【ぼちぼちクライミング&読書】

-クライミング&読書覚書rapunzel別館-

「感染宣言」石井光太

2011年03月10日 21時47分53秒 | 読書(ノンフィクション)


「感染宣言」石井光太
日本人HIV感染に関するノンフィクション。
いろいろ勉強になったし、考えさせられた。
いくつか参考になる文章を紹介する。
まず、一般的な知識となる文章から。
(このブログ横書きなので、読みやすいよう数字表記を変えている、御容赦)

P8-P9
95年までは、国内の新規感染者は毎年200人以下でしかなかった。だが、96年に200人を越えると急に増えはじめ、5年後の2001年には621人、05年には832人になった。そして、09年には1021人に膨れ上がっている。1日に3人近くのHIV感染者が見つかっている計算だ。現在の日本全国にいるHIV感染者/エイズ患者の総数は、薬害エイズ事件の被害による人を含めると、19,031人にも上る。先進国で感染者の増加率が上がっているのは日本だけだといわれている。
HIV感染症とは、俗にエイズ・ウイルスと呼ばれるHIV(ヒト免疫不全ウイルス)がが体内に入り込んで起こるものだ。このウイルスの感染力はとても弱く、普通に性行為をするだけではなかなか感染しない。だが、肛門性交など、粘膜を傷つけるような行為をすると、この傷がHIVの侵入経路となってしまい、感染率が高まることがある。
(中略)
エイズというのは、感染後主に数年から十数年経って免疫力がほとんどなくなったときに起こる状態である。(中略)この免疫力が極度に弱まった状態が、エイズ(後天性免疫不全症候群)と呼ばれている。


以上、これで語彙の理解が出来たでしょうか?
HIVとエイズの違いが解ったでしょうか?
私も
昔の職場で、「よく読むように」と、全職員1人1冊ずつHIVパンフレット配られた記憶がある。(これは、本部が印刷したか、あるいは、厚生省(=現在の厚生労働省)の印刷物と思う)
・・・でも、ほとんど忘れていた。
今回、改めて、HIVとエイズの違いを認識したしだいである。

P44、感染率について書かれている。
男性・・・0.05%、コンドームをつけずに感染者とセックスしても、二千回に一度の確率。
女性・・・0.1%、こちら男性の倍、千回に一度の確率。
ただし、同性間性的接触の感染は一気に上昇する。
以下、転載。(P45)
同性愛の性行為では、タチ(挿入する側)とウケ(挿入される側)に分かれるが、リスクが大きいのがウケである。ウケは肛門にペニスを挿入され、ウイルスの混ざった精液を射精される。その際、肛門の奥にある腸がそれを吸収してしまうことがあるうえに、肛門性交によって粘膜が傷つき、そこがウイルスの侵入口となって感染率が高まるのである。このため、女性の約六倍の0.57パーセントという高感染率になる。

P63(薬害エイズの被害者の言葉)
人は、他人に心の内をすべて見せられるわけじゃない。隠しているから、うまくいくことだってある。人間関係を成り立たせるには、見せる部分と隠す部分をうまくつかいわけていかなければならないんだ。
しかし、HIV感染者になると、人はいやおうなしに丸裸にさせられてしまうことがある。
無理やり引っぺがされて、人間の本性をむき出しにさせられるんだ。そのせいで、なんとかバランスがとれていた人間関係が音を立てて崩れてしまう。
(中略)
このころになって、ようやく患者たちの間に「エイズで死ぬことはまずない」という認識が広まった。僕も「命拾いした」と胸をなで下ろすことができた。
しかし、世の中というのは皮肉なもので、国との和解が成立してエイズが死なない病気になると、それまでこの問題に熱心だった人たちは急によそよろしく遠ざかっていくようになった。潮を引くように原告団や市民団体から離れていき、連絡すら取ってくれなくなる。もう過去の人間になってしまったということなんだろうな。
ボランティアに来ていた若い女性たちも同じだった。それまでは国家の犠牲となって殺されていく薬害エイズの被害者に同情し、最後まで苦しみを分かち合いたいと言ってくれていた。中には交際や結婚を求めてきた子だっていた。だが裁判に区切りがついて、エイズが死なない病気になったとたんに、僕たちと会話することがなくなり、周りからいなくなってしまった。死に際の男には言いようのないロマンがある。だが、新しい治療法が確立したとき、僕たちは、ただの障害者年金暮らしの病弱な男に成り下がった。それに愛想をつかしたということなのだろう。


