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つまらない男にならないタイプ

2011年04月18日 | 読書
 『「愛」という言葉を口にできなかった二人のために』(幻冬舎文庫)のなかに「旅する女」という映画の紹介があって、ストーリーそのものはありふれたように感じたが、妻に去られ残された夫についての記述には、五十代男としてその悲哀に同調してしまう。

 すべての夫はつまらない男になっていく

 なぜつまらなく感じるのか、くだらなく感じるのか…まさに答えは日常そのものにあるが、「ちくま」4月号の連載で保坂和志はこう言い切っている。

 人はみんなどうなってほしいかの希望を語らずに予想ばかりを口にする

 当事者でありながら当事者性を欠いている人間のなんと多いことか。(そう書く自分もさもありなんではあるが)

 希望を語ることは、実現に向けて半歩歩みだしたことである。
 予想を語ることは、成り行きに自らを委ねるように身体を傾けたことである。
 その区分はもう一度確認したほうがいい。

 保坂は、予想ばかりを口にするのは社会全体の傾向で、個人の心理としては「生き残り戦略」ではないかと評する。
 つまり、いち早い予想は、その場限りではあるが優越感を味わわせる。
 そしてそれは損得で生きる人がいかに多いかということの証明でもある。

 「損得計算ぬきにやりたいこと」が見つからない社会、好きなことをやっているように見えても「損得計算から自由になれない自分」…まさに、陥穽とも言えるこの問題解決は難しい。

 解決に向かうには、保坂の表現を借りていえば、たぶん二種類のやり方(タイプ)がある。

 はじめることは簡単じゃない。が、そう思ったときにはじめる人

 愚図


 これ以外は、みんな「つまらない男」になっていく。