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なんもしない人は、問いかける

2021年10月14日 | 読書
 「レンタルなんもしない人」の存在を知ったのは、NHKのドキュメンタリー番組だった。その発想に驚き、彼の「仕事」が展開する世相について考えさせられた記憶がある。調べたら一昨年の春の放送で、この著書もちょうどその頃に発刊であった。映像ほどのインパクトはなかったが、考えの幅を広げてくれた。


『レンタルなんもしない人のなんもしなかった話』
 (レンタルなんもしない人  晶文社)



 「二万人に一人くらいは必要としている人がいるかもしれないので、サービスを始めてみます」と、初日のツイッター投稿にある。報酬なし、交通費、食事代等の経費のみという条件で、この「人」をレンタルできる仕組みが、どのように始まり、どんな人が関心を持ったか、どういう道をたどったか、物語が伝わる



 報酬がないのでかなり自分の都合や思いを優先することができる。つまり、依頼者の利用意図とマッチする(少なくとも「やってもいいか」となる)ことが条件になっている。だから、最初に集中したいわゆる「順番待ちの列に並ぶ」依頼も、その対象が何かによって興味の度合いが違うし、このあたりは現実的だ。


 それは「したくないことはしない」「恐怖を覚えることは遠ざけたい」という、誰もが持つ本能に基づいているのではないか。しかし依頼内容は様々で予想しない展開も当然ある。ゆえにその場で発揮される社会性を持ち合わせ、他者の責任について寛容なことが、レンタルが一定期間続き注目された訳だと思う。


 話を聴く、一緒にどこかに行く等々の依頼が多い。それは、気を遣わなくていい他者の存在がいかに求められているかの証左だ。ただ注目すべきはこの「なんもしない人」へメールを送り、そうした存在との「自己対話」によって問題を解決していく例があることだ。「なんもしない」が人に問いかける意義は大きい。


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