ヒトの線維芽細胞に4つの遺伝子を導入して、ES細胞様に変化させることに成功したというニュースがアメリカの全国ネットのトップストーリーで紹介されました。もちろん、これは昨年、京大の山中グループがマウスで初めて体細胞からES様細胞(iPS)を直接作製することに成功したという報告の続編です。この衝撃のマウスiPS細胞の報告は、複数のステムセル研究でのトップラボが追試を行って確認されました。人々の期待はこれがヒトでも可能となり、将来のステムセルを使った再生医療への大きなブレークスルーになるのではないか、という点にありました。ヒトのステムセルを用いた研究が困難な日本と別にアメリカにも研究室を構えた山中グループもヒトiPSの作成を目指していましたし、当然のことながらヒトES細胞の研究で世界トップを走るウィスコンシン大学が、このiPS細胞を指を加えて見ているわけがありません。今回のヒトiPS細胞作成は、この山中グループとウィスコンシン大学のニグループが成功させたのですが、アメリカのニュースでは当然ながら「ウィスコンシン大学が成功した」ことに重点がおかれていて、山中グループは、日本のグループも成功したと触れたにとどまりました。山中グループがiPSの本家なのだから、もうちょっとクレジットあげてもいいのになあ、と心の中で思いました。ナショナルニュースのヘッドラインになったのは、もちろん主に一般人が期待している、ステムセルによる再生医療への実現が現実性を帯びてきたからです。iPSが実用化されると、ヒトの胎児を犠牲にして確立しなければならないESに比べて、倫理的問題や移植に関しておこるであろう拒絶の問題などの困難な問題が一気に解決する可能性があります。しかし、冷静に臨床応用がどれほど現実的か考えてみると、私は現時点では難しいのではないかと思わざるを得ません。技術的にそうしたiPS細胞を再分化させて、目的の細胞に変化させることも、これまでのESでの研究を見ていても現時点では容易ではないでしょう。レンチウイルスでゲノムに組み込まれてしまったこれら4つの遺伝子を何らかの方法で不活性化しないと、うまく分化しないかもしれません。そして、仮にそれがクリアできた場合でも、臨床応用にあたっての最大の懸念は「癌化」の可能性ではないかと思います。このことはヒトES研究者が(自分の研究を守るために?) iPSを攻撃するときに必ず口にすることです。実際、山中グループでは、癌遺伝子のmycを使っていますし、そうしてできたマウスiPSでキメラを作ると癌ができてきます。ウィスコンシン大学はmycを使っていませんから、ひょっとしたら癌化の問題は使う遺伝子群をうまくかえてやることで、クリアできるかもしれません。しかし、ESやiPSが持つ増殖能がステムセルであるための必須な機能なのであれば、増殖の問題、即ち癌化の問題は解決できないかもしれません。考えてみれば、生殖可能になるまで20年近くの年月が必要なヒトでは、癌は免疫についで最大の問題と言ってよいと思います。子孫を残し育て終えるまではそう簡単に癌で死ぬわけにはいきません。細胞レベルでの癌抑制のメカニズムを見てみると、ヒトやマウスの細胞は、相当な犠牲を払って、癌化抑制を行っています。私は個人的には、癌と老化とステムセルというのは、殆ど同じものを違った角度から見ているのだと考えています。細胞レベルでの老化というのは、癌化抑制のメカニズムに他なりません。そして個体レベルでの老化や癌というものは、ステムセルの老化そして癌化であると単純化することがおそらく可能であろうと思っています。癌化には、二つの重要な癌抑制系、Rb経路とp53経路の双方が抑制されることが必要であると考えられています。P53の抑制は多くの場合はp53遺伝子そのもののgeneticまたはepigeneticな変異によることになりますが、Rb経路に関しては、その上流の制御因子の異常でもRbの機能は影響を受けますから、ランダムに体細胞ゲノムに変異がおこるとすれば、Rb経路が障害される可能性はそれなりに高いと思われます。Rb経路は細胞が増殖し始める前の安全確認のための機構であり、p53は異常な増殖を止めるためのいわば非常ブレーキですから、単純にいえばいずれも細胞増殖を抑える機構です。そしてこうした癌抑制遺伝子の機能欠失をステムセルに導入してやると、ステムセルは明らかに正常のステムセルよりも、ハイパフォーマンスを示します。また個体レベルでも、例えばp53欠損の骨は骨の密度も骨形成も正常コントロールよりも良いです。