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「生きる力」は始末に負えない

2021年11月27日 | 読書
 「始末」という語が強く印象に残ったのは、NHKの朝ドラ「ごちそうさん」を観た時だった。近藤正臣扮する主人公の夫(あの東出某)の父親役だった。料理の本質を「始末」という言葉で表現した。これは辞書に載る意味の全てを込めたような使い方だと思う。広辞苑から抜粋すれば「首尾。事の次第。処理。倹約」。

『「始末」ということ』(山折哲雄  角川oneテーマ21)




 ここで語られているのは、もちろん人生の始末について。宗教学者として屈指の存在である筆者が10年前に書いた著だ。今年、卒寿を迎えられたはずだが近刊もあり、筆者自身は「始末」に向かって、着実に歩みを進めておられるのだろう。つまり、自らの来し方に「きまりをつける。締めくくる」。今も進行中だ。


 「死生観」をしっかり持つことの薦め、言うには易いが人間そんなに簡単にはできない。それを「往生際が悪い」というのかもしれない。死という絶対的未来に目を逸らさず「考えておく」ことは当然なはずだが…。読み進めていて、教育に携わった者としてはっとさせられた一節がある。「『生きる力』の大合唱」だ。


 教育界をこのフレーズが席巻し始めたのはもう三十年近く前ではないか。行政サイドから持ち出された語とはいえ、異論はなかったし、シンプルな力強さも感じた。ただ、今思うと世の中を覆う風潮が「生の謳歌」を強調した裏側では、死に対して、死者に対してどこか褪めた感覚が強まったという現実もあったろう。


 死と向き合わずに、本来の「生きる力」を語ることはできない。だからそこで語られたのはキャリアやコミュニケーションなど、いわば目先のことであり、人間の存在を深く問い詰めるものは少なかった。明るく、前向きに、開放的にという方向がコーティングされた表面だけ目立ち、内部の空洞化はまだ続いている。


 この本では「無常」が一つのキーワードだ。2011年当時、作家村上春樹がスペインで行ったスピーチも引用されていた。そこで村上が語った「人は無力」「儚さの認識」「滅びたものに対する敬意」といった言葉を今また噛み締めたい。筆者が「無常は循環と再生の思想である」と記したことと結びつく。