P227(HIV感染者の出産について)
当時は「やがて死んでいくHIV感染者が子供をほしがるのはエゴにすぎない」とか「母子感染があったら誰が責任を取るのか」という議論があり、基礎研究しかできなかったという。だが、2000年に新潟大学が臨床実験を受け入れ、母子感染の予防に成功。それからHIV感染者でも子供を産めるとう認識が広がったのである。現在では、医師もよほどのことがない限り、出産を勧めるようになっている。

P289
現在、HIV感染症は、医療者の間では糖尿病と同じような慢性疾患の一つとしてしかとらえられていない。適切なケアを受け入れていれば、死に至ることはないし、子どもを産むこともできるし、感染率もゼロ近くまで抑えられる。
にもかかわらず、かかわった人々の人生を大きく揺さぶるのは、HIVが性行為を通してうつるものだからだろう。性行為は人と人とを結びつけるのに大切な役割を持つ。人々はウイルスによってその人間関係を試されたり、破壊されたりする事実に震えあがり、過大な恐怖を抱く。「エイズなんだから、抱いて」と乞われても拒絶してしまう。ゆえに感染者もとり乱し、自ら破滅の道を辿ってしまうことがある。
いわば、みなHIVの幻に翻弄されているのだ。


以上、印象に残った文章を紹介した。
非常に興味深いノンフィクションで、読みやすい文章だから、よかったら手に取ってみて。
同じノンフィクションでも、先日読んだ「キャパになれなかったカメラマン」より、ずっと読みやすい。

【ネット上の紹介】
『神の棄てた裸体』『絶対貧困』で世界の奈落を追ったノンフィクション作家・石井光太が初めて手掛けた衝撃の国内ルポルタージュ! ベッドで腕枕をして「HIVなの」と囁いたとき、二人は―― 日本人初のエイズ患者報告から25年。治療法の確立によって、決して「死の病」でなくなったが、HIV感染者は静かに広がっている。世間から「忘れられた」2万人の日本人HIV感染者は、宣告後の人生を、どう生きているのか? 告知、恋愛、家族、出産――それぞれの人生に重くのしかかる「HIV」というウイルス。100人を超える感染者の現実を克明に取材した33歳の著者が出会った現実。本格書き下ろし! 「HIVに感染していたの……検査でそう言われた……お願い、あなたも調べてもらって。あなたにうつっているかもしれない」 「私は、いまだに試されているんですよ。今もエイズはどこかで生きていて、私がどう苦しむか、悩むか、嘆くかをじっと見詰めているんです」 (本文より)


「あかつき戦闘隊」(上・下)相良俊輔/原作 園田光慶/作画

2011年03月10日 20時10分32秒 | 読書(マンガ/アニメ)


あかつき戦闘隊 上下
相良俊輔/原作 園田光慶/作画

なつかしの作品。
昔、「少年サンデー」に連載されていた。
今回、復刻されているのを
ネット上確認して、取り寄せた。

子ども時代に読んだときほど感動しなかったけど、懐かしく思いながら、それなりに楽しく読んだ。
以下、興味深い文章を転載する。

『あかつき戦闘隊』は三部にわかれており、第一部が「パゴス島編」第二部が「特攻編」そして第三部が「本土決戦編」という構想によってはじめられた。連載期間も約二年という大長編になったが、編集スタッフが入れかわったことなどにより、第二部までで一応完結ということになってしまったのは、ぼくにとって残念なことだった。(以上、
原作者・相良俊輔氏の文章。上巻P1-2)

