すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

覚束ない書きぶりで

2009年05月12日 | 雑記帳
 職場に送られてきたある文書。学習塾で有名なK式からの送り状なのだが、「九九が覚束ない」という表現があった。
 こんな漢字はあまり目にしないなあと思いながらああ「おぼつかない、ね」と簡単に読み方は出た。

 「覚えることが束にならない」と訳してみる。つまり「習得や理解をきちんとひとまとめにすることが出来ない」。
 見事な解釈ではないか、と思いつつ愛用の電子辞書で調べてみた。

 なんと。これはまた、全く違う語源ではないか。

 まず「おぼつかない」はあっても、「おぼつく」という動詞はないということ。つまり「ない」は「無い」ではなく、程度を表す接尾語だ。
 従って「おぼつきません」「おぼつかぬ」「おぼつくまい」などという使い方は誤用である。「覚束無い」は全くの当て字ということだ。

 「おぼ」は「おぼろ」のようなぼんやりした状態を指している。「つか」は「ふつつか」のようにある状態を表わすものだったということである。
 従って「おぼ+つか+ない」は、あやふやな、はっきりしない様子の強調ということができる。

 おぼつかない知識
 おぼつかない足取り
 おぼつかない将来

 これも、どうもあまり明るい言葉ではないなあ。
 どうしてこんな言葉ばかりがが目に入ってしまうこの頃か、我ながら疑問を感ずる。
 おぼつかない書きぶりになってしまった。