すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

今さらの温故知新

2014年07月18日 | 読書
 「2014読了」69冊目 ★★

 『論語』(加地伸行  角川ソフィア文庫)


 苦手意識があるけれど、これならいいかと思い手に取った。
 なにしろ「ビギナーズ・クラシックス 中国の古典」である。程よい難しさであった。

 第一部は「孔子の生涯」、二部が「『論語』のことば」となっていて、いずれもどこかで習ってはきているのだろうけど、ほとんど忘却の彼方へ去ったことだ。
 それゆえ孔子の生涯は新鮮に思え、起伏ある人生だったからこそ、後生に伝えられていくというある面の真実を知った気がする。


 最も有名であろう、論語の最初に置かれた文章。

 子曰く、学びて時に之を習う。亦悦ばしからずや。朋遠方より来たるあり。亦楽しからずや。

 この次にこう書かれてある。

 人知らずして慍らず。亦君子ならずやと。

 (人が私の才能を知らないとしても、不満を抱かない。それが教養人というものではないか)


 前段ほど広く知られていないこの部分こそ、孔子が抱えた不遇と、その時期の充実がもたらした悟りをまさしく表していると感じる。


 通読してみると、と言っても著者の編集した流れにそってということだが、結構、雑多な感じがするし、世俗的な箇所も見え隠れする。
 弟子たちとともに、そういう時間を過ごした、いわば「チーム孔子」の姿がこの論語全体と言えるのかもしれない。


 忘れていけないと思うのは、そしてたぶん忘れないだろうと思うのは、この著名な文章のことである。

 子曰く、故きを温めて新しきを知る。

 これも、それに続く部分が肝心なのである。

 以て師為る可し。(もって し たる べし)

 意訳は「そういう人こそ人々の師となる資格がある」。

 「温故知新」は、師たる条件を述べていたのか。
 おのが不明を恥じる。

コメントを投稿