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坂道を転がる心身を…

2025年03月05日 | 雑記帳
 去年の今日、記した駄弁に今の自分を問いかけてみると、「19歳の半世紀」なのか「18歳の半世紀+1年」なのか…。言うまでもなく後者か。きっと生物年齢の18から19は、実に様々な出逢いや変化があったはずだ。なんせ初めての一人暮らし、大学生活、ゼミやサークルへの参加、そして当然のように飲酒、喫煙…


 まさに「何者でもなかった」時代だ。学生運動のデモは初めて見たがすぐ下火になって、燃えかすのような先輩がいた。その姿に不満を持ちつつ、自分は何一つ踏み出せないまま、ただ髪を長くしジーンズを穿き、下手なギターを掻き鳴らす、昭和50年代初頭の典型だ。「三無主義」という言葉が投げつけられていた。


 「無気力・無関心・無感動」だと認識していたが、「無感動」ではなく「無責任」だと辞書にはある(後に無感動が入り「四無主義」らしい)。これらはあくまで、前時代との比較で称されたことに間違いない。そういう心的傾向は認めても、現実には様々な壁と衝突した時もあるし、熱き思いをたぎらせる出来事も多かった。


 それを想うと齢を重ねている今こそ、まさに「四無主義」へまっしぐらか。それも坂道。もちろん下り坂。物事への関心は下がり、当然気力も減る。責任は無い立場だし、感動は無縁か。いや「職」と無縁になったら損得の位相は違ってきたし、坂道を転がる心身をかろうじて引き留めてくれる存在はまだあるようだ。





 縁をつないで訪問しているこども園。今月は最終なので、昨日の園では「ありがとう」のしおりを頂戴した。そして今日はなんと教室へ行くなり「おたんじょう日、おめでとうございます」の声。帰りには、手づくりメダルを掛けてもらう。この齢になって素直に歓待してくれる場がまだあることに、手を合わせたい。

 最近、座右の銘となっているのは、新聞のコラムで見つけた和田秀樹氏のコトバ。忘れずに日々歩みたいものですな。

 「生きていれば何でも試してみることができます」


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