愛読している穂村弘が「天然」と題した文章でこんなことを書いている。
間違え方自体に、まだ名づけられていない価値が含まれているのではないか
いわゆる「天然タイプ」の人が、ドッペルゲンガーのことをトーテムポールと云ったことからの展開だった。
唐突に、先月のある日、居間での会話が思い出される。
テレビでバラエティーを見ていたら、昔ヒットした歌謡曲が流され歌っていた歌手名を当てるクイズだったように思う。
流れてきたのは『人形の家』。
あっと一瞬戸惑ったが、すぐに「弘田三枝子(ヒロタミエコ)」だなと思い出すことができた。
ところが、一緒に見ていた連れ合いが思い出せないらしい。
「ミ、ミ…ミタ、…ヒロ、ヒロ」
とつぶやく。
「ああ、いいところにいっている」
と励ます。
「ミタ、ヒロコ!」
それは、ずいぶん時代が違うでしょ。
「ミ、ヒロ、…わかった。ミタ、ヒロミ!」
なかなかいい名前なんだけど、違うなあ。
「ヒロミ…ヒロエ…ミエ…」
そう、そう、近づいてきた。
「ミエ、ミエ…タ、タミエ!ヒロ」
ああ!
とまあこんなくだりで数分間。
(顔も見たくないほど嫌われないように、注意しながら)
単なる度忘れということなのだが、記憶がそのまま取り出せないいい例か。
自分も最近ある歌い手の名前をずいぶんと思い出せず(しかも何度も)、どうしてかなあと一人で笑いながら苦悶していることがある。
エレファント・カシマシ
その顔も歌声もはっきりわかるのだが、名前が出てこない。それが4回続いた。
そしてその度に候補?として出てくるのがこの名前だ。
ガダルカナル・タカ
何か、名づけられていない価値があるのでしょうか。
間違え方自体に、まだ名づけられていない価値が含まれているのではないか
いわゆる「天然タイプ」の人が、ドッペルゲンガーのことをトーテムポールと云ったことからの展開だった。
唐突に、先月のある日、居間での会話が思い出される。
テレビでバラエティーを見ていたら、昔ヒットした歌謡曲が流され歌っていた歌手名を当てるクイズだったように思う。
流れてきたのは『人形の家』。
あっと一瞬戸惑ったが、すぐに「弘田三枝子(ヒロタミエコ)」だなと思い出すことができた。
ところが、一緒に見ていた連れ合いが思い出せないらしい。
「ミ、ミ…ミタ、…ヒロ、ヒロ」
とつぶやく。
「ああ、いいところにいっている」
と励ます。
「ミタ、ヒロコ!」
それは、ずいぶん時代が違うでしょ。
「ミ、ヒロ、…わかった。ミタ、ヒロミ!」
なかなかいい名前なんだけど、違うなあ。
「ヒロミ…ヒロエ…ミエ…」
そう、そう、近づいてきた。
「ミエ、ミエ…タ、タミエ!ヒロ」
ああ!
とまあこんなくだりで数分間。
(顔も見たくないほど嫌われないように、注意しながら)
単なる度忘れということなのだが、記憶がそのまま取り出せないいい例か。
自分も最近ある歌い手の名前をずいぶんと思い出せず(しかも何度も)、どうしてかなあと一人で笑いながら苦悶していることがある。
エレファント・カシマシ
その顔も歌声もはっきりわかるのだが、名前が出てこない。それが4回続いた。
そしてその度に候補?として出てくるのがこの名前だ。
ガダルカナル・タカ
何か、名づけられていない価値があるのでしょうか。