すぷりんぐぶろぐ

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オオカミなんか…

2008年07月02日 | 読書
 休日にテレビを見ていたら、あの旭山動物園の話題が取り上げられていた。
 今度の新施設は「オオカミの森」とのこと。
 偶然、その日の朝に読み始めていたのが『漂泊の牙』(熊谷達也著 集英社文庫)だった。
 テレビに映るなんとなく貧相な狼の姿を見ると、いくら「行動展示」と言われてもそれは野生とはよべない行動しか垣間見ることができないのだ、という当然のことを感じてしまった。

 『漂泊の牙』もずいぶんと読み応えがあった。謎の獣によって妻を亡くした主人公が「犯人」を追いつめていくサスペンスの要素が強いストーリーだが、語られるのは動物の世界や歴史的な背景は、私にとって新鮮な知識だった。

 それにしても、私たちが持っている狼のイメージというのは、ずいぶんと固定的だなと改めて感じた。
 それは本文や解説にもあったことだが、たぶん「赤ずきん」や「狼男」などによって語られてきたことが強く影響しているのだと思う。歌では「狼なんかこわくない」(こういう曲名だっけ?確か石野真子)とか、あの中島みゆきの名曲「狼になりたい」などもあるし、いわゆる怖い、強い、そして襲う存在としての象徴的なことばとして受けとめられていると言っていいだろう。

 さて、この話のもう一人の主人公とも言えるテレビ業界のディレクター恭子が、間近に見えたニホンオオカミの姿をビデオカメラにおさめることなく、オオカミに目を向けるというのがラストシーンである。
 恭子はカメラのディスプレイ上の姿を見つめて、こういう。

 「違う、こんなものじゃない、私が見たいのは」

 文明に押し潰されないものへの尊敬のようであり、同時にその文明に毒されている人間への警告のようであり、鮮やかな幕ぎれだなと感じた。

 そう書きながら、狼の姿を現実に見られるのは動物園だけだろうし、周りに「一匹狼」のような人もいなくなったし、などとあれこれ思いが散らばってしまった。