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「幸せな時代」という見方

2016年06月28日 | 読書
 『娘に語るお父さんの歴史』(重松 清  新潮文庫)

 久しぶりの重松本。しかも小説というより物語仕立ての時代解説という趣である。新書で読んだような記憶もあったが、お気軽読書として取ってみた。こうした類を、あのつかこうへいも書いていたと思うが、つかの場合と出自が異なるし、その意味で昭和生まれの一般人が読むには手頃な「社会史」とも言えそうだ。


 著者は1963年生まれ、等身大として感じたこと、考えたことを資料等駆使しながら語っている。その前後10年程度の範囲の世代であれば、自分と重ねて読むこともできそうだ。章立てしているキーワードを拾うと、「テレビ」「親の呼び方」「ふつう」「時間」…今では意識せずに暮らしに存在する事物を掘り下げている。



 中学生の娘の宿題をきっかけに、父である主人公が自分の生まれ育った時代を調べていく形で話が進む。冒頭場面で娘があまり意識せずに放った次の問いかけが、全体を貫いている。

 「お父さんってさあ、ほんとうに幸せな時代に生まれているよねえ」

 終盤ではまるで説明文のようにそれを肯定する返答が書かれているわけだが、その気持ちにたどりついた結論は、次のような考えだ。

 「いまがたとえ不幸でも、未来にしあわせが待っていると思えるなら、その時代は幸せなんだよ。つまり、未来が幸せだと信じることができる時代は、幸せなんだ。」

 そうなると、ではこの時代はどうかと考えざるを得ないし、その意味で重い一言とも言えそうだ。

 世の「幸せ論」の多くが語る結論は、「幸せの中身は自分で決める」ということだと思う。
 そしてこの本もそんなふうに結ばれるのだが、最終的には、時代や社会とどう関わりあっていくかを次の世代に示すことには禁欲的であった。

 そのあたりを弱みと自覚しつつ、逆に強みにしていくという気構えが求められている気がする。