すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

皐月中旬の甘辛日記

2022年04月18日 | 雑記帳
4月15日(金)
 出勤したらデスクの横に、新しいリーフレットが仕上がってきていた。若干手違いがあって納期が遅れたが、仕上がりはまずまず。そのことを図書館ブログへアップする。前日にSNSで紹介してくれた方がいて、ふだんは多くて20~30のアクセス数が100超になる。本当に有難いことだ。管内のコロナ感染は高止まりだがこの後ミニイベントが続くので、気を引き締めてゴールデンウィークまでを乗り切りたいと思う。


4月16日(土)
 午前に図書館で「イースターエッグ」作りを行うので、少し顔を出す。少人数だが楽しんでくれているようで良かった。ある放送局のモニターを始めていて、そのリポートを送る。番組指定があると見方が違ってくることが面白い。養老先生の対談本からに一節選び、「手習い」をする。安価な万年筆を購入して書いているが、滑りがよくて時々快感を覚える。上手く書きたいがそれより丁寧さ…今頃そんなことを念じている。



4月17日(日)
 天気がとてもいいので初の春山へ。近隣の低い丘だがまだ残雪があるし、やはり去年より一週間は早いか。それでも春の息吹が感じられて心が晴れる。帰ってから、ようやくのタイヤ交換2台分。まだなんとか作業できる身体のようだ。昼に久々のノンアルビールを飲み、ごろっとする。競馬皐月賞は当てたが、手を広げ過ぎているので結局「トリガミ」(マイナス収支)。夕方より鼻水が止まらなくなった。花粉対策は十分したつもりだが、また、甘く見て辛い現実となった。

意味なんか知らないよと

2022年04月15日 | 読書
 この対談の結論は、題名にもあるように「人と人とはわかり合えない」ということ。考えてみれば、他人を1から100まで分かったとしたら気持ち悪くなるに違いない。だから、本質的にわかり合えないと同時に「わからないほうがうまくいく」というような心の向き方を持つことだろう。それで日常は進んでいく。


『「他人」の壁』(養老孟司×名越康文  SB新書)


 5年ほど前の対談だが、今読むとつくづくそうだと思う箇所があった。「極論すると、終わった後に飲み会がない勉強会って、無駄じゃないかとさえ思う」と語る名越氏。当然養老氏も賛成であり、わかるや気づくより「感覚を鍛えられる場に身を置いてみる」ことを強調する。流行らない「飲みニケーション」だ。


 自らの経験にも見事に当てはまっている。それは建て前と本音といった皮相的なことではなく、講座や勉強会で得られた知識や思考を取捨選択し、「身に落とす時間」だったような気がする。リモート等による場づくりでそうした面をカバーできるのか甚だ疑問だが、何かしらの工夫をと思うのは時代遅れだろうか。



 先日読んだ『子どもが消えゆく国』の内容を挙げるまでもなく、少子化の深刻さは論を俟たないが、その理由をずばりと養老氏は指摘していた。「(子どもという存在は)つまり自然です。都市化するということは、自然を排除することと同義です」。脳化社会の進行を止められなかった私たちに突きつけられた現実だ。


 この対談の後半で「『意味』で満たすことの恐ろしさ」が語られている。最近「意味を問うより、意味をつくる」といった言い方をした自分も反省させられる。意味がないことを怖いと感じる社会が進んでいて、それは自分の感覚が薄められ、抜け落ちていくことに疑問を持たないことだ。もっと、今ここに浸りきれ。

今週の手習いから

2022年04月14日 | 雑記帳
 先日読んだ『短編少女』の中にあった一節。少女が「親の失敗から学んだ」と記す。これは、しみじみと感じるようになった。非凡は言うまでもなく、鈍感であることも結構難しい



 『子どもが消えゆく国』(日経BP)の前書きとしてあった著者の言葉。時々、暮らしに紛れて見失いがちになる大事な方向性だろう。



 職場で冊子の整理をしながら、見直したときに目に留まった。「思いどおりにいかないのは当然」という諦観はいつできるのだろうか。


 
 心には吊るしておけないので、時々振り返ってめくってみよう。

甘く見ていた、2題

2022年04月12日 | 雑記帳
 昨日は2階の書棚へCDのラックを移動させ、そこから書棚内の整理をと目論んだ。作業するときはレコード!を流しながら進めるのが常だ。プレーヤーがあり、残してある20枚ほどのLP盤からその時の気分で選ぶのだ。今日はデイヴ・メイスン(70年代の名ギタリスト)でも聴くかと、ターンテーブルに乗せたら…。


 あれっ、サイズも回転数も違っているしノイズさえ聞こえない。んっ、いやな予感。針先を触ってみると感触がない。ああっやられた。2階は孫たちの遊び場になっているが、上の子の時には大丈夫だったので安心していたのだ。下の子の探求心(笑)が凄く、何かの仕組みをみると即動き出す性質を、甘く見ていた。