本作品は原作者の「まえがき」にもあるとおり、当初は三部構成の予定で連載が始まった。第一部「パゴス島編」は1967年42号から68年27号、第二部「特攻編」は68年42号から69年19号までの連載となっている。第三部「本土決戦編」は、若木書房版「まえがき」にはこう書かれている。
――「編集部の都合で第二部完結となっていたが、読者の声援も多く二年ぶりにペンを執った。この「本土決戦編」の完結を機に、若木書房から全巻揃って刊行されることになった―。だが、第二部完結の2年後、1971年当時の「少年サンデー」誌上に連載の形跡はない。著者も、ともに故人のため確認がとれていない。
(下巻・表紙裏)

以上、(資料として)非常に興味深い文章である。
なお、当時かなり人気でブームとなった。

このブームにのって、誌上では毎週のように第2次世界大戦当時の兵器やメカの特集が組まれ、「あかつきタイムズ」のような戦記情報コーナーまで登場した。
ブームはますますエスカレートし、68年13号「あかつき戦闘隊大懸賞」は見開き型式で大きく掲載された。賞品には日本海軍兵学校正装一式、アメリカ軍ミリタリーグッズが並んだ。このため一部の児童文学者たちからは抗議があり、3月15日付けの朝日新聞紙上をにぎわした。

(以上、上巻・表紙裏。・・・これが有名な「あかつき戦闘隊」事件、である)


ROCK & SNOW 2011春号 No.051

2011年03月08日 22時52分38秒 | 読書(山関係)


ROCK & SNOW 2011春号 No.051
自宅に「ロクスノ」最新号が届いた。
いくつか気になる記事を紹介する。

『日本人による5.14オーバーの世界』P13-27
特に、P20から『クライマー列伝』、って感じで、1988年から始まり、年代順に列挙されている。
80年代前半から、私もクライミングをしているので、感無量である。
一般クライマーは、時代についていくだけで精一杯。
強いクライマーは、時代の流れに乗って、最先端を維持していく。
そしてごく一部、才能あるクライマーは、時代を引っ張っていく。
・・・そんな事を考えながら読んだ。
さて、P23に正田マンの写真が掲載されている。撮影はwataru君。
なんとなく嬉しい。
ところで、ito君も8c+を登ってるはずだけど、書かれていない。
印象として、関東在住クライマー中心記事になっている。(これって、関西人の僻みか?)
【参考リンク】
http://blog.goo.ne.jp/takimoto_2010/e/83b763376f16920a1591608fd5f18eb8

『高みを目指して』P29-35
トキオ君のトラッドルート開拓記事。
先ほどの記事と対極に位置するように感じるが、これもまたクライミングの究極の姿である。
(ある意味クライミングの本質のような気がする)

『最近のクライミング事故を考える』P100-103
様々な事故について、具体的な例が書かれている。
本来クライミングは危険なもの。
でも、経験とテクニック、想像力で回避できる事故も多い。
事故例と共に、杉野さん、菊池さんの記事(
P103)も読んで欲しい。

『インストラクターの資格制度がスタートします』P105
これは、すごく良いことだと思う。
次のように書かれている。

この資格制度は単なる引率者やハウツー説明をする人のためのものではありません。クライミング文化の継承と、クライミングインストラクターの社会的認知をも含めた、より高い次元を目指したものです。

いかがでしょうか?
知識・経験・実力があるのは必要条件。十分条件として『性格』も挙げられる。初心者に教えるという教育的側面が大きいから。インストラクターとして、『向き・不向き』もある、と思う。

【参考リンク】

http://cm.impress.co.jp/?5_83938_4401_5


「キャパになれなかったカメラマン」(上・下)平敷安常

2011年03月06日 19時50分06秒 | 読書(小説/日本)


「キャパになれなかったカメラマン」(上・下)平敷安常
大宅壮一ノンフィクション賞、受賞作品。
ベトナム戦争をマスコミ側から書いている。
取材裏話、記者やカメラマン仲間について書いて、結果としてベトナムを描き、戦争を描き、人間を描いている。
上下2巻は、実に読み応えがあった。(読むのに3週間かかった)
いくつか文章を紹介する。

