蔵様が安置されていました。故宮本常一もこのお地蔵様を子供の時に拝んだと思われます。
屋根付きのお地蔵様 池に浮かぶ楽楽亭 池を背にしたお地蔵様
池を眺めながら立って小休止しました。そして、緩い坂を登って正岩寺本堂に向かって歩きました。今回は青木周弼生誕地や小野家五輪塔などに時間をかけすぎてしまったため、ご住職を訪ねることができませんでした。正岩寺本堂前に和田地区内の八十八箇所の一番と八十八番のお地蔵様が安置されていました。和田地区の方々は、散歩ついでにこの正岩寺の霊場を巡ることができます。いい運動になると思います。
緩い坂を登って正岩寺本堂へ向かう 正岩寺の一番と八十八番の地蔵様
和田地区は比較的最近まで人が多く住んでいたのではないかと思います。和田小学校が閉校になったのは5年位前の事です。それに、地区内を歩いていても建て替えられた家が少なくありません。道も綺麗に掃除してありますし、草も生えていません。空き家の率も低いのではないかと思われます。
しかし今後10~20年、今いるお年寄りが少なくなるほどにさびれていき、他地区と同じ道をたどるのではと思います。高収入の産業がある都会に若者は吸い寄せられるのは仕方がないとは言え、昭和30年頃の田舎の賑やかさを知っている私には寂しいものを感じます。
周防大島和田地区の史跡巡りウォーキングコース
先日剥いだクルミの皮で簡単な籠か皿を一つ作ってみることにしました。まずは剥いだ皮を水に浸けました。3時間程度浸していると水が茶色に濁り皮が柔らかくなっていました。皮の裏側は少しぬるぬるして滑ります。タオルで水けを取った後、いよいよ皮を細断することにしました。厚めの皮なので平らにすることが大変でした。そのため、板の上に載せて押ピンで押さえつけました。
細断してなめした後、軒下で乾燥中のクルミの皮
クルミの皮は意外に厚いため、平らにするには力が要ります。押ピンで板に押さえ付けますが油断するとはじけるように外れます。そもそもクルミの皮には細工に適した厚さがあるのではないかと思います。皮が薄い方が細工しやすいと思うので、今後は細めの枝の皮を優先して剥ごうと思います。
水に浸して柔らかく 押ピンで皮を平らに けがき針で切る位置刻む
何とかクルミの皮を板に張り付けると、けがき針で印を引きました。そして、その印に沿ってハサミで皮を切りました。皮は柔らかいため容易に切ることができす。
切り終わると、丸棒にひっかけて何度も往復して引っ張りながらなめしました。なめすと皮が柔軟に曲がるようになりました。
けがき針で印した線に沿って切る 丸棒に掛けて往復しながら皮をなめす
結局の所、青木周弼の生誕地碑を見つけることができませんでした。小山をあちこち探し歩いたのですが分かりませんでした。和田地区は意外に広く全てを探索することができなかったため、機会があれば再度探してみようと思います。後日書物で調べてみるとミカン畑の中に碑があるようです。
青木周弼生誕地に見切りをつけて小野家五輪塔周辺を調べてみました。すると、妙見社のお社などが隣に建っていました。
青木周弼生誕地、小野家五輪塔近くのミカン畑
さらに小野家五輪塔傍には男性を模している思われる石棒が立てた状態で置かれていました。江戸時代は特に飢饉や疫病で人口が減った時期がありました。そんな時、人々の願いは子供がたくさん生まれることではなかったかと思います。幕末に青木周弼が藩医とし天然痘で亡くなる人々を種痘で救ったことなどを思い起こして、昔の人々の悲惨さや願いに思いをはせました。
妙見社の小さなお社 お地蔵様三体 お地蔵様五体
和田地区を歩いているとたくさんのお地蔵様に出会います。そのお地蔵様は比較的新しく置かれているようでした。台座もピカピカ新しいのです。道路を改修したりした時に新しく彫って安置したように思えます。安置したのは昭和年代ではないかと思います。しかも、数体のお地蔵様が連番で並んでいるのです。
葉軸に棘があるシュロ? たくさんのシュロ?が
ところで、旧和田小学校にも植えてあった巨大なシュロのような植物がこの地には目立ちます。その植物を見上げていると、一人のお婆さんに出会いました。このシュロのことをお聞きすると、このシュロ(ヤシ?)を植える園芸屋の土地とのことです。そのシュロを公園や広場に植える仕事をしているとのことでした。この植物の名前をお聞きすると、分からないとのことでした。そう言えば片添ヶ浜の海岸に沿って並ぶように植えてあるワシントンヤシ?ではないかと思います。
周防大島和田地区の史跡巡りウォーキングコース
毎年越冬しては次年に継いでいるヘナを畑に移植しました。ヘナは髪を染めるために使われているそうですが、私は布の染色に使っています。育ったヘナの葉を収穫して染色に使うと明るい橙色に染まります。
