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参参参(二十五)よき時とは…

2023年06月20日 | 読書
 背筋の伸びるフレーズは貴重だ。のんびり本を愉しみつつ、きちんと正対したい。


『嘘みたいな本当の話』(内田樹・高橋源一郎選  文春新書)

 再読。一般人へ向けて募集した「ショートストーリー」の入選集。テーマは書名の通りでそもそもは米国版があり、それに倣ったものだ。今回も飽きずに読了できた。応募された中味が米国と日本で大きく違うことを分析している柴田元幸×内田樹の対談が興味深かった。日本人の持つ「定型」の意識の深さはどこからくるものなのか。文章表現だけではなく日常生活の端々に、私たちは周囲との同調を求めているのかもしれない。もう一つ、内田の記したあとがきに「自分の身体を内側からモニターしてくれるような言葉」という表現があり、今抱えている課題にずばりと刺さってきて、ずうっと考えている。





『よき時を思う』(宮本 輝  集英社)

 「まだ間に合うだろうか」とぼんやり思う。ここに登場する人物の背筋がぴしっと締まった生き方に近づきたいと…。九十歳の記念に自ら晩餐会を主催する祖母の言葉は、例えばこうだ。「見ていると幸福な気持ちになる。それはやがて『もの』ではなく幸福そのものになる。わたしはそういうものを探して集めてきた」…描かれている環境にどれほど違いがあっても、その矜持には憧れを感じる。象徴的な表現としての「大きな箱」をイメージとして持ち続けよう。その中味を端的に言えば「よき時」そして、「それはかつての栄光ではなく、光あふれる未来のこと」。



『大人のいない国』(鷲田清一・内田樹   文春新書)

 何度も繰り返し読もうと決めた一冊。同じ言葉を挙げているなら、それはまだ身についていない証拠。そのつもりで引用し続け、飽きるほど自分に言い聞かせてみたい。今回はふたつ。まずは「国誉め」のこと。暗そうな未来のことを暗そうに語っても何も生まれない。実際は僅かであってもその光が増すような立場で発言し、盛り上げることが価値につながる。そしてもう一方では、定型化された社会に、時代の趨勢に、ノイズを発し続けたい。それが未熟に思われたとしても、全体の成熟を担保するには必要不可欠であり、もはやそこに焦点化するしかない。暴走老人とまでは呼ばれたくないけれど。