(上巻:P154-155)
首都サイゴンは大都会だ。東京のようにいろいろな地方から人々が集まってきている。北部、中部、南部それぞれ入り交じって生活しているが、お互いにあまり信用していないところがあると聞いた。
南部は北部のがめつさを嫌い、北部は南部の怠けぐせ、遊び好きを軽蔑し、中部は自分たちの男は賢く、ユエを中心にベトナムで一番の美女の産地だと威張る。それぞれ仇名がある。北部はベトナム産のセリ(ラムン=空心菜)が好物なので、「ラムン」と名付けられ、中部は唐辛子(アック)が大好物だから「アック」と呼ばれ、南部では何にでもモヤシ(ヤァー)を入れて食べるから「ヤァー」と呼ばれる。
(中略)
ベトナム人は美食家だ。美味しい物には目がない。
麺類はベトナムの名物だが、地方によってそれぞれ違う。北部は「フォー」という牛肉を炊き込んで作った出し汁に、米から作った麺を食べる。中部は「ブンボー」と呼ぶ豚肉と、牛肉の出し汁に凄く辛い味付けの麺を食べる。中でも古都ユエのブンボーは有名だ。南部は「フウティウ」と呼ぶ肉、魚、海老などたくさんの具を載せた中華風の麺を食べる。皆それぞれ美味しいから、悪口を言いながらもお互いの麺類を味見し合う。
サイゴンの歌手たちは、北でも南でも中部でも、北ベトナムの発音で歌うのだそうだ。ただし、地方の民謡はそれぞれの発音で歌われる。ラジオやテレビ放送のアナウンサーは、北ベトナムのアクセントで喋るのだそうだ。

上巻:P158
北の指導者のホー・チ・ミンが、南の指導者のゴ・ディン・ジェムに訊ねたそうだ。
「なぜ遠いアメリカと仲よくするのだ」
ゴ・ディン・ジェムはこう答えた。
「歴史が証明しているではないか。隣の中国は何度も攻めて来てベトナムを滅ぼし、中国の領土にしようとしたではないか。離れた所にいるアメリカと親しくなるほうが安全だ。中国と仲よくしているとひどい目に遭わされるぞ」

上巻:P160
ベトナムに来ているジャーナリストは三種類に分けられるそうだ。
一、名声と地位を探しに来た者
二、一攫千金を目的に来た者
三、戦争やこの国で起こる出来事に首を突っ込みすぎて抜け出せない者

上巻:P239
「戦場に入り込んで長居するな。取材ができたら素早く原稿を持ち出して、放送に間に合わせよ。我々は兵士ではない。戦場に必要以上にこだわるな。死んだ英雄より、明日も生きられる弱虫のほうがいい」
「負けにこだわりすぎてはいけない。たとえひどい負け方をしても、その負けを一度に取り戻そうとあせってはいけない。チャンスは必ず来る、そのとき負けを返し、大きく勝ち越せばいい。勝負には時の運がある。不運を耐えるのも我々の仕事のうちだ」

上巻:P259(仏教・高僧へのインタビュー)
「もし共産主義者たちがこの国を支配したら、貴方たちの宗教の自由はどうなるのでしょうか」
「共産主義者が権力を握ったら、多分私たちの宗教は弾圧されて、滅びるかもしれない。だが、国が滅びるよりはましである。少なくとも共産主義者も同じベトナム人だから」

上巻:P374
戦場で走るという行動は、慎重に状況判断してからでしか、とってはいけないのだ。従軍しているときに突撃や進軍、退却などの場合は走らないといけないが、ふだんは走らない。慌てて「修羅場」で走れば、味方の兵士にさえ撃たれかねないときもあるのだ。

上巻:P427
アメリカでは、身内の贔屓という繋がりは嫌われる。「ネポティズム(Nepotism)」と呼ばれて嫌がられている。極端に言うとアメリカでは、社長の息子はその同じ会社の社員には、まずなれないのだそうだ。日本では親子二代の社長なんていくらでもいる。アメリカでは逆だ。まして規律が厳しい軍隊ではネポティズムはもっての外だ。

