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「昭和二十年夏、僕は兵士だった」梯久美子

2018年01月17日 20時43分02秒 | 読書(戦争/引き揚げ/ 抑留)


「昭和二十年夏、僕は兵士だった」梯久美子

レベルが高く読みやすい。
さらに、読んで良かったと思える作品。

P7
この本で話を聞いた金子兜太、大塚初重、三國連太郎、水木しげる、池田武邦の五氏は、終戦時に18歳から26歳だった。(中略)
かれらもまた、あの夏、ひとりの兵士だった。ゼロからスタートして、何者かになったのである。その半生は、戦争に負けた国が、どのようにして立ち上がっていったのかの物語でもある。

P20
あんたは男色の話を聞いて驚いていたが、爆撃が激しくなって、島にいる慰安婦がみんな内地に帰ってしまったら、恐るべき勢いで男色が広まった。若い男の取り合いでケンカが絶えなかった。わたしはそれを見ていて、そうか、人間というものは、こういうものなんだと思った。

P28-29
「もうこれ以上痩せられないというくらい痩せると、今度は下腹が異常にふくれあがり、脚がむくんできます。膝から下が象の脚のようになり、足の甲が盛り上がって歩けなくなる。そでれも工員は這って作業にでようとするんです。休むように言うんですが、班の仲間同士で、作業に出る者と出ない者の食事差をつけていたらしく、そんな身体になっても、決して休もうとしませんでした。

P72
都会っ子であることは、軍隊ではマイナスだった。地方出身で苦労してきた者が多く、虎屋の羊羹を食べたことがある、銀座のネオンを見たことがあるというだけで目の敵にされ、殴られた。(日本のいじめは根が深い…軍隊でも学童疎開でも隣組でもいじめはあった。和の国日本である)

P92-93
日本はもう危ない、駄目かもしれないと思ったんです。
東京大空襲で、大勢の民間人の無残に焼けこげた死体を片づけたときからずっと心のどこかにあった思いが、東シナ海の暗くて冷たい海を漂いながら、どんどん強くなっていきました。
そのときわたしはこんなふうに考えたんです。もし生き延びて、ふたたび日本の土を踏めるようなことがあったら――この後も人生というものが私にあるなら――もう一度、歴史を勉強しなおそうと。(海軍一等兵曹として乗り組んでいた輸送船が二度撃沈され、二度とも九死に一生を得た大塚氏は、戦後、働きながら大学に通い、考古学を学ぶ。その後、登呂遺跡の発掘等、多くの発掘を手がけ第一人者となり、日本考古学協会会長もつとめた)

三國連太郎氏…上海の昭和島から日本に引き揚げたのが昭和21年
P147
何か買うものはないかと思って、ひとりで広島駅で下車しました。そこから広島の街に入ったんです。
そうしたら、ほんとうに何もないんですね。街は跡形もなく、一面の焼け野原。見えるものは原爆ドームと、ところどころに立っている鉄塔のようなものだけでした。

建築家・池田武邦氏の章が凄まじい…マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦、天一号作戦を生き抜いている。天一号とは、戦艦「大和」とともに出撃した、いわゆる沖縄海上特攻である。
P234
――軍艦というものは、もちろん戦うためにあるんですが、同時に生活の場でもあります。そこで食事をし、眠り、訓練をする。戦友と語り合ったり、読書をしたりもします。乗組員にとって、普段は家のようなところなんですね。その「家」が、ひとたび戦闘が始まると、そのまま戦場になる。日常と戦場が重なっているんです。

P265
そのまま浦賀の復員局で復員業務にあたっていた池田氏のもとに、父が訪ねてきたのは二月末のことだった。
「父は東京帝國大学の願書を手にしていました。元軍人でも、定員の一割までなら大学に入れるらしいから、受けてみろというんです。ご奉公は十分したんだから、もう一回、勉強してみたらどうかと」(こうして親孝行も兼ねて一か月の受験勉強で工学部に合格する。その後、霞が関ビル、京王プラザホテルなど手がける一流の建築家となるのだ)

P280
軍部が勝手に戦争を始めたという人たちがいます。戦争指導者たちがすべて悪いんだと。本当にそうでしょうか。戦前といえども、国民の支持がなければ戦争はできません。開戦前の雰囲気を、僕は憶えています。世を挙げて、戦争をやるべきだと盛り上がっていた。ごく普通の人たちが、アメリカをやっつけろと言っていたんです。真珠湾攻撃のときは、まさに拍手喝采でした。(例えば近い将来、北朝鮮のミサイルが本土に落ちたとする。すると、世論は「叩くべし」と好戦的な雰囲気に一気に変わるだろう。倍返しの好きの国だし。水を差すような意見を言ったら非国民呼ばわりされるかもしれない…以上、杞憂であって欲しい)

【ネット上の紹介】
かれらもまた、あの夏、ひとりの兵士だった。俳人・金子兜太、考古学者・大塚初重、俳優・三國連太郎、漫画家・水木しげる、建築家・池田武邦。廃墟の中から新しい日本を作り上げた男たちの原点は、太平洋戦争の最前線で戦った日々にあった。何もかも失った若者は、どのようにして人生を立て直したのか。過酷な戦場体験と戦後の軌跡を語り尽くした感動のノンフィクション。巻末に児玉清氏との対談を収録。
賭博、男色、殺人―。南の島でわたしの部下は、何でもありの荒くれ男たち。でもわたしはかれらが好きだった。(金子兜太)
脚にすがってくる兵隊を燃えさかる船底に蹴り落としました。わたしは人を殺したんです。一八歳でした。(大塚初重)
逃げるなら大陸だ。わたしは海峡に小舟で漕ぎ出そうと決めました。徴兵忌避です。女の人が一緒でした。(三國連太郎)
もうねえ、死体慣れしてくるんです。紙くずみたいなもんだな。川を新聞紙が流れてきたのと同じです。(水木しげる)
マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦、そして沖縄特攻。二〇歳の頃に経験したことに比べれば、戦後にやったことなんか大したことない。(池田武邦)
すべてを失った若者たちの再生の物語―対談 児玉清×梯久美子