通巻50号記念。
50号分の表紙が掲載され、それぞれ内容とコメントが書かれている。
・・・これがけっこう便利。
過去の記事を調べるときの参考になる。
「あの記事はどの号だっけ」、と1冊ずつ取り出すのは時間かかるから。
座談会も興味深い。
クライミング界初期の有名人・大御所達が当時を振り返って語っている。
写真を見ると、皆さん歳をとりましたねぇ、って感じ。(人のこと言えないが)
現在でも充分第一線で登る実力を維持している方もいれば、そうじゃない方もいる。
(写真、体型を見れば分かる)
タイトルは「フリークライミング30年」となっているが、ほとんど80年代の話ばかり。
私には懐かしく、興味深い話だったが、若い方には「?」だったでしょうね。
90年代やミレニアム以降の話は、ほとんどナシ。
次回は、メンバーを入れ替えて、90年代バージョン、現代バージョンも企画して欲しい。
また、80年、90年に活躍された女性クライマーのシンポジウムもあったら楽しそう。
他に興味深い記事をピックアップする。
P107
今年9月26日にクルト・アルベルトさんが亡くなった。
フランケンユーラでお客を案内していて18m墜落した、と。
この方は『レッドポイント』概念の発案者である。
興味のある方は読んでみて。
もうひとつ紹介、P78「ウソをつく人々」
ホームランを何百本打ったとか、三振を何百個とったとか、例えば野球の世界には、誰しも納得する指標がいくつもある。が、山にはそれがない。登山界のある部分では、すごいことと、ぜんぜんすごくないことの区別はついているのだが、マスメディアや登山業界、広く一般登山愛好家にまでそんなモノサシが共有されているわけではない。
わかりやすいのは「頂上」だ。どこそこの山――それも有名な山に登ったと言えば、第一のハードルは越えられる。あとはその山が、世界でいちばん高いとか、いちばん難しいとか、何人も死んでいるとか、とにかくもっともらしい解説があればいい。自分が登った山をどう誇ろうと勝手で、本人が満足するならそれでいい。
しかし、登らなかったのを登ったと言ったら、それは単なる詐欺だ。
(中略)
彼らがプレッシャーに負けて虚偽を生み出したわけだが、それは、シュタングルが語るように、対スポンサー、対登山界、あるいは対世間の問題ではないのかもしれない。
自信を抱いてひとたび打ち上げた自分の計画(冒険)、夢の実現が叶わぬと知ったときに、弱さを認めたくないという一種の防衛本能が間違った方向に向いてしまった結果なのではないだろうか。いさぎよく敗北を認めて、そこから立ち上がる強さも、またあってしかるべき資質だろうが。
以上、転載終了。
さて、これは登山界の話だが、フリークライミングでは、どうだろう?
すごいことと、すごくないことのモノサシはどうだろう?
分かりやすいのは『グレード』である。
あるルートを登った際、まず聞かれる質問。
クライミングの価値は他にもある。
OSなのかどうか?
どのようなスタイルで?
少ないトライだったのか?
こういったこと、もっと気にして良い、と思うけど。
私の思う『すごいこと』は、何年にもわたって実力を維持し続け向上更新し、
高グレードを、良いスタイル、少ない回数で登ること、である。
もちろん、理想は『オンサイト』である。
PS
クライミングには様々なジャンルがある・・・クラック、マルチ、極地、ボルダー、リード、コンペ等・・・
ひとつだけでも、謙虚な気持ちで追求したい。
【参考リンク】
http://cm.impress.co.jp/?5_81177_4260_3