夏椿…この花も「一日花」。今日この日しか咲かない
「二度寝」と「番茶」という取り合わせが描く世界とは…。具体的な出来事や象徴語として、この本には言葉として出てこなかったように思う。自分なりに近づいてみれば、「幸せ」それもバリバリやウオーッという高揚感の方ではなく、ノンビリ浸っていられる感覚、このせわしない世の中を一つ俯瞰してのごろ寝だ。
『二度寝で番茶』(木皿泉 双葉文庫)
冒頭のエッセイ「気まぐれな店」に登場する「カレー屋の主人」の行動には、最初吹き出してしまった。その後、じんわりと「フロー」とはかくあるべき精神のことかと納得する。主人はカレーをラーメンに換え、スープの味もどんどん変え、さらにスープの味を客に任せ、はてにバイトを残して、店から姿を消した。
おそらくは放浪の旅へ向かった主人。何事にもとらわれず、目の前の興味あることだけを、心のままに追っていく…満たされた心の連続によって何に届くか、何が残るかなど眼中にはないだろう。そこには徹底的に「自分」だけを見据える姿がある。その意味では一徹にある「道」を極めるために貫く精神と似ている。
さて夫婦二人の対談は「キニナルキ」の宝庫であった。大福(夫)の口から出てくる言葉が多いが、カッパ(妻)の受けと返しもタイミングが実にいい。さらに、引用されている小説、エッセイ、詩や詞の部分も印象に残る。それらは取り合えず省いて、対談中のフレーズからナルホドと膝をうった(実際は打っていないが)三つ。
「自由とは、選択の余地がないがんじがらめの中で獲得するものです」
「ふだん我々の日常は川のように流れていて、その下に何があるかは見えないそうです。だから、時々、川をせき止めて下に何かあるか確かめなければならない」
「ゆっくりゆっくり、後ずさりしながら見渡すものが増えていく。それが年をとるということです」
ほとんど手を出したことはないが、夫婦のドキュメントのDVDボックスがあったので、買ってしまった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます