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遠くなるが、消えない昭和

2022年07月26日 | 読書
 「降る雪や明治は遠くなりにけり」あまりに有名な中村草田男の句である。昭和30年代生まれ以上の世代なら、なんとなく明治を昭和に置き換えたくなるのではないか。では「降る雪」に換えて何を置けばおさまるか。季語だが気象では難しい気がする。暮らし、風物、流行、そして食べ物…昭和が色濃いものは…。


『あの日の風景』(村上 保 秋田魁新報社)

 副題が「昭和が遠くなる」。著者はイラストレーター。秋田県出身ではなく、愛媛、長野、秋田の新聞に記事を寄せたという経緯で出版されたようだ。1950年生まれの心身に沁み付いている様々な「昭和」が、イラストと共に表現されている。100を超える項目ほとんどについて「そうそう」と頷ける自分に改めて驚く。


 俳句に照らし合わせられる語を探してみる。例えばこれはどうだ。「量り売り昭和は遠くなりにけり」商店で秤を使って売られていたモノの多さよ…。次はこれ、「餅まきや昭和は…」他と喜びを分かち合う場の大切さが徐々に…続けて、こんな語も当てはまりそう。「赤チン」「湯たんぽ」「おさがり」…みんな遠くなる。




『たべもの芳名録』(神吉拓郎  ちくま文庫)

 これは昭和50年代に雑誌連載されたエッセイがまとめられた一冊。現代もまた食べ物に関する文章は溢れんばかりにあるが、それらとは品格が違う。なぜか考えると、自分も含めいわゆる飽食の時代を過ごす嫌らしさがそう思わせているか。食物や料理、食事という場への敬意の持ち方が決定的なのかもしれない。


 この著に登場する食物、料理はもちろん現代にも存在する。しかしかの俳句に倣って上五に置けば、実は意味合いが違うようにみえてくる。例えば「湯豆腐や昭和は遠くなりにけり」。浮かぶ風景がある。例えば「玉子焼き昭和は…」もそうではないか。きっと想い出が湧く場面が脳内に残っている。昭和は消えない。