 健康オタクとして長年の宿敵「花粉」に対しての応戦は、毎年の課題である。まあ様々なことをやっているが、数年前、娘からもらった一つの柑橘系果汁を冷凍庫の底に眠らせておいたことを思い出した。どれどれと取り出してみたら、賞味期限「191020」とあるではないか。とは言っても、冷凍保存していたから…。



 おもむろに取り出し一晩冷蔵庫へ。レモン果汁と同様に使おうと思うが、早く使いきりたいので半分以上は焼酎と合わせ寝かせることにする。残った果汁は、焼酎ロックに垂らしてみると…さすがに香りは立たないが、ギュッとくる酸味と苦味。甘く見ていた。しかし「フラボノイド」が効いているのだと信じて(笑)。

今日も棄てるに時間がかかる

2022年04月10日 | 雑記帳
 まとまった時間がとれる日々となったので、この機会に…そんなことをもう幾度となく繰り返してきたが、今度は本気だ!…と、これも何度目の宣言だ。あきらめモードを背負いつつ、それでも少しずつ棄ててはいる。書籍は年に2度段ボールに詰める。ただCD類は一度、半分ほど処分しただけで、また溜まってきた。


 極小書斎の書棚の上なので、大地震があればちょっと危険かなと思っていたので、取り合えず2階へ移動させようと目論んだ。PCに取り込んでいるものはとにかく上へ…と作業させているうちに、2階の棚にある整理ケースに入れた古いVHSが目に付いた。おうっ、40近くあるではないか。何でここにあるのだ。


 と思ってしまうほど忘れかけていた。三種類に分かれていて、一つは自分の撮影品と町関係ビデオ、それからTV録画、そして半数が教育関係のVTRだ。法則化関係やストップモーション方式の授業などが多い。当時はかなり垂涎モノだったが、もう見ないだろうし、さすがに劣化が進んでいるのでダビングも無理だ。



 ゴミ袋に入れるとずっしり重い。本とお別れ(笑)するときも若干感傷的になるが、ビデオも結構来る。県内で一番先にストップモーション校内研を実施したというささやかな自負もあるし…。昔の自分を棄ててしまうような気持なのかな。もっとも自分が映っているわけではないけど…どこかに投影されている印象だ。


 Eテレの新番組「言葉にできない、そんな夜」で、出演者の橋本愛が「心臓に、レモンをギューツと絞った感じ」と名言を述べたが…、まあそこまではいかないけどね。

あれは何の回収だったのか

2022年04月08日 | 雑記帳
 朝ドラ「カムカムエヴリバディ」が終了。今までとは違う形で、これもまた面白かった。始まったあたりに、「カニカニエビリバディ」ともじったのは誰だったろうか。それほど豪華な味が並んだわけではないが、個人的に注目していた女優が多かったので好感がもてた。まあなんと言っても深津絵里に尽きるのだが…。



 6日放送分でアニーがラジオで告白したときの驚きの長回しシーン。あんな演出は朝ドラ史上、はたしてあったか。あのアップに応えられる女優はそうはいないはず。他の若手二人の主役はオーディションだったが、深津だけはオファーしたという。その理由はいくつかあったと思うが、齢を増すごとに輝くばかりだ。


 川栄李奈も以前から注目していた。彼女もシリアス系になるとぐっと締まる個性があるので、齢を経た役どころの方が映えた。最終が2025年という設定。そのごく近い未来もやっぱりマスクかと思わされたのには少しがっかりだが、「ひなた」という名前が最後までキーワードになり、ハッピーに終わってくれた。


 全体を通して印象づけられるのが、伏線回収的なつくりが目立ったこと。まさしく今日のラストシーンも見事につなげていたし、ドラマのテンポが速い割に、様々な人物を登場させているので、視聴者として楽しめる部分も多かった。それにしても、最終回を見ていて「エッ」と思わず夫婦で顔を見合わせた場面がある。


 それは、るいの親友一子の夫?。「ああ、この人」と声が出た。俳優は徳井優。結婚などの場面には登場していないはずで、確かるいがクリーニング店に勤めていた時に、因縁をつける役で出ていたはずだ。ネットでも騒然(笑)となっているようで、いや楽しませてもらった。最後の衝撃がこれで良かったのかどうか。

「少女」を読む少年+50

2022年04月06日 | 読書
 隣市の学校へ通っていた頃、峠を下った集落でスクールバスを待つ一団を見て、何か自分でも小説が書けそう…と思ったことがあった。主人公は小学六年生女子。身体の中に感情が渦巻いている様子を…と思ったが、なんとなく重松清風になりそうなので断念(笑)。職業上の見方とはいえ、「少女」は面白い存在に違いない。


『短編少女』(三浦しをん、他  集英社文庫)


