「山は半分殺してちょうどいい…」
『相剋の森』(熊谷達也著 集英社文庫)のキーワードとなる言葉である。
名作!『邂逅の森』と同様にマタギを取り上げた作品であるが、舞台が現代であり、主人公が女性ジャーナリストという設定もあってか、その主張はかなりわかりやすかったと思う。
安易に「自然との共生」といった言葉で括るな、そういう姿勢が冒頭の言葉に込められている。作中人物の一人である老学者は「共死」という言葉を使っている。
つまり、山を半分殺す(「のす」と読むそうだ)ということは、「人も半分殺す」ということ。
もちろん、物騒な殺人ではなく、「人の欲望を半分殺す」という意味である。
マタギの流儀のようなものは、そんなふうにも言い換えられる。
同じように、人間の暮らしも考えられるべきだろう。
自然や環境の問題はもちろんそうだが、そのことは人間社会全般にも当てはまる。
連日、様々な事件報道に目をやるとき、結局それは殺されていない欲望が全てであることがわかる。年少者にも欲望を殺すことを教えていない、躾けられていない世の中なのである。
人も半分殺してちょうどいい…
「のして」と読めば、警句として強く響くような気がしている。
「相剋の森」は人間の心の中にあるということ。
『相剋の森』(熊谷達也著 集英社文庫)のキーワードとなる言葉である。
名作!『邂逅の森』と同様にマタギを取り上げた作品であるが、舞台が現代であり、主人公が女性ジャーナリストという設定もあってか、その主張はかなりわかりやすかったと思う。
安易に「自然との共生」といった言葉で括るな、そういう姿勢が冒頭の言葉に込められている。作中人物の一人である老学者は「共死」という言葉を使っている。
つまり、山を半分殺す(「のす」と読むそうだ)ということは、「人も半分殺す」ということ。
もちろん、物騒な殺人ではなく、「人の欲望を半分殺す」という意味である。
マタギの流儀のようなものは、そんなふうにも言い換えられる。
同じように、人間の暮らしも考えられるべきだろう。
自然や環境の問題はもちろんそうだが、そのことは人間社会全般にも当てはまる。
連日、様々な事件報道に目をやるとき、結局それは殺されていない欲望が全てであることがわかる。年少者にも欲望を殺すことを教えていない、躾けられていない世の中なのである。
人も半分殺してちょうどいい…
「のして」と読めば、警句として強く響くような気がしている。
「相剋の森」は人間の心の中にあるということ。