すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

神が出かけている間に

2022年10月31日 | 雑記帳
 ずいぶんと長いひと月だったように感じる。月初めは前月のコンクールまとめや掲示があり、三連休にワークショップの連続開催、翌週には三年ぶりの絵本ライブということで、その準備・運営が慌ただしかった。特に個人的に読み聞かせとブックトーク合わせて、計9回も子どもたちの前に立ったことが大きいか。


 何かしら役に立てることがあれば、という気持ちを仕事上で表現できるのは幸せだ。時代が激しく変化し、自分がしていることの意味づけに疑問を感じるときはあるが、結局のところ大人のエネルギーこそが、年少者の心に響くという考えに変わりはない。もっとも食い入るような子らの眼にパワーを得てのことだが。


 さて、実は昨日、電話で何気なく話したあることについて、久しぶりに自己嫌悪に陥った。それは他者に影響を与えるものではないが、自らの貧しさ、厭らしさが心の中にじわりと広がった。所詮、自分はこの程度と思う時は多い。それを諦めにして美しくないまま朽ちるのか。身体は自然の摂理だが、精神までも…。




 朝晩の冷えが続いたからか、例年より紅葉が美しい気がする。しかしそれにしても、陽が当たるかどうかで大きく違う。気取って「人生の紅葉も、陽が射すかどうかで美しさが決まる」と家人相手に軽口を叩いた。輝きたい願いは誰しも持つがそれは天気次第。輝けなくとも落葉して次世代の栄養となるだけでいいか。


 断捨離は長くブームが続いている。ただこの頃は「捨てていいのか」という論も盛り返しているようだ。モノでいえば、選択の観点は「有用」と「美」に二つに尽きるだろう。これは、モノ以外にも通用すると考えている。そして「有用」は万人に分かりやすく見えやすいが、「美」はそうではない。神よ、と訊きたい。