すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

抽象度の塩梅がいい本

2022年10月09日 | 絵本
 図書館では小さい子向けの書架に収められてしまうが、ヨシタケシンスケの絵本には「これはどちらかと言えば…」と思うものが結構ある。例えば『もしものせかい』などもそうだ。同じ出版社から発刊され、同サイズのこの絵本もそうだ。紹介されているサイトには「4歳/5歳/6歳/7歳以上」とある。「以上」だからいいのだが、幼児向けを意味している。しかしなあ、と思う。




 左ページに文章、右ページに絵が中心なスタイルで進む。その1ページ目が、「よのなかには、いろんなひとがいる。」描かれている絵は全員が後ろ姿。これは4歳ならば4歳なりに、18歳ならば18歳なりに受け取るに違いない。もちろん80歳であっても。結局「読む」もしくは「与える」者が何を期待するか、ということになるのかな。これは絵本全般に言えるのかもしれない。

 
 パッとみて小学校高学年かなと思ってしまったのは、やはり教師稼業をしてきたからだろう。この抽象度の塩梅がいいように思う。授業として取り上げるのなら、最初の絵の意味を考えさせたくなる。「顔が見えない」ことは意図的である。それを導入に、人の類型を「顔」ではなく図形で表している点もイメージが拡がる。絵のシンプルさはいかにもヨシタケ、言葉も単純明快だ。


 さて、どう読む。「逃げずに戦うことの大事さを説くお話」がある一方で、「逃げることで新しい可能性に出会うお話」という教訓的な内容は、力んでは駄目だろう。作家が表現したいことの半分以上は絵にあるのだから…。淡々と読んでいくこと。つまり、声の大小や強弱を駆使するよりも、緩急と間で表現した方がいい。最終ページの絵の象徴性もお見事。いい絵本だ。

密から遠ざかってはいけない

2022年10月08日 | 雑記帳
 TVニュースでドイツのオクトーバーフェストの話題が流れた。

 もちろん本場のそれには行ったことはないが、20年以上買い続けている盛岡のクラフトビール工場のイベントに参加したことがある。
 もう7年が経つ。9月の連休時だった。飲み放題はもちろんで、歌を歌い、隣席の方々と談笑した記憶がまだ離れない。

 楽しかったあ。
 それはやはり「密」だったから、なのだなあとつくづく思う。

 人として生きる楽しさの一部は、確実に密にある。
 食べ、飲み、喋り、時には肩を組み、手を握り、叩きあったりする…

 

 妙に寒くなった一日の終わりに、久々にその時のジョッキを出してみる。
 密から遠ざかってはいけないと、一気に飲み干してみる。
 
 

みそネギ、ココ始め

2022年10月07日 | 雑記帳
 BASSOどりるまん商店の中華そばは好きなので、こちらが休業中となったので本町「蔵しこ」に行ってみた。
 実はあまり近い距離にあるので、開いて一年過ぎたが初めて足を運ぶ。
 (蔵しこ自体は、ちょっと思い出深いものがあるが…)

 開店直後にガラガラッと戸を引いてみたら「みそラーメン」という文字が…
 さらに「みそネギ」もあるではないか。なんとっ。
 どの店にいってもかなりの確率で「みそネギ」を注文する者としては捨ておけない。
 1000円と値ははるが、+50円の中盛にしてもらい、届いたのが



 白髪ネギ好きとしては、ちょっと残念。しかしなかなか魅せるビジュアルである。
 
 実食…んーーーつ、スープはよろしいが麺が今一つ好みではない。
 やっぱり、普通の中華そばがいいかなというのが本音。
 (味噌は先週からのメニューなのでした)


山法師の実のように

2022年10月06日 | 雑記帳
 昨日と一昨日は午前中にこども園の読み聞かせに出向いた。
 昨日訪れた園では、年長組が遠足ということで、年中の子たちが聴いてくれた。

 年中ぐらいだと必ず黙って聞いていられない子が数人いる。しかし、それも絵本への反応であり、実はいいことでもある。
 帰り際に積極的に抱きついてくれたりするのも、そんな子だ。

 絵本や紙芝居などへの対し方は、一律である方が変だろう。
 それは幼児でも小学生でも同じだ。
 表面上はどうあれ、その姿勢だけはいつも心に留めておきたい。



 今年は山法師の実がたくさんついている。
 小鳥は啄みにやってくるし、夜な夜な狸!!も出没し、下に落ちた実を平らげている。
 

 

