【ぼちぼちクライミング&読書】

-クライミング&読書覚書rapunzel別館-

「アニマルアイズ動物の目で環境を見る」(5)宮崎学

2010年12月03日 22時44分54秒 | 読書(写真エッセイ)

シリーズ第五作目、最終巻「においの地図」。
においと動物の関係について。
人間はくさい匂いが苦手。
でも、そのくさい匂いが好きな動物もいる。
今回の写真では、「ふん」や「ゴミ」の写真がいっぱい。
それに群がる動物たち。
著者の文章を紹介して、このシリーズを終わる。

甘い花の蜜が大好きなハクビシンが、ツバキの木にすがたをあらわした。人には感じないほどの、かすかな花のにおいが、ハクビシンをよんだのだ。
木々や草のにおい、動物のにおい、水のにおい、魚のにおい、それに、くさったにおいやうんこのにおい・・・・・・。
においをのせた風は、いろんなリズムをもっている。
かすかなにおいをただよわせる、やさしい風。強いにおいのかたまりを、グワーンとぶっつけてくる風。そんな風が、交代に、リズムをもって吹いてくる。
ぼくの鼻が、動物の鼻になったとき、そのリズムが、ぼくにもつたわってくる。
風にのってくる、さまざまなにおいをかぎながら、ぼくは、鳥やけものや昆虫たちの気持ちになって、あたりを見まわす。すると、それまで見えなかった、においの道が見えてくる。
その道をたどれば、おいしいものにつながっている。
ここは、好きなものがある場所、ここは、きらいなところ・・・・・・。人間の感覚だけでは、見えないものが、動物たちには、においをとおして、見えている。
ぼくらのくらしている世界のことも、動物たちは、ぼくらとはちがう地図で、とらえているのかもしれない。

「アニマルアイズ動物の目で環境を見る」(4)宮崎学

2010年12月03日 22時41分37秒 | 読書(写真エッセイ)

シリーズ第四作目「あったかねぐら」。
今回は、動物たちの家について。
写真を見て笑ったのは、『やきとり』看板のスキマに巣を作る鳥の写真。
鳩時計に巣を作って、顔を覗かせている写真。
都会の中で色々工夫してねぐらを作っている。
・・・やっぱり、人が残した食べ物があって暖かいからでしょうか。
雨をしのげるよう、トンネルの蛍光灯と天井のスキマに巣を作ったツバメたち。
ところが、隣にアオダイショウが引っ越してきた・・・さぁ、大変!
著者の文章を紹介する。

ふしぎなことに、自然にくらしているはずの、野生の動物たちを見つめていると、そのまわりにすむ人のくらしが見えてくる。どうやら、動物たちは、少しずつ、人のくらしている世界に、はいりこんできているようだ。動物たちの目で見れば、人のくらしている場所は、あったかいねぐらはあるし、食べものもいっぱいあるし、なかなか魅力的なところなのだ。
動物たちには、「ここから先は、人間のすむところ」なんていう境界線は、ない。「このあたりは、すみごこちが、いいかな?」「おいしいものが、食べられるかな?」と、いつもチェックしている。
人のくらしに、動物たちがなじんでいないとすれば、それは、人をきらっているからじゃない。ただ、動物たちが、くらしにくいからなんだ。手近に食べものがなかったり、自動車の交通量が多くて、危険だったり、なにかしらの条件がそろわないからだ。
だから、条件さえそろえば、動物たちは、よろこんで人のくらしの中に、はいりこんでくる。
これからも、そんな生きものの数は、きっとふえてくると思う。あとは、ぼくたちが、そんな生きものたちと、どうつきあっていくか、だ。


「アニマルアイズ動物の目で環境を見る」(3)宮崎学

2010年12月02日 22時03分04秒 | 読書(写真エッセイ)

シリーズ第三作目「明るい夜」。
不夜城と化した日本の都会。
明かりに惹かれてやって来る動物たち。
人間の暮らしは動物たちに、どう影響を与えているのか?
文章を紹介する。

ぼくは、これまで30年以上のあいだ、日本でくらす動物たちのすがたを写真におさめてきた。そのなかで、ひとつのことに気がついた。
動物たちのくらしには、かならずといっていいほど、人間のくらしが関係している。少なくとも、日本にすんでいる野生動物たちは、そうだ。
そのひとつが、光なのだ。
家の中を明るく、道路を明るく、街全体を明るくしてきたことで、ぼくたちは、人のくらしのすぐ近くにいる動物たちのすみ場所まで、明るくしてきた。
昔は、夜になれば闇につつまれていたところでも、いまでは、夜になっても光がある。その光は、動物たちにも、かならずとどいている。
とどいてきた光をうまく利用するものもいれば、光をきらって、いなくなるものもいる。人間が自分たちのためにつくった光が、気がつかないうちに、動物たちの夜を、少しずつかえてきている。
人間は人間、自然は自然と、わけて考えているのは、人間だけなんじゃないだろうか。



「アニマルアイズ動物の目で環境を見る」(2)宮崎学

2010年12月01日 23時06分24秒 | 読書(写真エッセイ)
シリーズ第二作目「死を食べる」。
動物写真と言うと、動物の可愛らしい表情や生態を表現したものが多い。
宮崎学さんの写真は、それらと一線を画する内容となっている。
動物、生き物が死ぬとどうなるのか、時間を追って撮影している。
ここには様々な死が表現されている。
文章を一部紹介する。

死なない生きものは、いない。小さなウジにも、キツネやタヌキ、シカ、それにぼくたち人間にだって、うまれたいのちの数だけ、死はかならずある。
死ぬと、その死はだれかに食べられる。死を食べて、ほかの生きものがいのちをつなぐ。生きているから、ほかの生きものの死がいを食べる、死んでしまったらこんどは、ほかの生きものに食べられる。
人だって、おんなじだ。ぼくらが毎日食べている魚も、牛や豚、ニワトリの肉だって、つきつめて考えれば、動物の死がいなのだから。スーパーマーケットでは、きれいにカットされ、パックされているから、気がつかないことが多い。けれど、ぼくらも、死を食べているんだ。
死は食べられることで、ほかの生きものの、いのちにかわっているんだ。もしかしたら、死ぬことも、死を食べることも、いのちとおなじくらい、たいせつなことなんじゃないだろうか。だから、ぼくは、いっしょうけんめい死を食べて、いっしょうけんめい生きたいと思う。きみはどう思うだろうか。