下巻:P262、終戦の日のホーチミン
1973年1月28日。
ついに終戦の日が来た。我々報道陣は、サイゴンの中央郵便局の真向かいにあるカトリック教会の大きな時計に、カメラのフォーカスを合わせていた。この時計の針が八時きっかりを指すと、戦争の終わりを告げる教会の鐘が高らかに鳴るのである。そしてその鐘が鳴るのを合図に、すべてのサイゴンの交通機関、バスや車やモーターバイクが、平和を祝って一斉にクラクションを鳴らすのだ。

下巻:P267
1973年3月29日、最後のアメリカ軍の部隊がベトナムを引き揚げて、アメリカが直接介入するベトナム戦争は終わったことになっている。しかし、ベトナム人にとってそれはつかの間の休戦でしかなかった。

下巻:P290
戦後、ベトナム戦争を経験した多くのアメリカ兵たちにあった、このような精神的な症状は、「ベトナム戦争症候群(Vietnam War Syndrome)」と呼ばれ、医学用語かどうか知らないが、別の呼び方でPTSD=posttraumatic stress disordersの典型的なケースとみなされたようだ。生き残った者が死んだ者たちに申し訳ないと思う気持ち、その罪に近い気持ちを、生存者の罪の意識「SURVIVOR'S GUILD」と言うそうである。

下巻:P336
1985年のある日、私がケネディ空港でVIPの到着を取材しているとき、どこかで見たことがある浅黒い東洋人に声をかかられた。
「ABCのトニィじゃないですか?」
男はプノンペンでニューヨーク・タイムズの助手をしていたディス・プランと名乗った。
(中略)
「あれは『キリング・フィールド』の主人公だ。恐ろしい経験をして、カンボジアからやっと出てきた男だよ」

下巻:P392-393
前線のアメリカ兵士たちの士気は落ち込んでいた。ドラッグに溺れ、戦場で自分たちの上官を「Fragging(暗殺する)」ケースも出てくる。戦争の目的を見失った感じであった。そして撤退プランが実行に移され、第二十五歩兵師団を最初に、アメリカ軍はベトナムから引き揚げを開始する。私にとってそれは明確なしるしだった。アメリカは、所期の目的を一つも達成することができなかった。その間に、政治の腐敗や汚職がこの国を滅ぼす運命をたどる。(中略)
現在の状況とそっくりだと思わないかい?イラク戦争の取材に従事できなくて幸運だと思わないかい?ベトナム戦争で負けたのは、我々報道関係の仲間のせいだと思うかい?

【ネット上の紹介】
1965‐75年、大型TVカメラを肩に戦火の一〇年を駆け抜けた日本人がいた。人呼んで「カミカゼ・トニィ」!TVカメラマンが追ったベトナム報道の全貌。
戦争報道に賭けた青春群像とさまざまな戦後 沢田教一、一ノ瀬泰造、テリー・クー、テッド・コッペル……著者が戦場で競い、ともに働いた仲間たち。友情と懐旧の念を込めて語る、知られざるエピソードの数々

【参考リンク】
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SC/PrizeInform?SHOUCD=009


ナカガイ堺リードジム

2011年03月06日 09時49分17秒 | ジム練習

新しくオープンしたナカガイ堺リードジムに行ってきた。
ナカガイジムとしては、これで4店舗目。
①摂津店
②高槻店
③堺店
④堺リードジム
1年に1店舗ずつ。(スピードもすごいけど、内容も濃い)
とりあえず、写真を撮ってきたから見てみて。
(ナカガイ君には、写真等掲載の旨伝えてある、為念)

左前傾壁、この前傾かぶり、おそらくパンプ・ビッグウェーブ・クラス。

正面薄かぶり壁

これが奥壁・ルーフ&アーチの始まり部分

右壁のボルダー&ウォームアップ用の壁
右に階段が見えるが、2階に受付、休憩室、ショップ、更衣室がある。
(cruxのような立派なショップを想像してはいけない、ごくささやかなショップである)
なお、階段は土足厳禁。入口で靴を脱いでから上がりましょう。