これは、結局、細胞レベルでの「老化」、すなわち代謝活性を保持はしているが細胞増殖が永久に停止した状態、というものは、細胞障害性刺激(主にミトコンドリアでのエネルギー代謝の副産物としてできる活性酸素)がDNAや蛋白を傷害した時に、癌抑制系である主にP53系そしてRb系が活性化されて、癌化を防ごうとすることによっておこってくる、いわば「副作用」であるという考えを支持します。老化の細胞マーカーとして使われるINK4a/p16は加齢により発現が増えますが、これはRb系の癌抑制遺伝子です。p16ノックアウトマウスは複数の臓器で再生能力というか、老化による機能低下が抑えられるのですが、生後1年ぐらいから癌でバタバタと死んでいきます。つまり普通のマウスが老化で死んでいくころには、p16マウスは皆、癌で死に絶えているということなのです。このことからも、ステムセルの老化を抑制し再生能を高めるということは、癌化抑制という観点からはマイナスであると考えられます。自然は、「癌で死ぬよりは体の種々の臓器の機能が加齢で衰えていくほうがまし」という選択をしているというように思われます。さて、話をもとにもどして、iPSですが、こういう理由で、癌化の問題は、臨床応用に向けてのおそらく最大の障害であって、私の直感ではそれを乗り越えるのは易しくないと思われるのです。ある種の妥協は可能かもしれません。例えば、癌化した場合にいつでもiPS由来の細胞を殺せるように、薬剤誘導性の自殺遺伝子、例えばthymidine kinaseなど、を入れておくとかの安全対策を講じることで、限られた目的には使えるかもしれません。
基礎研究の立場からは、ヒトiPSよりは最初のマウスiPSのほうがはるかにインパクトが高いと思います。もちろんヒトESはマウスESとは培養条件や性質が随分違いますし、ヒトiPSとマウスiPSでもいろいろ異なるでしょうから、マウスをそのままヒトに移したら自動的にできたというものではないでしょう。私はマウスiPSの論文には非常に感心しました。なぜなら、これは従来の細胞分化という現象に関して皆が持っていたパラダイムを大幅に変換したからです。ターミナルに分化した細胞にたかだか4つの遺伝子を導入するだけで、低効率ながらも未分化な状態へ戻すことができるという発見は、分化に関しておこってくると思われる主にエピジェネティックな変化というものが、転写因子の導入だけで「消去」または「上書き」可能であるという驚くべき細胞の可塑性を示唆しています。(ただし、低効率ですから、あるいは極少数、体細胞に交じっている本来脱分化可能な、または未分化状態を維持しているような特殊な細胞だけに効いているという可能性も否定できないのではとは思います)とはいえ、この発見が今後の細胞分化研究に及ぼしていく影響は非常に大きいと思うのです。この観点からもステムセル研究におけるマウスiPSの報告はドリーのクローニングと並ぶ10年に一つの大発見であろうと思います。更に、今後、もしこのヒトiPSが安全に臨床応用された場合には(上に述べたように、ちょっとこれは難しいのではと現時点では私は思っているのですが)、ノーベル賞は間違いないでしょう。
基礎研究の立場からは、ヒトiPSよりは最初のマウスiPSのほうがはるかにインパクトが高いと思います。もちろんヒトESはマウスESとは培養条件や性質が随分違いますし、ヒトiPSとマウスiPSでもいろいろ異なるでしょうから、マウスをそのままヒトに移したら自動的にできたというものではないでしょう。私はマウスiPSの論文には非常に感心しました。なぜなら、これは従来の細胞分化という現象に関して皆が持っていたパラダイムを大幅に変換したからです。ターミナルに分化した細胞にたかだか4つの遺伝子を導入するだけで、低効率ながらも未分化な状態へ戻すことができるという発見は、分化に関しておこってくると思われる主にエピジェネティックな変化というものが、転写因子の導入だけで「消去」または「上書き」可能であるという驚くべき細胞の可塑性を示唆しています。(ただし、低効率ですから、あるいは極少数、体細胞に交じっている本来脱分化可能な、または未分化状態を維持しているような特殊な細胞だけに効いているという可能性も否定できないのではとは思います)とはいえ、この発見が今後の細胞分化研究に及ぼしていく影響は非常に大きいと思うのです。この観点からもステムセル研究におけるマウスiPSの報告はドリーのクローニングと並ぶ10年に一つの大発見であろうと思います。更に、今後、もしこのヒトiPSが安全に臨床応用された場合には(上に述べたように、ちょっとこれは難しいのではと現時点では私は思っているのですが)、ノーベル賞は間違いないでしょう。