すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

ランドクで「時」を旅する

2021年11月13日 | 読書
 タイムトラベルがいつも面白いのは、現在に帰ってくるからだろう。設定としてどんなエンディングを迎えるかは多様になっているが、その結末を認識するのは現在なのだから…。読書も似ている。まさに乱読的な2冊でぼんやり思ったこと。


『帰郷』(浅田次郎 集英社)

 浅田作品はいわゆる大作、長編小説には手を出していない。もっぱら短編やエッセイだ。この小説は戦争をテーマにした短編集。6編収められている。様々な立場と舞台設定があり、そこで戦争と関わる人々の心情があぶり出される。それは我々世代の知り得ないことではあるが、作者は自衛官としての経験やその情報収集力によって見事に「物語」を残した。
 特に胸を打つのは、敗残兵が死を間近に自らを「腹に収めて」帰国してほしいと願う場面だ。そうとしか言えない時代がある。生き残った者が語らないのなら…という作者の反戦の願いが強く沁みわたってくる。
 さて、表紙写真を検索しようとネットに入ったら、ある週刊誌サイトでこの作品を堂々と「連作短編集」と見出しに書いていた。この程度の誤りも指摘されないネット記事って…翻弄されたくない。




『よみがえる変態』(星野 源 文春文庫)

 先週、ラジオから流れていた星野源の曲を聴いて、正直魅力は感じなかった。以前も書いた気がするが、個人的に注目したのは10年ほど前に「11人もいる」という宮藤官九郎脚本のドラマだ。そこで毎回弾き語りしている姿に妙な存在感を感じた。でもそれは歌そのものでなく「姿」だったのだなと思う。
 この文庫は、まだブレイクとまで呼べなかった時期、ちょうどそのドラマの頃の雑誌連載が収められたエッセイ集だ。突然、脳梗塞を発症し手術・入院、そして再発等々、かなりドラマティックな期間の「興奮」が見える。
 やはりこの人の魅力とは、書名に表されている、ある意味の「明け透け感」なのだと思う。絶頂期とも言うべき一昨年に書いたこの文庫版のあとがきが素晴らしい。「僕の目の前には、いつも絶望があります」と言いきった後に、「世間を面白くするには」と続ける潔さが、伊丹十三賞を取らせたと今さらながら思う。

妄想の喜びをどう読むか

2021年11月12日 | 絵本
 11月はもう読み聞かせの予定がないのだが、来月はかなり回数をこなしていく計画である。ヨシタケシンスケをひとつ入れたいという思いがあり、今夏発刊されたこの本を手に取った。『わたしの わごむは わたさない』『なつみは なんにでも なれる』と同系統であることが、題名だけでも想像がつく楽しい一冊だ。


『あきらが あけて あげるから 』
 (ヨシタケシンスケ PHP研究所) 





 まだ、様々なモノ(缶や袋、蓋のあるものなど)を上手に開けられない幼稚園児(たぶん)。はやく開けられるようになりたいと思う気持ちを拡げながら、自分が大きくなって色々なもの、奇想天外なものまで開けられる「なんでもあけるやさん」になりたいと妄想を展開する。いわば、御馴染みのヨシタケワールド。


 こうした形で話が進み、オチがつくパターンも前2冊同様だが、今回は特にそれまでの過程がしみじみとしていいなあ。父親の心情がとてもよく迫ってくる(笑)。子どもの成長を願いつつ、自分の役割が減っていくこと。それまでの間に子どもと共に歩んでいきたいことなど。パカッと「あく」姿のエンディングもいい。


 さて、ヨシタケ作品をどう読むか。出会いの『りんごかもしれない』から読み始め8年、あまり意識したことがなかった。親子の会話はそれなりの役割の雰囲気を出すことだろう。子どもの独白は幼児じみた声にする必要はないか。ただ、妄想していく楽しさ、嬉しさなどを声にのせる表現、つまり張りが求められる。

