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「名画で読み解くロマノフ家12の物語 」中野京子

2018年01月05日 20時52分07秒 | 読書(エッセイ&コラム)


「名画で読み解くロマノフ家12の物語 」中野京子

P18
またマリヤの子ドミトリーは――ギリシャ正教が妻は四人までと定めていたので――庶子とされ田舎へ追放された。(同じキリスト教系でも、4人もOKとは…いろいろあるなぁ)


ワシーリー・スリコフ/歴史画「フョードシヤ・モロゾワ

ロシア正教の宗教改革…ルターのそれとは大違い
P31
たとえば、二度のハレルヤ斉唱を三度にする、祈禱の間ずっと起立していたのを座ってよいことにする、神への礼はわざわざ跪く必要はなく、腰を曲げるだけ…と、ここまで書けば、スリコフの絵の二本指のわけも明らかであろう。大昔から延々古儀式を守ってきた人々にとっては、十字を切るやり方は指二本こそが絶対的に正当であるのに、ニコンは指三本で行えと強制する。(上絵・右下の男が指二本を立てている。見える?…このことである。それにしても、「お茶」の作法の違い程度に感じるが、裏千家と表千家の違い?)
P29
そんなことをして逮捕されないのだろうか?
 されない。
 なぜならこの男は単なる浮浪者ではなく、ユロージヴィ(=聖愚者)だからだ。苦行用の重い首輪をぶら下げているのが証である。ユロージヴィとは、いっさいの財産を放棄し、痴愚として狂人として生きることを選んだ苦行者で(後略)。


ピョートルはモスクワからペテルブルクへの首都移転を考える
P61
ネヴァ川河口の三角州、バルト海への出口に位置する湿地帯だった。「ネヴァ」とはフィンランド語で「泥」の意。

P63
「サンクト」は「聖」、「ペテル」は「使徒ペテロ」、「ブルク」はドイツ語の「城市」。「聖ペテロの町」という意味だ。ちなみにペテロは英語でピーター、ロシア語でピョートル。(後に、ペトログラード→レニングラード→サンクト・ペテルブルグに戻って現在に至る)

P70
マルタにとってエカテリーナ一世の生涯は、本人にとって夢のようなものであったろう。もし親が若死にしなければ、もしロシア兵たちといっしょに戦地から戦地をめぐっていなければ、チャンスもまためぐってこなかった。陽気な娼婦時代、いったい誰が想像できたろうか、ロシアの君主になる運命が待っているなどと。

P204
しかしアレクセイは、ニコライの母マリアの心配したとおり、曾祖母ヴィクトリア女王の遺伝子を受け継いで、重い血友病を発症する。アレクサンドラの神経はささくれだち、優しい夫はいっそう妻子第一となり、そこへ――まるでロマン主義の小説みたいに――「怪僧」ラスプーチンが登場するのだった。
Grigori Rasputin 1916.jpg 

アレクサンドラ、アレクセイ、四皇女(オリガ、タチアナ、マリア、アナスタシア)とラスプーチン(1908年)

P216
後年、「第一次世界大戦」と名づけられたこの国家総力戦は、ハプスブルク、ロマノフ、ホーエンツォレルン、オスマンという四王朝に幕を引いたことでも知られる。

P225
つくづく人間は歴史に学ばない(学べない)のだなあということ。学んでいるつもりでも、いざ己のこととなると、身近に迫る変化の気配すら感じなくなるのかもしれません(巨大恐竜が足元に目がゆかないように)。絶対君主制はおそらく滅びるべくして滅んだ。そんな中、どこよりもロマノフ王朝の終わり方が衝撃的なのは、連綿と続いてきた不気味な秘密主義に根ざしているからでしょう。水面下で密やかに物事が処理されるため、人々はもはや公式発表も通達も信用しなくなる。飽きもせず語られてきた、「実はまだ生きている」貴人伝説の源もここにあると思われます。

【ネット上の紹介】
全点オールカラー。ロマノフ家、愛と憎しみの300年史。
ワシーリー・スリコフ『フョードシヤ・モロゾワ』
シャルル・フォン・ステュイベン『ピョートル大帝の少年時代の逸話』
ニコライ・ゲー『ピョートルと息子』
カルル・ヴァン・ロー『エリザヴェータ女帝』
コンスタンチン・フラヴィツキー『皇女タラカーノヴァ』
ウィギリウス・エリクセン『エカテリーナ二世肖像』
ニコラ=トゥサン・シャルレ『ロシアからの撤退』
ジョージ・ドウ『アレクサンドル一世』
イリヤ・レーピン『ヴォルガの舟曳き』
山下りん『ハリストス復活』
ボリス・クストーディエフ『皇帝ニコライ二世』
クロカーチェヴァ・エレーナ・ニカンドロヴナ『ラスプーチン』