「感染宣言」石井光太
日本人HIV感染に関するノンフィクション。
いろいろ勉強になったし、考えさせられた。
いくつか参考になる文章を紹介する。
まず、一般的な知識となる文章から。
(このブログ横書きなので、読みやすいよう数字表記を変えている、御容赦)
P8-P9
95年までは、国内の新規感染者は毎年200人以下でしかなかった。だが、96年に200人を越えると急に増えはじめ、5年後の2001年には621人、05年には832人になった。そして、09年には1021人に膨れ上がっている。1日に3人近くのHIV感染者が見つかっている計算だ。現在の日本全国にいるHIV感染者/エイズ患者の総数は、薬害エイズ事件の被害による人を含めると、19,031人にも上る。先進国で感染者の増加率が上がっているのは日本だけだといわれている。
HIV感染症とは、俗にエイズ・ウイルスと呼ばれるHIV(ヒト免疫不全ウイルス)がが体内に入り込んで起こるものだ。このウイルスの感染力はとても弱く、普通に性行為をするだけではなかなか感染しない。だが、肛門性交など、粘膜を傷つけるような行為をすると、この傷がHIVの侵入経路となってしまい、感染率が高まることがある。
(中略)
エイズというのは、感染後主に数年から十数年経って免疫力がほとんどなくなったときに起こる状態である。(中略)この免疫力が極度に弱まった状態が、エイズ(後天性免疫不全症候群)と呼ばれている。
以上、これで語彙の理解が出来たでしょうか?
HIVとエイズの違いが解ったでしょうか?
私も昔の職場で、「よく読むように」と、全職員1人1冊ずつHIVパンフレット配られた記憶がある。(これは、本部が印刷したか、あるいは、厚生省(=現在の厚生労働省)の印刷物と思う)
・・・でも、ほとんど忘れていた。
今回、改めて、HIVとエイズの違いを認識したしだいである。
P44、感染率について書かれている。
男性・・・0.05%、コンドームをつけずに感染者とセックスしても、二千回に一度の確率。
女性・・・0.1%、こちら男性の倍、千回に一度の確率。
ただし、同性間性的接触の感染は一気に上昇する。
以下、転載。(P45)
同性愛の性行為では、タチ(挿入する側)とウケ(挿入される側)に分かれるが、リスクが大きいのがウケである。ウケは肛門にペニスを挿入され、ウイルスの混ざった精液を射精される。その際、肛門の奥にある腸がそれを吸収してしまうことがあるうえに、肛門性交によって粘膜が傷つき、そこがウイルスの侵入口となって感染率が高まるのである。このため、女性の約六倍の0.57パーセントという高感染率になる。
P63(薬害エイズの被害者の言葉)
人は、他人に心の内をすべて見せられるわけじゃない。隠しているから、うまくいくことだってある。人間関係を成り立たせるには、見せる部分と隠す部分をうまくつかいわけていかなければならないんだ。
しかし、HIV感染者になると、人はいやおうなしに丸裸にさせられてしまうことがある。
無理やり引っぺがされて、人間の本性をむき出しにさせられるんだ。そのせいで、なんとかバランスがとれていた人間関係が音を立てて崩れてしまう。
(中略)
このころになって、ようやく患者たちの間に「エイズで死ぬことはまずない」という認識が広まった。僕も「命拾いした」と胸をなで下ろすことができた。
しかし、世の中というのは皮肉なもので、国との和解が成立してエイズが死なない病気になると、それまでこの問題に熱心だった人たちは急によそよろしく遠ざかっていくようになった。潮を引くように原告団や市民団体から離れていき、連絡すら取ってくれなくなる。もう過去の人間になってしまったということなんだろうな。
ボランティアに来ていた若い女性たちも同じだった。それまでは国家の犠牲となって殺されていく薬害エイズの被害者に同情し、最後まで苦しみを分かち合いたいと言ってくれていた。中には交際や結婚を求めてきた子だっていた。だが裁判に区切りがついて、エイズが死なない病気になったとたんに、僕たちと会話することがなくなり、周りからいなくなってしまった。死に際の男には言いようのないロマンがある。だが、新しい治療法が確立したとき、僕たちは、ただの障害者年金暮らしの病弱な男に成り下がった。それに愛想をつかしたということなのだろう。
P227(HIV感染者の出産について)
当時は「やがて死んでいくHIV感染者が子供をほしがるのはエゴにすぎない」とか「母子感染があったら誰が責任を取るのか」という議論があり、基礎研究しかできなかったという。だが、2000年に新潟大学が臨床実験を受け入れ、母子感染の予防に成功。それからHIV感染者でも子供を産めるとう認識が広がったのである。現在では、医師もよほどのことがない限り、出産を勧めるようになっている。
P289
現在、HIV感染症は、医療者の間では糖尿病と同じような慢性疾患の一つとしてしかとらえられていない。適切なケアを受け入れていれば、死に至ることはないし、子どもを産むこともできるし、感染率もゼロ近くまで抑えられる。
にもかかわらず、かかわった人々の人生を大きく揺さぶるのは、HIVが性行為を通してうつるものだからだろう。性行為は人と人とを結びつけるのに大切な役割を持つ。人々はウイルスによってその人間関係を試されたり、破壊されたりする事実に震えあがり、過大な恐怖を抱く。「エイズなんだから、抱いて」と乞われても拒絶してしまう。ゆえに感染者もとり乱し、自ら破滅の道を辿ってしまうことがある。
いわば、みなHIVの幻に翻弄されているのだ。
以上、印象に残った文章を紹介した。
非常に興味深いノンフィクションで、読みやすい文章だから、よかったら手に取ってみて。
同じノンフィクションでも、先日読んだ「キャパになれなかったカメラマン」より、ずっと読みやすい。
【ネット上の紹介】
『神の棄てた裸体』『絶対貧困』で世界の奈落を追ったノンフィクション作家・石井光太が初めて手掛けた衝撃の国内ルポルタージュ! ベッドで腕枕をして「HIVなの」と囁いたとき、二人は―― 日本人初のエイズ患者報告から25年。治療法の確立によって、決して「死の病」でなくなったが、HIV感染者は静かに広がっている。世間から「忘れられた」2万人の日本人HIV感染者は、宣告後の人生を、どう生きているのか? 告知、恋愛、家族、出産――それぞれの人生に重くのしかかる「HIV」というウイルス。100人を超える感染者の現実を克明に取材した33歳の著者が出会った現実。本格書き下ろし! 「HIVに感染していたの……検査でそう言われた……お願い、あなたも調べてもらって。あなたにうつっているかもしれない」 「私は、いまだに試されているんですよ。今もエイズはどこかで生きていて、私がどう苦しむか、悩むか、嘆くかをじっと見詰めているんです」 (本文より)