「旅強さ」に欠ける訳

2021年11月10日 | 読書
 教員を退職した時に、ある方から「紀行文でも書けばいいんじゃない」と声をかけられた。さほど親しい仲でもなかったので意外な誉め言葉として覚えている。ノンフィクションの文章に対する憧れは確かにある。しかし紀行文は無理だなあと、改めてこの本を読み痛感する。自分には「旅強さ」が決定的に欠けている。


『屋久島ジュウソウ』(森 絵都 集英社文庫)



 文芸誌で連載していた旅のエッセイを単行本化するにあたり、新しいエッセイを書き足すために行った編集者も交えたグループ旅行。その顛末が書名である。行先は屋久島。当然、縄文杉が目的の一つとなりその過程で宮之浦岳を登るコースがとられる。ガイドや同行者を交えたこの記録が、淡々としつつ面白い。


 食事を中心に買ったモノなどのメモを挟みながら、作者自身を初め登山初級者?たちの様子が飾り立てることなく描写されている。登山の様子などTVだったら背景の景色に魅せられて視聴することもあるが、文章ではどうかと思っていたが、難なく読み進めていけるのは、やはり手練れの筆力か。プロは違う。


 「旅強さ」…数年前に体験した三度の海外旅行はほとんどパッケージで安心安全第一だったし、「お膳立てしてもらった旅」に慣れきっている自分には縁遠い。どんなに旅先がよくても「印象的に綴るのは至難の業」という作者の言には頷くしかない。そうした精神の下支えがあって旅のエッセイは書かれるのだ。


 強さがなくても何かめあてになるものはないか…と思うと、こんな一節が目に入ってくる。「自分がそこへ行く必然について何かしら心当たりのある旅は、幸福な旅だ。」当初から、目的を持って「○○を見たい」という方法もあるが、何かに導かれたり、来てみたらあの○○が近くに在ったり、という方が響く。


 それなら気軽な観光旅行でも可能かもしれない。ただ、予測めいた風景や人だけでは難しいかもしれない。それらは「人間をタフに」しないだろう。このエッセイ集は読み通せば、その点が強調されていると感じた。結びに「心身鍛錬スパイラルに突入」とある。体を強くし心を強くする。「旅強さ」の正体である。

新しい価値観はかっこいいから

2021年11月09日 | 読書


 シンパシーを感じる作家の一人。しかし読んでいると、暮らしぶりの駄目さ加減に時々情けなくなる。それは、自分にもまた似ている部分を感じるからであり、ドーシヨーモネーナという思いが鏡で跳ね返ってくる。一言でいうと「甘い」。それもまったりとした、後をひくような…だからずるずるはまってしまう。


『君がいない夜のごはん』(穗村 弘  文春文庫)



 自白(笑)しているように、過保護に育てられたゆえに「目先の手間から逃げたい。一瞬の楽をしたい」という心に支配される率がきわめて大きい。だから、「食べ物とその周辺について」の話題で構成されるこの一冊には、数々の食べ物、飲食店、家族や仲間、見かけた他人との、食に関わる軋轢が書かれているのだ。


 むろん、その軋轢を正面から解消しようともしない。かわす、逃げるが主たる手法だ。その多くは「妄想」へと進む。例えば納豆を混ぜることを手抜きする穗村は、ベトナムの食堂で冷やしぜんざい風の食べ物を混ぜよと言う店員を、日本のお好み焼き屋のおばちゃんと空想の中で対決させ、混ぜ問題を俯瞰する


 その俯瞰具合が面白いから読んでいるわけだ。もちろん稀代の歌人らしくその観察力、自己分析力は、独特で鋭い。今回、唸ったのは「新しい価値観は、まず『かっこいい』のかたちでやってくることが多い」という一節。なるほどね。流行りの文化はメディア等の誘導もあるが、芯になるのは個人の感覚である。


