百醜千拙草

何とかやっています

美しい自然

2007-06-04 | 音楽
行ったことはありませんが、写真や訪れた人の話を聞くとアイルランドは美しい島らしいです。アイリッシュダンスは十数年、マイケルフラットリーとジーンバトラーのリバーダンスで大人気となりました。リバーダンスのケルティック音楽の何となく日本の古い民謡を思い出させるような哀愁を帯びた素朴なメロディーには妙に心惹かれるものがあります。いまだにリバーダンスはキャストを替えて上演されていますが、本家のフラットリー、バトラーのコンビがやはり一番良いようです。皮肉なことにフラットリーもバトラーもアイルランド人ではなくアメリカ人で、私は彼らがアイルランド系かどうかも知りません。アイリッシュダンスはアメリカの女子には人気のある習い事のようです。それがアイルランド系アメリカ人のケルト文化に対する愛着に根ざしているのか、あるいは華美なダンス衣装が小さな女の子を惹きつけるのか良く知りません。しかしアイルランド系アメリカ人の祝日、セントパトリックデイに見られるように、アイルランド系アメリカ人にとってアイルランドに対する誇りや民族意識は、他の非マイノリティー民族に比べて、大変高いように感じます。
 なんでこんな話をしだしたかというと、自分のブログを開いてみて緑の色とクローバーの絵のデザインに改めて目がとまったからです。緑の色はアイルランドの象徴の色です。セントパトリックデイには、アイルランド系の人は緑のスカーフやハンカチを身に着けます。その緑はクローバー、アイルランドでのシャムロックの色なのです。シャムロックと緑色はアイルランドの象徴です(公式なシンボルではないようですが)。以前の「国家の品格」の中で著者は、天才が現れる条件として、国や故郷が美しいことを挙げ、その例としてアイルランドから生まれた数々の文学、数学の天才について触れています。天才は人口に比例して出るのではなく、ある地域に集中しているという観察は大変興味深いです。私はアイルランドに対してほとんど何の知識もありません。リバーダンスのライブビデオが撮影されたのがダブリンであることを知って、昔、大学の英語の時間に読まされた教材がジェームスジョイスの「ダブリン市民」であったことを思い出したぐらいです。アメリカで最も有名なアイルランド系の「天才?」といえば、ジョン F ケネディーでしょう。当時の政治の世界ではマイノリティーであったアイルランド系でしかもカトリックのケネディーがしかもたった3年の大統領就任期間であったにもかかわらず、現在に至るまで歴代の大統領の中で絶大な人気を集めているのは不思議です。大統領を2期務めながら、就任前からその知能レベルの低さを揶揄され、前大統領のジミーカーターにまで史上最低の大統領と言わしめたブッシュとは対照的です。
 現在の商業音楽に比べて、ケルトの音楽は他のフォークロアと同じように素朴で心に響く味わいを持っていると思います。人を容易に寄せ付けないような厳しい自然の中にある美しさというようなものを感じさせます。「国家の品格」では、天才の出る第二の条件として、「何かにひざまずく心」を挙げています。偉大な自然の前に素直に謙虚になれる心は、その厳しくも美しい自然があってこそなのだろうと思います。そう思うと現在の日本の都会は「醜い」の一言です。アスファルトで固められた地面の上に建物や電柱や看板が無秩序といって良いような無神経さで並んでいます。マウスの飼育舎と同じで、いかに少ない面積に数多くの人間を詰め込むかという、経済効率第一で発達してきたのですから無理もありません。そんなところに天才を期待するのは確かに無理があると頷けます。マウスの飼育舎で育ったマウスは、自然界では生きていくことさえ出来ないのですから。
とにかく、美しいものを愛する心は大切だと思います。若いころは汚いものにも魅力を感じますが、人間は結局生理的に美しいものに惹かれるのです。天才は美に対するバランス感覚から生まれるのではないでしょうか。死ぬまでに一度はアイルランドの美しい自然を見てみたいものだと思います。
コメント
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