これが問題の天井アーチ部分。

さて、ここから実際私がトライしたルートを紹介する。
最初から言い訳すると、最近リードさっぱりしていない。
故に、難度の高いルートはトライせず。(御容赦)
以下、エリアごとにルートを紹介。
なお、設定者名前が略称でスタートホールドの横に記載されている。
(中貝=中、竹田=竹、正田=正あるいは魚マーク)

【正面ベージュ色・垂壁~薄かぶり壁】
黄色テープ□(中)(8)、初心者講習用、素直なウォームアップルート。これを難しく感じたら、前途多難。
ピンクテープ□(中)(9)、9になるとムーブが出てくる。8との違いを感じてみて。
黒テープ□(中)(9)、それなりに気が抜けない
ピンクテープ□(正)(9)、右側薄かぶり部分、油断しないように。
水色テープ□(正)(10ノーマル)、10になるとオブザベして真剣にトライする必要がある。
紺色テープ□(中)(11-)、スタートからコルネ取るまで、ずっと悪い。クリップ悪いのでたぐり落ち注意。コルネからは、前半ほど難しくないが、前半のダメージを引きずる。(1テン)

【左前傾壁】
ピンクテープ□(中)(10ノーマル)、前傾している中で、ムーブを起こす難しさ。手順あり。
水色テープ□(正)(10+)、上部細かく苦労した。
紺色テープ□(中)(11-)、比較的登り易い素直な11。11入門ルートか?(でも、オブザベ必要)
赤色テープ□(竹)(11-)、持てそうで、持てないホールドが続き、けっこうパンプする。

【奥ルーフ壁】
ピンク色テープ□(正)(11-)、テクニカルなルート。足位置が重要。(ホールド見落とし2回目RP)
水色テープ□(竹)(11-)、ルーフ入門ルート。ガバなのに腕がパンプ。持久力が保つか?
水色テープ□(竹)(11ノーマル)、上部ルーフに入る箇所、手順あり。(失敗、次回RP予定)
赤色テープ□(中)(12-)、文章より下の写真を見てみて。とりあえずトライしたけど、へとへとになった。

赤テープ・ルーフ課題(12-)をデモンストレーションするナカガイ君。

まだまだアーチ状ルーフはつづく、はてしなく遠く感じる。

やっとルーフ終了、ここから薄かぶりフェースを這い上がるロングルート。
私もトライしたが、ジム用ロープでは短すぎたので、岩場用ロープを使用した。
テンション多数、へとへとになった。

【参考リンク】
http://sakai2.blog.eonet.jp/blog/2011/02/post-e67c.html
(堺リードジムオープン)


新ルート・ビンゴネス

2011年03月04日 22時13分31秒 | クライミング(一般)

久しぶりにクライミング・ネタ。
正田マンがプロジェクトをRPした。
「備後のユージ」と、「サイコネス」をリンクするルート。
(リンクルートの設定はナカガイ君、と聞いている。)
ネーミングは「ビンゴネス」、といたってシンプル・・・両ルート名を繋いだだけ。
(このネーミングもナカガイ君、と聞いている)
ルートは「備後のユージ」をRPするだけでも大変なのに、さらに「サイコネス」の核心に突入する。
両方のルートの核心をクリアーする必要があり、尚かつ、リンク部分が1番難しい、と聞いた。
グレードは8cなので、換算すると14b。
14クラスを登り込んでいる正田マンが、グレーティングしているから正味でしょう。
エリアの特徴として、日曜日しかトライできないのが難点。
でも、備中訪問者は実力ある方が多いので、再登、遠からず出る、と思う。

【参考リンク】
ビンゴネス8c

【さらに、参考リンク】
ホッシー『備後のユージ』RPコメント
(数年前
、ホッシーが「備後のユージ」RPした時のコメント)


話は変わるけど、TCネットに落石注意の呼びかけがある。
春先は(特に)落石が多い。
お互い注意し、避けられる事故は避けたい。

春は落石の多い季節です。落石には注意しましょう。


キーワードと検索

2011年03月02日 20時47分28秒 | 身辺雑記

 