 自分が何か新しく手をつけてきたことは、初めから「好き」となったわけでなく「面白そう」と感じたからだが、「かっこいい」と差替えても構わないだろう。高齢者であっても「格好いい」を価値観選択の基準にすることは間違いではない。まあ、「カッケェー」という言い方などは真似せず、これからも穗村を読む。

霜月、始めました

2021年11月07日 | 雑記帳
11月1日(月)
 朝、こども園の発表会予行を観に行く。祖父母限定(笑)である。出来はともかく心浮き立つひと時だ。終了後、田代の長谷山邸で昔語りビデオ収録に同席する。プロの撮影の様子をじっくり拝見できた。一緒に昼食をいただき、すぐに町内の小学校へ読み聞かせに向かう。先ほど観た刺激もありいつもより気合いが入った。



11月2日(火)
 総選挙が終わった。「投票率を上げる」ことはもはや最大の政治問題か。さて、それとは全く関係ない「総選挙」企画の館内展示が始まりブログアップ。明日以降「おすすめブック」紹介コンクールの優秀作品をアップする予定で、その作業も始める。細字の文章を打ち込むのは結構キツくなってきた。無理せずやろう。


11月3日(水)
 「文化の日」の図書館ブログとして、実は「明治」を取り上げようと思ったのだが、それより地域文化と考え直し、先日いただいたDVDの紹介とする。こうした伝統をどう継承し残していくかは大きな課題だ。ネットで見つけた内田樹氏の文章、長いので紙に印刷しなければ読めない、と改めて思う。習性なのだな。


11月4日(木)
 今日は午後より、初めてのWeb会議に参加する。報告資料は既に作成済みなので、午前中にメモを作成して臨んだ。本庁に出向き担当者と二人、PC画面に向き合う。「聞こえますかあ?」という呼びかけに体で合図するのもどこかトボけた感じだ。正直、話しづらい。予定より30分も早く終わった初のZoom体験だった。



11月5日(金)
 午前中は地元小学校2年生の図書館見学。質問が多くて充実した時間となった。午後から「羽後学」の手伝いで高校へ。発表に向けての例示をレクチャーして、今日は早めに帰館し、作文の打ち込みを少し行う。来月、PTAの事業として親子に読み聞かせをお願いしたいという依頼があった。選書が難しいが励みになる。


11月6日(土)
 朝靄が一面を覆っている。いい天気になりそうだ。図書館に玄関に飾るクレイフラワーを置きに行った後、少し早めにタイヤ交換しようと決意。新タイヤのための慣らし期間を考えた。作業しているうちにホコリに反応したのか、鼻がグズグズ、目も痒い。午後から休養専念。久しぶりに浅田次郎を読み出している。


人間が読むことを犬には内緒

2021年11月06日 | 絵本
 11月1日「犬の日」だったので、取り上げてみた一冊だ。教職当時よく実践した「変身作文」~自分以外の何かになって身の回りを綴る~に似ている。子どもたちも楽しんで取り組むし、応用も利く。しかしプロの作家の書く作品だ。当然ながら視野も広いし、ウェットも十分、かなり綿密な本ではないかと思われる。


『しあわせないぬになるには  にんげんにはないしょだよ』
 (ジョー・ウィリアムソン 木坂 涼・訳  徳間書店)




 犬の習性をよく観察していることはもちろん、その動きへの意味づけを人間の心性と照らし合わせて表現している。単なる擬人化だけでなく、人間の文明に対する皮肉や感情に左右されやすい人の習性なども描かれている。一読ではなんとなく読み流してしまいそうだが、一つ一つの文章を分析すると、見えてくる。


 表紙絵を見ればわかるが、ラフな線描に限定された色使いが効果的だ。改めて数えてみると、多少の濃淡はあるにせよ、使われているのは4色のみ。緑、赤、灰色そして少しの黄色。場面によってうまく使い分けされていて、そのページの雰囲気を醸し出すようだ。細かな部分の彩色を、読み手はどう感じるのだろう。


