百醜千拙草

何とかやっています

スキーとエスカレータと研究

2007-06-24 | 研究
若い独身時代にスキーをしていた頃は、とにかくこぶありの急斜面を目指したものでした。リフトから山頂に降り立って雄大な景色を見るというのももちろんスキーの楽しみでしたが、いざ斜面に向かったらそこからはいかに思うとおりに滑り降りるかという挑戦に立ち向かうのです。私がスキーを始めたのは社会人になってからでしたから、スキーがうまいはずはありません。特に好きだったのは「奥志賀第三リフト沿い」と呼んでいたコースでした。当時は奥志賀のこのコースはそこそこの距離と幅がある上に、多くの人はゴンドラで山頂まで行ってしまうので比較的人が少なかったのです。当時初心者に毛が生えたような私ですからこぶの急斜面をこけずに一気降りできたことは一度もありません。それでも滑り出すときはフォールラインに真っ直ぐに向いてこぶの腹をヒールキックしながら(と頭でイメージしながら)滑りおりようとしたものでした。モーグルでは雪面とのコンタクトを出来るだけ保つことが重要視されるので、こぶで跳びながらヒールキックを連発するのは、コントロールの悪いヘタクソなわけで、そもそも跳んでいては、急斜面ではすぐ破滅してしまいます。私は「初心者に毛」だったのでこぶではどうしても跳んでしまい、そのうち跳びながらこけずに急斜面を降りるのがよいのだと勘違いしていたふしさえあります。そんな滑り方をしてこけない人はどこにもいません。というわけで、こぶの急斜面でこけなかったことはなかったのでしたが、それでもフォールラインからそれることだけはどうも無意識に拒絶していたのです。あるとき友人と一緒に滑っていたとき「どうしてこけるのに、そんなに真っ直ぐ滑ろうとするのか」と聞かれて、「えっ?」と思ったことがあります。フォールラインに真っ直ぐ向かずに滑ることは私にとってはやってはならない基本的なルール違反だと考えていたのです。そう聞かれてはじめて自分がありもしないルールに自ら縛られていたことに気がつきました。ルールというよりはこだわりだったのでした。せっかく急斜面にきているのにわざわざ斜めに滑ったのでは急斜面に来た意味がない、そのこぶの急斜面をこけずに真っ直ぐ滑り降りるのが私の挑戦だと考えていたのでした。それに実際、私はこけることが嫌いではなかったのでした。コントロールしきれなくておおきなこぶに飛ばされて雪面に叩きつけられる時、私はしばしば笑っていました。友人にはそれが変に見えたのでしょう。雪の上だから少々こけてもそうダメージはありません。あれだけこけまくっていたのに、これまでのスキーでの怪我は、ビンディングがうまく外れず右ひざを捻ったことと顔面からアイスバーンに着地してあごの下をバックリ切ったことぐらいです。その自由に失敗できるのがまたうれしかったのかも知れません。スキーをしなくなって十数年、仮に今度してもこぶの急斜面にはいかないだろうし、そこでこけたいとも思わないでしょう。
 昔、スキーの楽しみは自己実現の楽しみだと語ってくれた知り合いの先生がいました。少しずつ上達して、できないことができるようになっていく、その満足感がスキーの楽しみの大きな部分だと言うのでした。それ以外にも自然の中でゆったりと自由を味わうというのもあるだろうし、さまざまなレベルの楽しみがあると思います。 最近いろいろなレベルの研究者の人と話をする機会があって、研究もスキーも似たところがあるなあと思ったのが、これを書き出したきっかけでした。研究はもちろん挑戦な訳ですが、私のようにほとんどこけるのがわかっていながらこぶの急斜面を真っ直ぐ滑ろうとする初心者は余り多くありません。いかにゴールにうまく到達できるかという点が研究計画を「売る」ための重要なポイントですから、私のようにこける可能性が高いと「売れない」のです。しかし、失敗しない研究はないし、批判されない論文や研究計画はないわけで、研究者はそれらの大小さまざまな失敗にめげずに挑戦しつづけることでしかゴールに到達できないというのは事実です。この研究者の生活を「下りのエスカレーターを昇る」と形容した人の言葉を最近知りました。まさにその通りで、逆境にめげず昇り続けないと終点に着けないどころか、振り出しに戻ってしまうのです。私のように一気に終点を目指して駆け上がろうとしてこける人もいれば、下りのスピードとほとんど変わらないスピードでしか昇らないのでいつまで経っても終着点につかない人、終着点を目前にして立ち止まってしまい振り出しに押し戻される人、力強く着実に上っていく人、さまざまです。最近は研究者の供給過多や研究資金の制限などから、下りのエスカレータはより早い速度で動いています。皆が昔以上のスピードで昇ることを要求されるようになりました。終着点も一過性のゴールにしか過ぎません。そこを通過するとたいていより早い別のエスカレーターを昇ることになるのです。こうなってくると、終点につくことよりもエスカレーターを昇ることそのものに喜びを見出せないとやってられません。昨日よりも今日、今日より明日と少しでも早く着実にエスカレーターを昇ることができるように精進する、それを挑戦だと考えて、自己実現の一部と捉えれるようにならないと、最近の研究者生活は辛いですね。
コメント
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