「日本共産党VS.解放同盟」筆坂秀世/宮崎学
学生時代から不思議に思っていた。
共産党と解放同盟は、なぜ仲が悪いのか?
この疑問に答える本は意外と少ない。(単に、左翼どうしだから、では芸がない)
昨年秋にこの本が出版された時、チェックしていた。
図書館に入るかな、と思って待っていたが、結局入荷しなかった。(何らかの理由で除外されたのでしょう)
では、さっそく文章を紹介する。
なぜ対立するようになったか?おもいっきり(はしょって)超簡単に説明すると・・・
P7
直接のきっかけは、この年(1965年)の8月にだされた同和対策審議会の答申をめぐる評価だった。(中略)
ようするに、高度経済成長にもとり残されていた被差別民が、政府の同和対策を利用して、生活の改善・向上をつうじて差別を打破しようとしたのにたいして、それは独占資本に丸めこまれるものだ、だまされるな、と共産党が反対したという構図である。(中略)
1974年(昭和49年)9月から11月にかけて、兵庫県の八鹿・朝来(ようか・あさご)を舞台に同和教育をめぐる対立が激化し、八鹿高校では、解放同盟員1000人あまりが暴力をまじえて教職員を糾弾する事態に発展し、対決は決定的なものとなっていった。(中略)
こうして、共産党は解放同盟を「利権暴力集団」ときめつけ、解放同盟は共産党を「宮本差別者集団」と規定するという修復不能の敵対関係におちいっていったのである。
以上、これで終了してもよいのだけど、本書ではここからさらに、歴史を振り返りながら、詳細な検討をしていく。(ホンネ・トーク全開)
P34
封建制確立の課程で、支配権力によって民衆にたいする分断支配のために差別が政治的につくりだされた、と。
1980年代半ばまでは、この近世政治起源説が定説として信奉されていたから、差別は権力支配の道具であるということが自明のこととされていたのである、と。(私は主に70年代を学生時代としておくったので、学校でそう習ったように記憶している・・・byたきやん)
だが、近年、差別を中世までさかのぼって考えるべきだというとらえかた、さらにはケガレ観念や不浄観念などの民衆意識に起源を求めていこうとするとらえかたがあらわれてきた。全体としては、差別には民衆意識の層と政治支配の層との両方があり、その両方をとらえつつ、その関連を考えていくことが必要になっている、といえよう。
問題と言えば、『地名総鑑』が有名だけど、P40-42で、触れられている。
宮崎「(前略)それを買って就職差別に使う、使わないという話になるが、被差別の子弟を排除して何か利益になることはあるのか。独占資本側のメリットは、なにもなかったじゃないのか」
筆坂「ぼくもそう思う」
宮崎「とくにメリットはないと思うんです。運動の到達段階で、たまたま1975年は、反独占と反差別が、連動した闘争のテーマとして、割合と入りやすい全般的な状況があり、この問題を利用したんだと思いますよ。じつはよく考えてみると、あんな本をあんな高い値段で買わされたほうがたまらんでしょう。5万円という値段で押し売りされていたというのが実態だったんじゃないんですか」
P44
そして、筆坂さんのいう「無理筋の話」の起源には、民衆はいつも正しくて、悪いことが起こるのは権力のせいだという、戦前共産党以来の左翼共通の神話があったんだと思うんですよ。民衆はもともと差別なんかしないのに、権力が人民を分断するために差別をもちこんだという話になるわけで、そこから、権力と闘って政治を変えれば差別はなくなるかのような方針がでてくる。
P65
権力のありかたと差別の問題とは、まったく別問題ということです。じっさい、左派が権力を奪取したところのほうがむしろ差別の解決から遠ざかっている。ロシアもそうだし、北朝鮮もそうだし、中国もそうでしょう。権力をだれがとるかということと、差別の問題はあまり関係のないことなんだということです。そして、その権力の性格がどういうものであれ、権力性が強い権力、独裁制が強い権力ほど、差別的になるんじゃないか、という気がする。
