この間、どうして自分の人生は苦しいことが多いのかと周囲の人の生活を見ながら思っていました。私の周囲には、週に5日働いて、週末は家族と楽しんで、年に1-2回は長期の休みをとってゆったりし、それなりの家に住んで、仕事以外の趣味も持っている、そんな人が沢山います。私と言えば、仕事以外の趣味に費やす時間も、週末に家族で楽しむ時間も余りないし、経済的にも苦しいし、将来というか、二年後でさえ、この仕事をずっと続けていける保証は全く無いという状況で、自分は良いとしても家族に対しては気の毒に感じます。それでも、研究者の標準からすると、中流なのだと思います。しかし、社会に出て給料を貰うようになってからの自分のやってきたことを考えると、私はこれまで、殆ど「誰かのために」働いた事がないということに気づきました。社会の経済活動の基本は、誰か、つまり雇い主とか、お客さんとかにサービスを提供し、そのかわりに金銭を受け取る交換だと思います。英語ではそうして得る金銭をcompensationと言いますから、多くの場合、給料は自分の時間なり労働を「誰かのために」犠牲にすることに対する埋め合わせであると考えられていると思います。しかるに、研究者は、企業なり誰かに使われている場合は除いて、基本的には、特定の「誰かのために」働いているわけではなく、強いて言えば、「科学の発展とひょっとしたらそれで将来得する誰か」という不特定のいるかどうかわからない相手のため、そして自分自身のために働いていると言ってよいのではと思います。そういう観点からすると、自分が受け取っている金銭がcompensationと言われると違和感を感じるのも不思議ではありません。大学教官であれば、学生を教育することに対するcompensationが支払われるのは当然だと思いますし、医者兼研究者であれば、患者さんを診療するという行為に対してcompensationがあって然るべきです。しかし私は大学教官とは言え、教育義務はほとんどゼロですし、診療行為もしていませんから、現在私が受け取っている金銭を、compensationという概念からはとても正当化できないのです。振り返ってみれば、研修医時代は、診療行為に対する報酬を受け取ってはいましたが、やはり自分が医師としての技術を身につけていくトレーニング期間であったので、「患者さんのために」というよりはやはり自分のために働いていました。大学院時代の病院のアルバイトは、病院の業務を補助するという面も確かにありましたが、それは授業料と生活費を供給してくれたもので、ここでも誰かのために働いたという気持ちはありません。研究者となってからはますます「誰かのために」働くという意識が無くなりました。指導者のプロジェクトで給料をもらって働く場合は、もちろんその人のために働いているわけですが、論文になった場合のクレジットは山分けするわけですし、自分のプロジェクトで働いている場合は、自分以外の誰のためにも働いているという気持ちは持てません。それでも、何らかの面白い発見をして、コミュニティーの人の役に立てばよいとは考えてはいますが、別段その人たちから頼まれて、研究しているわけではありませんし、自分が面白いと思っていることをやっているだけです。もちろん、税金が給料のソースですから、研究者が研究を通じて社会に貢献してくれることを納税者やその研究資金を配分する政府基金は期待しているわけですが、役に立つ研究をしろと言われてそんなものができるぐらいなら苦労はないわけで、結局は、いろいろ考えていろんなことをいろいろやってみるなかからごく稀に実際に役立つものが産まれてくることもあるというのが実際です。ですから、研究者の中でおそらく社会や納税者にサービスしているという意識を持ってやっている人は極めて少ないと思います。(殆どの研究者が役に立つ研究をしたいとは考えていると思います。そんな中で、実際に、自分の日々の仕事が社会の役に立っていて、納税者にサービスしているのだと思える研究者は極めて少数であろうと思います。本気でそう思っているのなら勘違いしているのだろうと私は思います。)以前にも言ったかもしれませんが、とある有名科学者の言の如く、「研究も性行為も通常は欲求により追求され、結果を常に期待するものではないが、ときたま良いものが産まれることがある」、研究とはそのような性質のものだと思います。そう考えると、研究者は、画家とか音楽家とか小説家と似ています。彼らも好きなことを一生懸命することで、良い作品を生み、人々に楽しみを与えて、社会に貢献しているのです。彼らの多くが不安定な生活と引き換えにその活動を維持しているのを考えると、研究者も同じ様であっても不思議はないです。新発見をするためにいろいろ工夫して努力するのは、ピアニストが毎日何時間も練習するのと同じではないかと思います。論文は芸術作品みたいなものだと私は常々考えています。(いずれにおいても良いものは人に感動を与えますし、また盗作したり、でっちあげたりするのが、いずれにおいても最も悪い事です)
と、芸術家を気取ってみても、喰っていくのが先決ですから、この調子でどこまでいけるのか不安にかられない日はありません。周りの普通に会社で働いている人々を見ていると、自分がまともでない人のように思えてくることもあります。でもきっと私の性格では会社勤めすると、鬱になってしまいそうですから、これで良かったのかも知れません。与えられた機会の中で最善を尽くすのみと割り切って毎日なんとかやってます。
と、芸術家を気取ってみても、喰っていくのが先決ですから、この調子でどこまでいけるのか不安にかられない日はありません。周りの普通に会社で働いている人々を見ていると、自分がまともでない人のように思えてくることもあります。でもきっと私の性格では会社勤めすると、鬱になってしまいそうですから、これで良かったのかも知れません。与えられた機会の中で最善を尽くすのみと割り切って毎日なんとかやってます。