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「旅強さ」に欠ける訳

2021年11月10日 | 読書
 教員を退職した時に、ある方から「紀行文でも書けばいいんじゃない」と声をかけられた。さほど親しい仲でもなかったので意外な誉め言葉として覚えている。ノンフィクションの文章に対する憧れは確かにある。しかし紀行文は無理だなあと、改めてこの本を読み痛感する。自分には「旅強さ」が決定的に欠けている。


『屋久島ジュウソウ』(森 絵都 集英社文庫)



 文芸誌で連載していた旅のエッセイを単行本化するにあたり、新しいエッセイを書き足すために行った編集者も交えたグループ旅行。その顛末が書名である。行先は屋久島。当然、縄文杉が目的の一つとなりその過程で宮之浦岳を登るコースがとられる。ガイドや同行者を交えたこの記録が、淡々としつつ面白い。


 食事を中心に買ったモノなどのメモを挟みながら、作者自身を初め登山初級者?たちの様子が飾り立てることなく描写されている。登山の様子などTVだったら背景の景色に魅せられて視聴することもあるが、文章ではどうかと思っていたが、難なく読み進めていけるのは、やはり手練れの筆力か。プロは違う。


 「旅強さ」…数年前に体験した三度の海外旅行はほとんどパッケージで安心安全第一だったし、「お膳立てしてもらった旅」に慣れきっている自分には縁遠い。どんなに旅先がよくても「印象的に綴るのは至難の業」という作者の言には頷くしかない。そうした精神の下支えがあって旅のエッセイは書かれるのだ。


 強さがなくても何かめあてになるものはないか…と思うと、こんな一節が目に入ってくる。「自分がそこへ行く必然について何かしら心当たりのある旅は、幸福な旅だ。」当初から、目的を持って「○○を見たい」という方法もあるが、何かに導かれたり、来てみたらあの○○が近くに在ったり、という方が響く。


 それなら気軽な観光旅行でも可能かもしれない。ただ、予測めいた風景や人だけでは難しいかもしれない。それらは「人間をタフに」しないだろう。このエッセイ集は読み通せば、その点が強調されていると感じた。結びに「心身鍛錬スパイラルに突入」とある。体を強くし心を強くする。「旅強さ」の正体である。