久々、独り視聴者委員会

2022年10月03日 | 雑記帳
 終了した朝ドラ『ちむどんどん』の出来が悪いと書いたのは6月。そこに絡んだら面白くそうな人物を挙げておいたのだが、その通りにはならなかった。またその後も様々なキャラクターが登場した。どう関わり合ってくるのだろうと思わせておき、素通りしてしまう展開が最後まで目立つ話だったな。いわば回収なし、アレレッと肩透かしの連続。最後はそれに慣れてしまった。


 「失敗作」で盛り上がるのは世の中のいじめ体質なのか。「一番嫌いなキャラクターは」というランキングまで出るのだから…。コラムニストの堀井憲一郎の記事は、全体を振り返ってよくまとめてあった。直観的な感想として「「食卓前の小さな物語」を目指していたのはたしかだとおもう。ただ、コメディ部分があまりうまく機能しなかったのではないか」とある。納得できた。

 
 夏からのクールで見続けたドラマは数作。そのうちに秀逸と感じたのは『初恋の悪魔』。ミーハー的に観たのは『競争の番人』『六本木クラス』。あと、テレ朝の刑事ドラマはだらっといつも見る。『初恋~』はさすがに坂元脚本、少し難解な展開もあるが役者の使い方も上手い。フジのドラマは相変わらず軽さと根性?が定番。従って主人公の個性の強さアピールがポイントだな。


 アントニオ猪木、死す。今年に入ってからも闘病の様子をTVで見る機会があり、なんとなく死期が迫っているような感じを受けた。当然ながらヒーローの一人。小学生の頃からプロレス中継を観て興奮し、中学に入ったあたりは『ゴング』という雑誌を夢中で読んだ記憶のある世代だ。追悼特集で新日本プロレスを立ち上げ時のアーカイブ、カールゴッチ戦に見入ってしまった。



 そうか、あの時猪木は負けたのだった。スープレックス、オクトパスホールド…短時間だったが正統派プロレスの真髄を観た気がする。実は、猪木には一度「触った」経験がある。あれは大学生の頃、藤崎デパートでPRイベントだったのだろうか。退場の時にチャンスがめぐってきた。「イノキ、イノキ」と叫びながら、胸の辺りを叩いた。硬い感触はかすかに思い出せる。合掌。

秋空、ヤラカシちまった爽快感

2022年10月02日 | 雑記帳
 最近は正直「慌しいなあ」と感ずることは少なくなってきていたが、ここに来て久しぶりのビジーモードになっている。そのあれこれは、実は並べるまでもないことだ。しかし、齢相応に注意力が衰えると、チョンボを誘発しそれはまた連鎖する。ああ、ヤラカシちまったと空を見上げたのは久しぶりだった。ただ、それが何か一種の爽快感にもつながっているようで笑えてくる。



 紹介文コンクールがあって、入選者一覧や審査員の短評を整理・清書するのは自分の役割だ。一覧を一応仕上げ、職員に確認をしてもらった。一箇所の漢字の間違いを指摘され、まずまずかと思い、図書館だよりや町広報原稿、そして賞状作りデータなどほぼ完了したときだった。優秀作品(原版)を台紙に貼り付ける段階になって、「あれ、この名前は…」と気づいたのだった。


 ひらがなもおぼつかない低学年氏名のある一文字が、短評を書いた方が写した文字と違っているのでは…と疑念がわいた(それだけ微妙な筆使い)。学校へ電話して確認してみたら、やはりミスであることが判明。自分が短評を打ち込む段階で、作品原稿を確認するのを怠ったせいか…ああ、仕方がない。と、入賞者一覧表を数種類打ち直した。賞状配布の前でよかったではないか。


 一安心したら、何だかファイル上のデータ(写真や、絵本をスキャンしたものなど)が、妙に雑然と見えてきた。資料作成のために使用して済んだものをそのままにしている。ミスを防ぐために、この機会に整理、整理…と削除していった。数分後、あることにハッと気づく。来週の読み聞かせ用に出勤してすぐ取り込んだデータをそこに貼り付けたのではなかったか。えっえっえっ。


 案の定、フォルダーの日付確認をせずに、はずみで未使用ファイルまで削除していた。いや「ゴミ箱」にあるかと一縷の望みを持って確かめたが、共有ネットワーク上に置いたので復元不可。ああ、今朝30分近くかけたのに…。気を取り直し、週末用に何か本を借りよう。『思わず考えちゃう』(ヨシタケシンスケ)がいいなあと借りて、帰宅したら書棚にその本、きちんと並んでいました。