 「ぜんこくの いぬの みなさん ワンにちは!」から始まる楽しい語り。基本的にオス犬になりきって読む。形としてはいわゆる説明的文章だけれど、表情豊かに演じてもいい。しかしまた、坦々と進める方法も面白い。絵のトボケた味とのギャップを楽しむ手もある。自分の声質や適性を見極めて、選択したい。

ランドクの中にやさしさ、ふかさ

2021年11月05日 | 読書
 この2冊は若い人この場合実年齢を指しているが、薦めたいなあと、しみじみ思った。



『世界を、こんなふうにみてごらん』
 (日高敏隆  集英社文庫)


 著者自身ではなく、弟子の今福道夫氏によって「あとがき」が記されている。それによると、亡くなった2009年に読書情報誌『青春と読書』に連載されたエッセイがまとめられた一冊だ。非常に平易な文体ではあるが、実に本質的な内容が書かれている。「やさしく、ふかく」の見本のような文章である。「どんなものの見方も相対化して考えてごらんなさい。科学もそのうちのひとつの見方として。」という一節にも表れているように、科学至上主義、原理主義ではない人間のあり方を、自らの体験をもとに例を示し、語りかけてくれる。「日本の知の最高峰」の姿を感じることのできる書だ。若い人たちに薦めたい。



『「無言館」にいらっしゃい』
 (窪島誠一郎  ちくまプリマ―新書)


 図書館で実施した「おすすめブック」家族読書の部に、「無言館」という語を文章中に見つけた。該当本は未読だったが、戦争に関わると想像できた。中古書店でこの書名を見て、即購読した。無言館とは長野県上田市にある美術館であり、飾られているのは「戦場から帰ってこられなかった画家のタマゴたちの絵」である。ここで「無言」の意味が迫ってくる。手紙などの文章とは違い、当時の思いや考えが直接綴られることはなく、一つの造形が残るのみである。それらの絵から何を感じ、受け取るかは、観た者に任せられる。しかし、時代という背景を知ったうえで対峙すると、きっと浮かび上がる「念」は強くなる。実際のそうした体験が、今求められる気がする。

ラクゴカ、ランドク

2021年11月04日 | 読書
 落語家が著す本を最近よく手にしている。
 しかし、ずっと昔読んだ『赤めだか』(立川談春)を超えるような印象深さが残る本はないな、再読しようかなと思いつつ…。


『もっとハゲしく声に出して笑える日本語』
 (立川談四楼  光文社知恵の森文庫)

 このシリーズは前2作も読んでいる。
https://blog.goo.ne.jp/spring25-4/e/08746309315dc8c5c62c9a6afca2900f
https://blog.goo.ne.jp/spring25-4/e/fa6f5ebcef86da2e578f989adcfdb477
 いわゆる落語のマクラに使えそうなネタ(駄洒落や言い間違い、放言、個性の強い人の逸話等々)が収められている。知っているものも多少あった。
 ここまで集められるのは、やはり言葉へのアタック力が強いのだろうと想像する。何気ない語も疑ってみるといった習慣づけか。
 例えば、笑うネタではないが「銀ブラ」の本来の意味「銀座でブラジルコーヒーを飲む」はトリビアとしても上等だし、背景も想像させる。笑ったり、納得したりすることに、読み手のセンスも必要だなと思わせられる。
 とある居酒屋に貼ってあるこの文句は絶品だ。
小さいことは気にしない。大きいことは分からない。」…さぞかし、ビールが旨いだろう。





『落語「通」入門』(桂文我 集英社新書)

 自分は単なるブームにのった一人で、「落語通」とは到底言えないのだが、筆者は絵本や紙芝居も手掛けているし、何か「通」に近づくようなことが書かれているかと手に取った。
 しかし、いわば落語の歴史をなぞっていく体裁の本で、正直興味が持てなかった。昭和に入ってからの噺家にはいくらか親近感があり、その箇所だけは想像できた。
 ところで、「通」ってなんだと、改めて書名をみて思う。
 広辞苑の「ある物事について知り尽くしていること」という意味通りだが、ある分野では「さばけている、やぼでないこと」も当てはまる。ということで『落語通』ではなく『落語「通」』なのだと理解した次第。

