前回、君が代について思うところを書いたのですが、そのあと気になってWikipediaで調べてみたら、この曲についてはずいぶん色々意外な事実があることを知りました。また、そこには君が代は1999年に正式に国歌と認定されたと記載がありました。だから君が代はやはり国歌と言っていいようです。 曲については、次のようにありました。
当初フェントンによって作曲がなされたが、あまりに洋風すぎる曲であったため普及せず、後により日本人の音感に馴染みやすい曲に置き換えようということで、明治13年(1880年)に宮内省雅樂課の奥好義のつけた旋律を雅楽奏者の林廣守が曲に起こし、それにドイツ人音楽家フランツ・エッケルトによって西洋風和声がつけられた。以来、『君が代』は国歌として慣例的に用いられてきたものである。明治36年(1903年)にドイツで行われた「世界国歌コンクール」で、『君が代』は一等を受賞した。
というわけで、私が間違っていた一番重要なことは、君が代は日本人にしかその良さがわからないかもしれないと思っていたことのようです。少なくとも明治時代の世界の人々は君が代の良さを認めていたということですね。また「天皇制賛歌」のように聞こえると思っていた理由は、どうもこの曲を軍国主義の象徴ととりわけ戦後に批判されてきたことが知らず知らずに頭にインプットされていたからのようです。この曲(歌詞)の歴史的成り立ちをみると、これは字余りありの三十二文字の和歌であり、はるか昔から天皇制や国家といった概念とは直接関係なく成立してきたものであるらしいことが分かりました。私が抱いていたネガティブなイメージはどうも反軍国主義者たちの過剰(?)反応から生じた誤解だったようです。というわけで、君が代は日本が世界に誇る国歌であるとひけ目なしに言えるようになりました。
当初フェントンによって作曲がなされたが、あまりに洋風すぎる曲であったため普及せず、後により日本人の音感に馴染みやすい曲に置き換えようということで、明治13年(1880年)に宮内省雅樂課の奥好義のつけた旋律を雅楽奏者の林廣守が曲に起こし、それにドイツ人音楽家フランツ・エッケルトによって西洋風和声がつけられた。以来、『君が代』は国歌として慣例的に用いられてきたものである。明治36年(1903年)にドイツで行われた「世界国歌コンクール」で、『君が代』は一等を受賞した。
というわけで、私が間違っていた一番重要なことは、君が代は日本人にしかその良さがわからないかもしれないと思っていたことのようです。少なくとも明治時代の世界の人々は君が代の良さを認めていたということですね。また「天皇制賛歌」のように聞こえると思っていた理由は、どうもこの曲を軍国主義の象徴ととりわけ戦後に批判されてきたことが知らず知らずに頭にインプットされていたからのようです。この曲(歌詞)の歴史的成り立ちをみると、これは字余りありの三十二文字の和歌であり、はるか昔から天皇制や国家といった概念とは直接関係なく成立してきたものであるらしいことが分かりました。私が抱いていたネガティブなイメージはどうも反軍国主義者たちの過剰(?)反応から生じた誤解だったようです。というわけで、君が代は日本が世界に誇る国歌であるとひけ目なしに言えるようになりました。