P92
1970年(昭和45)末には、住井すゑ原作・今井正監督の映画『橋のない川』第二部が差別を助長する映画だとする解放同盟の指摘から、各地で上映阻止闘争がとり組まれ、この映画を支持する共産党系の労働組合員、学生などとの衝突が起こった。
P151
たとえば、1928年(昭和3)の時点では外との通婚率が3%でした。いまは80%を超えています。結婚差別の解決が1番解消につながるわけですから、そういう意味では、すごく運動の成果がでている。もちろん、一般地区出身側の親元・親戚から絶縁された例も多いことを知っておくことは重要です。また、このことと関連して、進学率にしてもその裏にある中退率との関係を考慮に入れない議論は皮相である、ということは断っておかなければならないことですけど・・・・。
ここから、少し駆け足になる。(ひとつひとつ紹介すると、膨大な文章量になるので)
P175
幕末、長州藩のとった政策「屠勇取立」の話は興味深い。
P180
解放令に対する反対一揆の話も興味深い。
P190-191
コンプライアンスが国を滅ぼす・・・これも興味深い。
P201
麻生太郎の野中広務氏にたいする差別発言・・・読んでみて。
P205
1950年代、60年代には「非行は同和教育の宝だ」といっていた。
1970年代に入ってからは、「非行は差別に負けた姿だ」といわれるようになった。
P209
大衆団体が割り込めなかった分野では、利権は官僚や政治家のやりたい放題だったってことですよ。そのとき、問題は、ややこしい問題だし、それを解放同盟のほうが全部仕切ってくれるわけだから、官僚のほうからしたって、非常に好都合な存在だったわけでしょう。そういう点では、利権が解放同盟に浸透する必然性があったんだと思いますよ。
P227
90年代以降、共産党の現状について・・・
やがて、党員・活動家の平均年齢がどんどんあがっていき、また女性(なかでも主婦)の比重が高くなっていく。その女性党員・活動家のなかからやがてヤマギシ会とエホバの証人に流れていく人たちが相当数出てくるようになったという。(中略)
また、議会主義党になっていくにつれ、専従以外の党組織のリーダーが「地方議員」「弁護士」「医師」「教員」などインテリ専門職、亜インテリ中間層にシフトしていった。そこから、党組織がプチブルジョア化し、「人並み」意識・「ねたみ」意識が温存、培養されていったと考えられる。この面においても、共産党活動家と支持層の意識のありかたが変化していった。
【ネット上の紹介】
共産党とは、ともに近代日本の汚辱のなかから生まれ出た栄光の結社であった。それがなぜ、どうしようもない敵対関係に陥ってしまったのか。同和対策は毒まんじゅうか?糾弾イコール暴力か?利権とはなにか?共産党と解放同盟の蜜月がひび割れ、暴力的対決に至った真相をめぐってかわされる両氏の議論は、日本の社会運動のあり方をめぐる本質論となる。
[目次]
第1章 蜜月の時代に生まれていた対立の萌芽;
第2章 同和対策は毒まんじゅうか―解放同盟内での対立;
第3章 矢田事件、八鹿事件―同盟と党の暴力的対立;
第4章 全面的な路線対立・組織対立へ;
第5章 解消論と利権問題;
補論 日本共産党と解放同盟対立の歴史的・社会的背景
筆坂 秀世 (フデサカ ヒデヨ)
1948年兵庫県生まれ。元共産党常任幹部会委員。高校卒業後18歳で日本共産党へ入党。95年参議院議員初当選。党ナンバー4の政策委員長、書記局長代行をつとめる。2003年に参議院議員を辞職。2005年離党
宮崎 学 (ミヤザキ マナブ)
1945年京都生まれ。父は伏見のヤクザ寺村組組長。早稲田大学中退。早大在学中は共産党系ゲバルト部隊隊長として活躍。週刊誌記者、家業の土建業を経て、96年に自身の半