しかし、この冬にうっかり水をやるのを忘れてしまいました。そのため、二株以外は全て枯らしてしまいました。元々ヘナは東南アジアやインドなどの熱帯で育つ栽培植物です。寒い日本では花が咲かず当然ながら種もできません。そのため、冬の間は温室に入れて越冬するしかないのです。
越冬したヘナを畑に植え付け、ビニールで保温
簡易温室を片付けた後、ヘナを植え付ける畑を耕運機で丁寧に耕運しました。それが終わると、ヘナを植木鉢から抜き取って畑に植え付けました。早朝はまだ寒いので保温と防風のためビニールで囲いました。今年は去年よりヘナが育つには条件の良い畑に植え付けました。染色できるほどの葉を収穫できると思います。
越冬した鉢を片付け 丁寧に畑を耕運 畑に植え付けたヘナ
周防大島の和田地区の史跡巡りに友達と行ってきました。この地区には、民俗学者の故宮本常一が子供の頃に叔母に連れられて行った正岩寺と淡島神社があります。そのお寺と神社の前には大きな池があります。
ただ正岩寺と淡島神社に行くだけではつまらないため、周辺にあるお地蔵様,鉾,祠,そしてお堂などを散策しながら歩きました。出会った地元の方々に声をかけながら行き方や言われなどをお聞きしました。
小野家五輪塔,祠,不思議な石など
最初に見たのは和田小学校です。まだ新しい校舎でしたが、平日なのに子供の声が聞こえてきません。たまたま近くに駐車してあった軽トラック傍に古老がいました。声をかけてこの小学校についてお聞きしました。すると5,6年前に統合されて閉校されたとのこと。今は会社の建物になっているそうです。この和田地区も少子化で子供が少なくなったようです。
閉校した旧和田小学校 山の上の静かなお堂 まだ新しいお地蔵様
その古老から山の上に見えるお堂を紹介されました。以前は地区の方々がお守りしていたそうですが、今はその山の下にある一軒が守っているとのこと。古老にお礼を言ってそのお堂に行きました。お守りしている一軒の前を通って山の下にいきました。すると、上に向かって急な階段がありました。階段には落葉が積もっていてお守りも大変な様子でした。お堂には名前や由来などが掲示されていませんでした。今は集りもなく使っていないように見えました。残念です。
今は使われていない水神様の井戸 青木周弼誕生地付近の碑
お堂を出ると水神様のつるべ井戸がありました。今は使われていないようで紐で縛ってありました。しばらく歩くと青木周弼生誕地の案内がありました。青木周弼は幕末期に和田で生まれて江戸や大阪に出て勉強したとのこと。その後長州藩の藩医になったり種痘を広げました。幕末に活躍した人です。その青木周弼生誕地碑を見るためにまた山の中に入りました。そして、その山の端に小野家五輪塔などの史跡がありました。いろんな石碑,五輪塔,祠,神社などがまとまってありました。
周防大島和田地区の史跡巡りウォーキングコース
5月の連休時(5/3)に、わら細工民具の「ほぼろ」の製作講習会を開きます。その準備を始めました。今回は小さな駒を作りました。その理由は、参加する子供からペットボトル用のほぼろを作りたいとの希望があったからです。
ペットボトル用のほぼろは装飾として色のついた毛糸を使います。今、その毛糸を巻いておくための駒は数個しかありません。そのため、二人分の駒12個を新たに作りました。小さな駒ですので、先日伐採したクルミの小枝を使って作りました。
右:ペットボトル用ほぼろ,左:装飾毛糸を巻いておく駒
径3cm位のクルミの真っすぐな小枝を選びました。その枝を10cmごとにノコギリで切りました。切断した枝一つ一つが駒になります。次にその駒の片方を鉈で尖らせました。最後に尖らせた先端とその下両サイドにヒートンをねじ込みました。これで駒の出来上がりです。とても簡単です。
枝をノコギリで切断 鉈で片側を尖らす ヒートンを取り付け
駒が完成すると使いやすいか実際に毛糸を巻いてみました。すると毛糸が外れることもなく使いやすいことを確認しました。講習会当日、何種類もの色や柄の毛糸を持ち込みます。そして、子供達に好きな毛糸を選んでもらって駒に巻いてもらおうと思います。
完成した小さな駒12個 試しに毛糸を巻いてみる
去年、日本みつばちを飼っているお寺の方に、分蜂時にみつばちを分けていただくようお願いしていました。そのため、あらかじめ巣箱を届けておきました。
ところが、お寺で養蜂しているみつばち達が病気になったとの連絡が入りました。つまり、みつばちが分蜂できないこととなりました。そこで、私の友達でみつばちを飼っているY君にアドバイスを請い、我家でみつばちを直接誘引して飼うことにしました。楽しみです。
クラフト小屋の南側壁に、誘引のためのみつばちの巣箱を設置