以前、このブログの閲覧層・読者層について書いたことがある。
「このブログを読んでいるのは、99%クライマー」、とも書いた。
少し、これを訂正しようと思う・・・「90%がクライマー」、と。
どうしてかと言うと、このブログでは、どのようなキーワードでたどり着いたか、分かるようになっているから。(他のことは分からない、ホントは「どの都道府県からアクセスしてるか」とか、「男女別」とか知りたいんだけど)

キーワードで多いのは、やはりクライミング関係の用語。
例えば、「スーパーモック」「インスティンクトS」「エイト環 使用方法」「トロール ハーネス」、とかである。マニアックなキーワードで「ナカガイ高槻 白6番」、「ルカ・ラ・ガーム 黄色テープ」、ってのもあった。
圧倒的に、クライマーの方の訪問が多い、と感じる。

クライミングとともに、「山」「ハイキング」関連の検索も多い。
例えば、「武奈ヶ岳へのアプローチ」「金比羅山 江文峠」「竜王山」「阿武山」等である。

次に多いのが、漫画も含めた読書関連のキーワード。
読書関連キーワードは、ずばり「本のタイトル」「著者名」で検索をかけて、当ブログにたどり着いている。例えば、「天山の巫女ソニン」「RDG」「樹村みのり」とかである。
さらにバリエーションが・・・「鷺沢萠 吉田秋生」「「税金 小説」「テラン 緋文字」。マニアックな検索キーワードでは・・・「リアル 卒業式 野宮」「呪力 PK」(う~ん、マニアックだ!)

読書とともに、歴史関係のキーワードも散見する。
例えば、「茶々と於祢」「家康 茶々」「浅井 初 次女 何故 初」市 輿入れ 浅井 歳」「アンヌ王妃」「エリザベート皇后」。この関連で、マニアックなキーワードが・・・「新町 郭」「告白好きの人間は逸話が少なく、面白みもない」(これもマニアックだ!)

さて、上記ジャンルにあてはまらないキーワード、てのもある。
生きものの命 食べる」「レガシー・アドミッションの背景」「リコピン イタリア人」ビザ 申請 推薦状 例 英文」

以上、いかがでしょうか?
いろんなキーワードがあって感心する。
そんな訳で、「このブログを読んでいるのは99%クライマー」、って言葉を修正させていただくことにする。

PS
最後に書いた、「その他キーワード」では「英文履歴書」「英文推薦状」のサンプルを入手したい方がいる様子。このブログでは、具体的なサンプルを掲載していないので、がっかりされたと思う。(思わせぶりでスマン)3種類ほど、サンプルを持っているので、掲載を検討中。

【関連リンク】
読者層・閲覧者層


ニュージーランド、地震

2011年03月01日 23時01分55秒 | クライミング(海外)

当ブログでは、時事問題への言及を避けている。
でも、ニュージーランド地震は気になる。
・・・年末年始に訪問したばかりだから。
ニュージーランドには、日本人が多い。
受け容れてくれる体制と人情があるから、と思う。
実際、滞在していて居心地がいい。
(比較してナンですが、オーストラリアより印象good)

ワーキングホリデーで、長期滞在している方も多い。
現地の方と結婚して、永住している方も多い。
特に、日本人女性は人気・・・我々が宿泊した宿、2軒とも、奥さん日本人だったし。
(私が、『NZ・ツアー』と言ってるのに、ハジメちゃんが『日本人妻ツアー』と名称変えてしまった・・・勝手に変えるんじゃない!)
そんなわけで、短期の方も、長期の方も、多く滞在するニュージーランド。
特にクライストチャーチは人口が集中している。

知り合いになった方で、クライストチャーチ在住の方もいた。
これからクライストチャーチに向かう、って方もいた。
行方不明リストには見当たらないので、大丈夫なのかな、と思っている。
少なくとも、次のブログを見ていると、ケガもなく無事な様子。
(キャッスルヒルも大丈夫そう)

地震 (02/25)
大丈夫です