落語絵本はこの一冊から

2021年11月03日 | 絵本
 落語紙芝居シリーズは教員現職時代に揃えてあり、何度か子どもたちの前で披露した。『とまがしま』が一番お気に入りだ。絵本で落語は難しいと思っていたか、昨秋の研修で紹介されたのを機に、この絵本と『死神』を手に入れレパートリー化を目論んでいる。昨年度の後半に三度挑戦し、約一年ぶりに取り上げた。


『いちはちじゅうのもぉくもく』
 (桂文我・作 長野ヒデ子・え BL出版) 




 落語では『平林(ひらばやし)』として有名である。商家の「すぐに忘れてしまう」でっちを主人公とした滑稽噺。届け物をしにいくが、行き先の名を忘れ、宛名の漢字が読めず出会う人に聞くが、それぞれ異なる読み方をし、そこに「からかい」も混じって楽しい筋が繰り返される。「平林」の字の図解がわかりやすい。


 長野ヒデ子さんの絵のタッチが、中味の可愛らしさ、面白さにマッチしている。でっちのかめきちの素直さ、幼さと、登場して会話を交わす人々との口調の違いを意識する、つまり落語的語り口は当然ながら取り入れてみたいものだ。この噺の真骨頂は、最後のリズミカルな部分の盛り上げ方だ。そこが伝わるか否か。


 かめきちが教えられた読み方を繰り返すうちに「通り過ぎてしまう」ことがオチになるが、本物の噺ではまちまちだ。昨年、高学年を対象とした時はアレンジして「祭囃子かい」「いいえ、平林でございます」と落としたが、小学生にはまだ無理だったか。やはりこの種は、時代文化と語り口を楽しませると割り切ろう。

神無き頃の月末日記

2021年11月01日 | 雑記帳
10月27日(水)
 図書館だよりをチェックしてもらったので、小・中・一般の三種類を完成させる。ハロウィンの館内装飾は今月早々に紹介したが、もう一度「魔女」の絵本紹介とともにブログアップする。4時過ぎに帰宅し、孫の居ない間にA3版での印刷を大急ぎで済ませる。TVでは選挙運動報道が続いているが、ややマンネリ。



10月28日(木)
 今日は勤務のない日。下の孫と一緒に子育て支援センターのイベントへ。誕生会に合わせた「焼き芋会」。豪快な焚き火がいい。この頃、少なくなった光景だ。昼前から少し雨が降り出す。紅葉を見に出かけたいが、なかなかタイミングが合わず、休養に専念(笑)。明け方読書の毎日が続いていて、少しの昼寝も心地よい。


10月29日(金)
 ブログアップしてきた「広報シリーズ」も一区切り。若干寂しさを感じる。先日、小学校へ提案した出前講座依頼の了解が得られ、講師候補に交渉する。どちらも好感触。午後からは高校で「羽後学」についてのレクチャー2回目。回数も限られているので効果的なアドバイスをしたい。退勤後、理髪店へ。四方山話。



10月30日(土)
 朝、知り合いより依頼されたシール作りを済ませる。秋晴れのいい空、少し買い物に出かけるがあまり人出はないようだ。都市部ではずいぶんと警戒レベルが下がっているのに…。個人的には「県民割」でどこかへ行きたい。午後から月曜の読み聞かせ準備。当初何度か練習した絵本をどうも読みきれず、変更した。


10月31日(日)
 朝、久しぶりに自転車でコンビニへ。もう手袋が必要だと感じる気温だ。明日から蓄熱暖房を入れよう。お昼前に投票所へ。午後、競馬の天皇賞では19年ぶりに3歳馬が優勝した。騎手も溌溂たる若者だ。それに比べて政治の世界はどうなるのか。開票率0%で当確の出る世の中は、情報に囲われて窮屈な気がする。