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この頃のトーソー記

2024年01月11日 | 雑記帳
 現在の家を建ててから20年が経った。いろいろとガタが来るのは自然なことだ。水廻りはどの家庭でも大きなポイント。建築年度に普及していなかったのだろうが、我が家はエコキュートではなく電気温水器である。そもそも何度か修理依頼したし、昨年からの電気料金値上げもあり、そろそろ替え時だと決断した。



 本当にいい青空でしたね。(2024.1.11)


 歳末ぎりぎりに設置した。新しいのは結構だが、最新の多機能が使う人間様を支配しているような気がして心地良くない。すべて使い方次第だということを十分承知のうえだから、オートという名に身を任せるからこうなるのだ、と結論はすでに出ているのだが…。風呂に入っている時間まで管理され注意されるのだ。


 この心理はおそらく二つの面から生じる。一つは「今まで通りがいい」慣れからの安心が壊されたこと。もう一つは「機械が人を支配するな」という感情的な反発があること。しかし考えればそんなことは日常茶飯事だ。家電や車を替えたときもそうだし、環境が少し変わっただけで、似たような思いは浮かんでくる。


 ここで思い出す『スマホ脳』の著者アンデシュ・ハンセンの格言。多くのストレスに対する場合の二つの選択肢「トーソーか、トーソーか」つまり「闘争か、逃走か」。ここで「逃走」はできない。とすれば「闘争」。使いこなせば勝利、進行だ。使いこなせい状況が続くなら、それは敗北、緩やかに毎日退行していく。
 

 ぜっ、ぜったいに使いこなしてやる。何のために数十万もかけて新調したのか。いつ故障するかという不安や値上がりする電気料金への危惧に打ち勝ち、より快適な水廻りライフ(主として風呂)の実現を目指したからだろう。負けてたまるか…。取りあえずの勝負一回戦は、月半ばの電気料金の行方にかかっている。

 どうでもよくねぇ(笑)と思いつつ書いた。が、どうでもよくねぇえ(怒)