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見事な国の人間の精度

2008年07月14日 | 読書
 6月14日の地震からちょうど一か月。

 雑誌を見ていたら、こんな文章が目に入った。
 山根一眞氏が、その地震発生からの四日間について調べたことをもとに「日本の地震対応力」について書いたものだ。

 そして、結論。日本は凄い国だ。見事な国だ。

 地震発生時における国や官庁の動きを評価して、山根氏はそう言い切った。
 国のあちこちに張り巡らされているデータ収集網とそれに対応する各機関の速さについて調べ、その迅速さに恐れ入っているという文章である。
 政府の対応のまずさが大きく取り上げられた、あの阪神淡路大震災の教訓が生かされ、見事なまでに諸機関が準備体制を築いている。
 8時43分46秒の地震発生から、わずか数秒で態勢が整った。震源地の揺れがおさまった数分後を待たずして、各種の対策本部が立ち上がっている。官邸も50分には緊急対策室が設置されていたという。

 もちろん、機械が反応しただけだといえばそれまでだが、そうしたシステムを作りそれを活用させていくのは人間であり、言うなれば大震災の失敗を乗り越えた証しとも言えよう。
 私が今回の揺れの強さで思い出したのは、もう二十数年前の日本海中部地震だが、そのとき津波によって数多くの命が奪われたことを思い出すと、まさしく隔世の感がする。
 情報の伝わる速さも、情報収集しようとする意識も、行動を判断する知識も今とは比べ物にならないはずである。

 しかし、先進的なシステムであってもそれを生かすのはもちろん人である。
 対応の判断を機械に任せているからこそそこまでの俊敏性、即決性があったわけだが、全てが機械でできるわけではない。何事も最終的な判断は人間が行わなければならない。

 機械は日に日に精度を上げ進歩しているが、人間が精度を上げていくためには何が必要なのか。
 災害であるだけに安易に「経験」とは言い難い。やはり意識的な訓練の場を設け、練習していくことの必要性が見えてくる。
 そして、それは災害対応だけでないことも自明である。