昨日、長距離の単調な高速道路を運転しながら、その走っている道路をこれまでなんど通っただろうとふと思いました。同じ道を前に何度も走り、同じような景色や同じサービスステーションの明かりを何度も見ていることを思うと、長い間生きてきたなあと思いました。ふと昔、人は一生に何粒の米粒を噛むのか計算しようとしたことがあったことを思い出しました。結局計算できませんでした。大粒の雨が降ってきてワイパーを動かし始めた時、このワイパーは何回この往復運動をしてきたのだろうと思いました。この車だけでもすごい回数になるでしょうから、まわりを走っている車、世界中の車のワイバーの往復運動回数を全部足したら、とんでもない回数でしょう。こんな風に世の中のものに数字を当てはめていくと、世界は広いなあと思います。時間は早く経って行くようでも、ずっと昔から宇宙が始まってからの秒数を数えたら、きっと数えきれない数になるに違いありません。有限が無限を包含するとはこのことなのだろうと思いました。私という人間の一生は有限かも知れませんが、それを細かく区切っていくと、無限に区切れるのです。その細かな一区切りを一つ一つなぞってみると、ああ長い間生きてきたなあという感慨に繋がったというわけなのです。そう感じた昨日の夕方から今までに24時間経ちました。その間に私は、夕ご飯を子供たちと食べ、眠って夢を見、朝おきてトーストとコーヒーを飲み、子供のサッカーのゲームを見に行き、運動会に参加し、お昼のお弁当を食べ、、、と数えきれないほど多くのことをしました。不思議なことにそれはただ一日の出来事なのでした。そうした一日がずっと積み重なって四十数年という年月になったのでした。そう思うと、 することを少し減らさないと、人生の収集がつかなくなるのではないかと焦ったりしそうになるのでした。もちろん、小説や漫画ではないので、人生に収集がついたり、オチがあったりする必要はないと思うのですが、ちょっと流されていく途中で止まって振り返ってみたら、気が遠くなるような思いにかられたのでした。
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