職場に送られてきたある文書。学習塾で有名なK式からの送り状なのだが、「九九が覚束ない」という表現があった。
こんな漢字はあまり目にしないなあと思いながらああ「おぼつかない、ね」と簡単に読み方は出た。
「覚えることが束にならない」と訳してみる。つまり「習得や理解をきちんとひとまとめにすることが出来ない」。
見事な解釈ではないか、と思いつつ愛用の電子辞書で調べてみた。
なんと。これはまた、全く違う語源ではないか。
まず「おぼつかない」はあっても、「おぼつく」という動詞はないということ。つまり「ない」は「無い」ではなく、程度を表す接尾語だ。
従って「おぼつきません」「おぼつかぬ」「おぼつくまい」などという使い方は誤用である。「覚束無い」は全くの当て字ということだ。
「おぼ」は「おぼろ」のようなぼんやりした状態を指している。「つか」は「ふつつか」のようにある状態を表わすものだったということである。
従って「おぼ+つか+ない」は、あやふやな、はっきりしない様子の強調ということができる。
おぼつかない知識
おぼつかない足取り
おぼつかない将来
これも、どうもあまり明るい言葉ではないなあ。
どうしてこんな言葉ばかりがが目に入ってしまうこの頃か、我ながら疑問を感ずる。
おぼつかない書きぶりになってしまった。
こんな漢字はあまり目にしないなあと思いながらああ「おぼつかない、ね」と簡単に読み方は出た。
「覚えることが束にならない」と訳してみる。つまり「習得や理解をきちんとひとまとめにすることが出来ない」。
見事な解釈ではないか、と思いつつ愛用の電子辞書で調べてみた。
なんと。これはまた、全く違う語源ではないか。
まず「おぼつかない」はあっても、「おぼつく」という動詞はないということ。つまり「ない」は「無い」ではなく、程度を表す接尾語だ。
従って「おぼつきません」「おぼつかぬ」「おぼつくまい」などという使い方は誤用である。「覚束無い」は全くの当て字ということだ。
「おぼ」は「おぼろ」のようなぼんやりした状態を指している。「つか」は「ふつつか」のようにある状態を表わすものだったということである。
従って「おぼ+つか+ない」は、あやふやな、はっきりしない様子の強調ということができる。
おぼつかない知識
おぼつかない足取り
おぼつかない将来
これも、どうもあまり明るい言葉ではないなあ。
どうしてこんな言葉ばかりがが目に入ってしまうこの頃か、我ながら疑問を感ずる。
おぼつかない書きぶりになってしまった。