「昭和二十年夏、女たちの戦争」梯久美子
P42
あまり誰も言わないけれど、当時の東京では、未婚の若い女性と、既婚男性の不倫が多かったのよ。他の都市部でも多分そうだったと思う。男の人は職場のある東京に残って、妻子を地方に疎開させるでしょう。だから一人暮らし。で、独身の女性と恋愛になってしまう。
8月15日、東京の情景
P53
――その日、放送局を出ると、まだ夕方にはだいぶ間があるのに、空が一面、黒ずんだ灰色をしていました。あちこちから黒煙が上がっていて、紙の燃えかすがひらひらと舞い降りてくる。各官庁が、書類を燃やしていたんです。
最初はわからなかったけど、しばらくしてああそうかと気がついたわ。アメリカが進駐してくる前に、機密書類を焼いてしまおうとしているんだ、って。NHKは内幸町にあったから、まわりはお役所だらけ。(中略)艦政本部からの煙が、とくにすさまじかったのを覚えています。
甘粕正彦に対する赤木春恵さんの印象
P120-121
きっと厳しくて怖い人なんだろうと思っていたんです。精悍できりっとした感じの。そうしたら意外と小太りで、ずんぐりむっくりと言っちゃ悪いけれど、そんな感じのかたでした。
P132-133
終戦時の満洲における日本人の数は約150万人だったが、そのうち、開拓民は約24万人。うち、8万人以上が日本に帰還することなく亡くなっている。
(中略)
そして8月15日がやってくる。日本政府は当初、「居留民はできる限り定着の方針をとる」としていた。敗戦時に満洲にいた日本人は、日本に帰らずそのまま現地で生活せよというのである。
定着どころか満洲の日本人は生命の危険にさらされており、政府の方針は初めから無謀なものだった。
P239
「女が女にやさしくしなければ民主主義が成り立たない」という言葉を、その後、吉屋信子さんにお会いする機会があったときに、ご本人から直接うかがったことがあります。
【参考】
これにてこのシリーズを全て読んだことになる。
もし――どれも未読なら、「僕は兵士だった」から読んでみて。
「昭和二十年夏、僕は兵士だった」梯久美子
「昭和二十年夏、子供たちが見た戦争」梯久美子
【ネット上の紹介】
大宅賞作家が綴る戦争ノンフィクション第2弾!元NHKアナウンサーで作家の近藤富枝、生活評論家の吉沢久子、女優の赤木春恵、元国連難民高等弁務官でJICA理事長の緒方貞子、日本初の女性宣伝プロデューサー吉武輝子。戦争の陰でも、女性たちは輝いていた。
実らないのよ、なにも。好きな男がいても、寝るわけにいかない。それがあのころの世の中。それが、戦争ってものなの。(近藤富枝)
空襲下の東京で、夜中に『源氏物語』を読んでいました。絹の寝間着を着て、鉄兜をかぶって。本当にあのころは、生活というものがちぐはぐでした。(吉沢久子)
終戦直後の満洲、ハルビン。ソ連軍の監視の下で、藤山寛美さんと慰問のお芝居をしました。上演前に『インターナショナル』を合唱して。(赤木春恵)
はじめての就職は昭和二〇年春、疎開先の軽井沢。三笠ホテルにあった外務省の連絡事務所に、毎日、自転車をこいで通いました。(緒方貞子)
終戦翌年の春、青山墓地で、アメリカ兵から集団暴行を受けました。一四歳でした。母にだけは言ってはいけない。そう思いました。(吉武輝子)
薔薇のボタン―あとがきにかえて