すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

自然の音が景色を濃くする

2009年05月27日 | 雑記帳
 三週ほど続けて休日の朝に近くの山林へ出かけた。
 今が盛りの山菜を採りに、ということである。もっとも小一時間で回り、その日の食卓に添えるという程度である。

 秋のキノコの時期と今頃しか出掛けないということもあるからだろうが、草むら、草藪、それらに分け入りながら耳に入ってくる鳥の鳴き声がとても心地よい。
 ウグイスやホトトギスぐらいしか判別できないが、まだ数種類いることは確かで、それが時に強く響いたり、また遠くから長く響いたり、と腰を伸すタイミングでうまく聞こえてくる。
 それでまた少し景色が新鮮に感じられる。

 こういうのを「自然音」というのだと改めて思う。
 「人工音」に染まっているなどと今さら口にするのも変だが、私たちの暮らしに聞こえる音は、ほとんど全てといってもいいほど人工なのだと思う。
 音の総量もきっと数十年前とは比べものにならないほどに増えているのだろう。そして、よく考えると、自然の音があってもそれらはみんな人工の音にかき消されているのだ、という現実に気づく。

 人工音の増大は文明、文化の発達に伴っていることに違いないだろう。それは物体の視点でも同じである。しかし自然のものが全くなくなったのか、あるのだけれどかき消されているのか、と考えると、ほんの少しだけれど音には可能性があるように思う。

 自然の音を拾ってみようとすると、水を張られた田んぼから聞こえる蛙の合唱も貴重な音源であり、少し景色を色濃くしてくれることに気づく。