すぷりんぐぶろぐ

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国語辞典という木に登る

2011年04月29日 | 教育ノート
 今日の授業は、昨日よりはずいぶんマシだったかなあと振り返る。

○指定されたページを開き、見出し語を読む。
○辞典に書かれている意味を聞き、言葉当てクイズをする。
○見出し語の並び方について、昨日の問題を確かめながら、五十音順になっていることを知る。
○清音、濁音、半濁音の並び方について知る。
○カタカナの伸ばす音の場合について知る。
○様々な言葉の並び方の問題を考えながら、確かめる。


 昨日2時間もかけて、パワーポイントファイルを作ったので、クイズや復習は順調だったし、まとめの練習そして最後に「ひっかけ」を作ったこともいい終末だったと評価できる。

 問題は五十音並びの説明場面だが、三年生ぐらいだとなかなか難しいかもしれないと思いつつ、やはり上手に伝えてほしいと思ってしまうのは教師の性か。
 そういう説明が上手くいくと、言語力がずいぶんついてきたと満足するのも常だ…。

 「伝え合う」は今もって大きなキーワードだし、そんなふうに自分も教えてきたし、たぶんこれからも仕事の重要な部分を占めるはずと思いながら…

 今朝、読み終えた小説の一節が浮かんでくる。

 『静かな爆弾』(吉田修一 中公文庫)

 お気に入り作家の吉田修一だが、この話の設定や筆致は何かちょっと今までとは違うなあ、大崎善生みたいだなあと感じてしまった。
 テレビ局に勤めドキュメンタリーを制作する主人公が、聴覚に障害を持つ女性と出会いつき合い始め、様々な出来事を通して揺れる感情を描いている長編である。

 さて、心をとらえたのは、主人公の友人立木という人物が語ったこと。

 子どもって誰かに伝えたいと思って、木に登るわけじゃないんだよ。木に登ったらどんな景色が見えるのか。ただ、それを知りたくて登るだけなんだよ。でもさ、年取ってくると、木に登らなくなる。万が一、登ったとしても、それを誰かに伝えたいって気持ちが先に立つ。

 仕事上の比喩であったり、キャリアを重ねることの問いかけであったりするわけだが、実に根本的なことを言っているように思う。

 肝心なのは伝えるということではない。木に登ることだ。

 しかしまた、その考えも誰かが伝えようとしなければ、誰かに伝えてもらわなければ気づくことはない、という現実。

 まるごと受けとめる感性がないと、きっと言葉はふわふわして捕まえられない。