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「昭和の名将と愚将」半藤一利・保阪正康

2018年01月03日 20時36分14秒 | 読書(昭和史/平成史)


「昭和の名将と愚将」半藤一利・保阪正康

高度な内容の対談。
読んでいて感心した。
(宮部みゆきさんも、別の作品--「昭和史をどう生きたか」で本書を褒めていた)

P18
日本人は今でこそ最後の一兵まで戦い、絶対に降伏しないと思われているが、本来はそんなことはなく、戦国時代では誰も玉砕せずに主将が腹を切るとすぐ城を明け渡している。だから、日本人はメンツが大切なのであって、それさえ留意すれば降伏するはずだ、と言う認識がアメリカ側にはあったんですよ。だから、特攻とか玉砕というのは、日本の文化にはないわけで、どこかで日本人は変調をきたしたに違いない。

P18
薩長は攘夷を決行しようとして、薩英戦争や下関戦争で、列強にコテンパンに負けます。このままではダメだから、文明を取り入れて、富国強兵をしてから改めて攘夷をしようと方針転換をするんです。これは西郷隆盛も言っています。そして明治維新以降も、攘夷の精神は死んでいない。
(中略)
だから、昭和の初めあたりから、列強入りした日本に欧米から圧力がかかると、実際にはたいした外圧ではなくて日本が自ら招いたものにもかかわらず、すぐに過剰反応している。

P62
米内(光政)、山本(五十六)、井上(茂美)というのは会社組織にたとえるなら、米内がのんびり社長、山本が歯に衣を着せぬ専務、井上が厳格な経理部長といったところですよ。

P94
勇士の勇敢敢闘は作戦のまずさを補うことはできない。作戦がいくら巧緻でも大本営の戦略の失敗を補うことは誰もできないんです。

「生きて虜囚の辱めを受けず…」が有名な「戦陣訓」について
P158
軍人勅諭があるのに、また「戦陣訓」なんて、屋上屋を重ねるようなことをしたのは、東條の周りにいた師団長クラスの連中が、ゴマすりのために作らせたという側面があるように思う。
(中略)
石原莞爾なんかは部下に読むなと言っていたそうですからね。

P194
しかし結局服部(卓四郎)は戦後、再軍備の最高の旗振り役になりましたね。「服部機関」が中心になって、再軍備の路線を突っ走っていった。

P252
保阪:僕は「特攻」というのは文化に対する挑戦だと思っています。あの時代の指導者の、文化に対する無礼きわまりない挑戦だったと。
半藤:「特攻」に対する考察がし尽くされぬままなら、日本は軍隊なんかつくっちゃいかんと思いますよ。

【おまけ】
名将として宮崎繁三郎と今村均がよかった。
軍人にもこんな方がいたのか、と。
同じように戦争に行っても運不運は紙一重。

【ネット上の紹介】
責任感、リーダーシップ、戦略の有無、知性、人望…昭和の代表的軍人二十二人を俎上に載せて、敗軍の将たちの人物にあえて評価を下す。リーダーたるには何が必要なのか。
名将篇(栗林忠道
石原莞爾と永田鉄山
米内光政と山口多聞
山下奉文と武藤章
伊藤整一と小沢治三郎
宮崎繁三郎と小野寺信
今村均と山本五十六)
愚将篇(服部卓四郎と辻政信
牟田口廉也と瀬島龍三
石川信吾と岡敬純
特攻隊の責任者―大西瀧治郎・冨永恭次・菅原道大)