『言ってはいけない 残酷すぎる真実』(橘 玲 新潮新書)
この新書はある意味痛快、冒頭の一行から挑発的である。
最初に断っておくが、これは不愉快な本だ。だから、気分よく一日を終わりたいひとは、読むのをやめたほうがいい。
確かに読み進めいくと、気分が高揚してうきうきしたり、次はどんな展開か楽しみになったりは、けしてしない本だ。
それどころか、そこまで言うか、センセーショナルなデータだけを突き付けて何になる、と憤る人だっているだろう。
もし、ここに書かれてあることは会話で自信満々に語ったりしたら、世の中の嫌われ者だろうなと想像はつく。
しかし、私自身は途中から、なんだか慣れてきて?著者が本当に言いたいことを探るようなモードに入ってしまった。
そして、「あとがき」にある「本書の企画を思いついた」発端については、深く納得したものだった。
著者のスタンスがよく表れている最終行である。
私は、不愉快なものにこそ語るべき価値があると考えている。きれいごとをいうひとは、いくらでもいるのだから。
遺伝や人の外見、そして教育、子育てなどにおける、いわば「努力」や「向上心」に冷や水をかけるようなデータに溢れた本と言ってもいい。
専門分野の研究者はどう評価するかはわからない。夥しい参考文献もあるが、妥当性を問う人は多いのではないか。
しかしいずれにしても、それはある面の「現実」を示していることは確かなのだと思う。
例えば、次のような一見暴論と思えることもずばり書かれる。
子どもの人格や能力・才能の形成に子育ては、ほとんど関係ない。
かなりページを割かれてある双生児研究のデータが添えられ、一瞬反論のしようがなくなる自分を感じたりするのだ。
ともあれ、それも一つの読書の醍醐味といえるかもしれない。
ゆえに貴重な一冊だ。
さて、なるほどと思った「美貌格差」。
先日、テレビ番組「世にも奇妙な物語」で「美人税」というテーマの話に笑ったが、それとずいぶん似ている気がした。
しかし、この新書での結論付けで一番格差があるのは、男性の容貌らしい。
自分のことは棚上げするが、そういう観点は笑い話や冗談でなく、もっと真剣に考えられていいことだと思った。
この新書はある意味痛快、冒頭の一行から挑発的である。
最初に断っておくが、これは不愉快な本だ。だから、気分よく一日を終わりたいひとは、読むのをやめたほうがいい。
確かに読み進めいくと、気分が高揚してうきうきしたり、次はどんな展開か楽しみになったりは、けしてしない本だ。
それどころか、そこまで言うか、センセーショナルなデータだけを突き付けて何になる、と憤る人だっているだろう。
もし、ここに書かれてあることは会話で自信満々に語ったりしたら、世の中の嫌われ者だろうなと想像はつく。
しかし、私自身は途中から、なんだか慣れてきて?著者が本当に言いたいことを探るようなモードに入ってしまった。
そして、「あとがき」にある「本書の企画を思いついた」発端については、深く納得したものだった。
著者のスタンスがよく表れている最終行である。
私は、不愉快なものにこそ語るべき価値があると考えている。きれいごとをいうひとは、いくらでもいるのだから。
遺伝や人の外見、そして教育、子育てなどにおける、いわば「努力」や「向上心」に冷や水をかけるようなデータに溢れた本と言ってもいい。
専門分野の研究者はどう評価するかはわからない。夥しい参考文献もあるが、妥当性を問う人は多いのではないか。
しかしいずれにしても、それはある面の「現実」を示していることは確かなのだと思う。
例えば、次のような一見暴論と思えることもずばり書かれる。
子どもの人格や能力・才能の形成に子育ては、ほとんど関係ない。
かなりページを割かれてある双生児研究のデータが添えられ、一瞬反論のしようがなくなる自分を感じたりするのだ。
ともあれ、それも一つの読書の醍醐味といえるかもしれない。
ゆえに貴重な一冊だ。
さて、なるほどと思った「美貌格差」。
先日、テレビ番組「世にも奇妙な物語」で「美人税」というテーマの話に笑ったが、それとずいぶん似ている気がした。
しかし、この新書での結論付けで一番格差があるのは、男性の容貌らしい。
自分のことは棚上げするが、そういう観点は笑い話や冗談でなく、もっと真剣に考えられていいことだと思った。