 風呂場読書は短編シリーズが続いていて、アンソロジーを読んでいる。これは「少女」を共通のモチーフとして、9人の作家によって書かれた一冊。既読作品が一つあり、萩原浩の直木賞作品に掲載されていた短編であった。他は初読だが、それなりの面白さに惹かれて読んだ。ただ、パターン化している点も感じる。


 少女に限らず、こうした世代を取り上げると、親の不仲、離婚、転居、転校そして学校内の軋轢、いじめ等々などが直接取り上げられたり、背景として出てきたりする。世相としての兆候だが、それに一番過敏に反応するのが少女という時期なのか。だからこそ、少女は刹那に美しく輝いて見えるのだとも言えるか。


 全てではないが、登場してくる同年代の男子の描き方は、設定は多様に見えてもどこか凡庸で鈍感(繊細さを突き詰められないという点で)で共通している。「少年」もドラマになる部分もあるが、どうにも幅が狭い。唯一、道尾秀介の「やさしい風の道」の主人公である「少女の弟」はなかなか面白みのある形象だった。



 「少女」といえば、我々の年代では五輪真弓の歌が有名だ。しかし個人的にはなんといっても、井上陽水『いつのまにか少女は』である。映画『放課後』(主題歌「夢の中へ」)で主演した栗田ひろみをイメージして作られた。ああ、あの映画、湯沢の光座で観たっけ、と半世紀前の少年は、そんなことしか思い出さない。


見てみたい、日本の「進化」

2022年04月04日 | 読書
 著者の本は2冊目。昨年読んだ本もなかなか面白かった。その時も書いているが「ズームバック×オチアイ」という番組を何度か観たことがあって、この若き研究者の発想や物言いは新鮮に思えた。「複眼的な視点」よとは違った意味で、確実に新しい世代の波を受けた感じがした。今回は他の論者も入り、より激しい。


『日本進化論』(落合陽一  SB新書)



 「ポリテック」。「政治Politics」と「技術Technology」を掛け合わせた造語がキーワードである。第一章が「ポリテックで『失われた20年』は取り戻せるか」という題で小泉進次郎と対談している。どうしても世代論というか世代格差で分析しがちだが、テクノロジーは全て目の前にあり、我々が日々対している。


 先日も仕事上のある新しい試みについて職場で話をしていて、実現するための「困難」の一つに、図書管理システムの制限があることに気づいた。それでつい格好をつけ冗談交じりに、こんなことを言ってしまった。「そうやって、我々人間は、システムに殺されていくんだよな」。システムとはテクノロジーのことだ。


 しかし、対談中の落合の発言を読み、はっとさせられた「テクノロジーそれ自体は、人間の外側にあるものではなく、人間の身体とつながった相互作用の中にある、いわば生態系みたいなものだ」。ふだんから人間VSテクノロジーと短絡的に考えてしまいがちだが、それは使い手としての自分を貶めていることになる。


 高齢化社会、財源、スポーツ等、内容が複数あったが、教育にどうしても目がいく。論者の一人川上量生氏の「徴教師制」という提案が面白かった。裁判員制度のような仕組みを学校教育にも導入しようというのだ。ねらいは誰しもわかるだろう。そこまで抜本的に見直すのが「進化」なのかもしれない。見てみたい。

直太朗詩華集を開いて

2022年04月02日 | 雑記帳
 貯まったポイントを利用して森山直太朗の新譜を購入した。特典として200ページを超す『森山直太朗 詩歌集』が付いていた。森山と友人である詩人御徒町凧の作品がちょうど100編載っている。「はじめに」に森山が載せた作品の選定理由として、次の三つを基準として選んでいたが、少々わかりにくく感じた。

・詩の上に成り立っているもの
・曲自体が詩を生んでいるもの
・詩そのもの



 確かに「詩そのもの」と思える作品はある。ただその判断は「詩とは何か」という根本のおさえで決する。三点の線引きは難しい。「詩」は初めから存在するものではないだろう。それがどんな状況であれ、表現であれ、誰かが詩と認めなければいけない。その意味で、三つの基準は全く読者(聴き手)に委ねられている。


 名曲『さくら』もこの詩華集に載っている。では基準のどれに該当するか。「詩そのもの」とは言い難い。「桜と卒業」というステレオタイプな詩的調和は感じられるが、成立といえるか。ただ、この曲が広く人口に膾炙することによって、詩的場面が作り出され、情緒を醸し出した事実はあるに違いない。過剰な評価かな。


 全部聴いているわけではないが、個人的になかなかいい「詩」だと思っている作品もある。それは「生きてることが辛いなら」だ。冒頭の「いっそ小さく死ねばいい」の部分が表現を視ない人たちに批判に晒されたときもあった。今、改めてこの詞を最後まで読むとかなり哲学的である。特に結びの節は老齢に沁みる。

生きてることが辛いなら
嫌になるまで生きるがいい
歴史は小さなブランコで
宇宙は小さな水飲み場
生きてることが辛いなら
くたばる喜びとっておけ



 今年度も図書館での仕事を続けます。初日の掲示リニューアル。