すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

直太朗詩華集を開いて

2022年04月02日 | 雑記帳
 貯まったポイントを利用して森山直太朗の新譜を購入した。特典として200ページを超す『森山直太朗 詩歌集』が付いていた。森山と友人である詩人御徒町凧の作品がちょうど100編載っている。「はじめに」に森山が載せた作品の選定理由として、次の三つを基準として選んでいたが、少々わかりにくく感じた。

・詩の上に成り立っているもの
・曲自体が詩を生んでいるもの
・詩そのもの



 確かに「詩そのもの」と思える作品はある。ただその判断は「詩とは何か」という根本のおさえで決する。三点の線引きは難しい。「詩」は初めから存在するものではないだろう。それがどんな状況であれ、表現であれ、誰かが詩と認めなければいけない。その意味で、三つの基準は全く読者(聴き手)に委ねられている。


 名曲『さくら』もこの詩華集に載っている。では基準のどれに該当するか。「詩そのもの」とは言い難い。「桜と卒業」というステレオタイプな詩的調和は感じられるが、成立といえるか。ただ、この曲が広く人口に膾炙することによって、詩的場面が作り出され、情緒を醸し出した事実はあるに違いない。過剰な評価かな。


 全部聴いているわけではないが、個人的になかなかいい「詩」だと思っている作品もある。それは「生きてることが辛いなら」だ。冒頭の「いっそ小さく死ねばいい」の部分が表現を視ない人たちに批判に晒されたときもあった。今、改めてこの詞を最後まで読むとかなり哲学的である。特に結びの節は老齢に沁みる。

生きてることが辛いなら
嫌になるまで生きるがいい
歴史は小さなブランコで
宇宙は小さな水飲み場
生きてることが辛いなら
くたばる喜びとっておけ



 今年度も図書館での仕事を続けます。初日の掲示リニューアル。