私は養蜂に関しては全くの素人です。現に養蜂しているY君に教わりました。まずは、誘因する巣箱にみつばちが好むみつろうを塗りつけました。そして、みつろうを生成する時に抽出した液を巣箱内にスプレーしました。そして、奥の手であるキンリョウヘンと呼ばれるみつばちを誘引するランを二株置きました。春から夏にかけて分蜂するとのことですので、みつばちがやって来るのを楽しみに待とうと思います。
みつろうを溶かす 誘引液をスプレー キンリョウヘン二株
ところで、私が子供の頃に西洋みつばちの養蜂をしていました。自前でハチミツを生産していたのです。蜜を取るための手回し遠心分離機がありました。遠心分離機は、円柱形で上にはハンドルがありました。しかし、台風で巣箱が壊れてみつばち達は逃げてしまいました。
今回みつばちを誘引することができれば60年ぶりの養蜂です。春から夏にかけて分蜂したみつばちが巣箱に来てくれるといいのですが。
Y君の誘引用の巣箱を設置 私の誘引用巣箱はクラフト小屋脇に
夏に向けて急ピッチで畑の整理をしています。草刈機で刈り取った雑草,チェーンソーで切った枝,冬野菜の残渣などです。これらは夏野菜を作るには邪魔ですので全て焼くことにしました。
なお、我家内を掃除していると不要な布団,毛布,絨毯などがたくさんあります。これらは柳井のゴミ焼却施設に持ち込みました。久しぶりに焼却施設に行きました。焼却にかかった費用は300円でした。
畑や山で出た枯木,枯草,そして残渣を焼却処分
ところで、我家内には布団類以外にたくさんの不要な衣服,本,家具が所狭しとあります。終活にはまだ早いような気がしますが、気が付いた時に整理するに限ります。息子にとっては、私が使っている耕運機,トラクター,精米機,草刈機などの農機具は莫大な不要物です。10年位かけて減らしていくしかなさそうです。
ライターで火を付ける 火がだんだん強く 水をまいて防火
2月頃のことです。藍染めに興味を持っている農家のMさんに私の藍畑に来ていただきました。そして、藍の種を取ってもらいました。そして、今回やや遅れましたが藍の種まき体験に来ていただきました。種を筋蒔きする筋を引くところから体験していただきました。
最初に私が平クワで畝に筋を引きました。その平クワを一緒に来た小学三年生の娘さんに渡しました。すると農家の手伝いをいつもしているようで教えなくてもちゃんと平クワを扱えました。感心です。
快晴の春の日、一緒に種を筋蒔きするMさん家族
種を蒔く前に、引いた筋の上にジョロでチョロチョロと水をまきました。私が水まきの手本を見せてから娘さんにジョロを渡しました。すると上手に水をまいていました。それが終わると、いよいよ藍の種蒔きです。藍の種はとても小さいので砂で増量していました。それを指でひねるようにして筋蒔きました。
レーキで畝を整形 平クワで筋を引く ジョロで水をまく
種を蒔き終わると、その上に土を被せました。この畑は粘土質ですので、そのまま土を被せると雨後硬くなります。すると藍の芽生えが困難になります。それを避けるため、網を振りながら粒状の土を被せます。さらにその上に籾殻を被せます。やはり網を振って畝全体に均等に被せます。これは降った雨がじんわりと土に浸み込むためです。
二週間後には藍が芽生えると思います。その一ヶ月後、育った藍の苗を本畑に移植します。栽培した藍、小学校の放課後学習で子供達に藍染めを教えるために使う予定です。
網の上に土を載せて振う 最後に籾殻を畝に被覆
令和六年度の少年少女発明クラブの開講式がありました。コロナ以前は発明クラブに入りたい子供がとても多く選抜しなければならないほどでした。しかし、コロナ以降は少子化の影響もあるのか、希望する子供が少なくなったような気がします。
発明クラブに限らずスポーツクラブに入る子供も減ってきたと聞きます。実際、去年子供野球チームが一つ減りました。ただし、子供が少なくなったとは言え発明クラブの場合は、先年度県代表として全国大会に出場することができました。言わば少数精鋭と言えるでしょうか。
少年少女発明クラブに入った子供達と保護者の皆さん
開講式が終わると小学校の工作室に移動しました。そして、子供達と指導員さん達でオリエンテーションです。最初、指導員さん達に教室の前に並んでもらって自己紹介をしていただきました。その後、子供達の席に指導員さんが移動して相互に自己紹介をしていただきました。
子供達は町内別々の小学校から来ているため、名前に加えて小学校名や学年も紹介してもらいました。次回から本格的にアイデア工作や工作するための道具の使い方を覚えてもらいます。これからの一年、子供達の工作指導で忙しい日々の始まりです。
田布施西小学校の式場 子供と指導員相互の紹介 一年間の予定披露