百醜千拙草

何とかやっています

仕切り直し

2007-11-20 | Weblog
久しぶりに日曜日は仕事のことを考えずに過ごしました。仕事が好調の時は、週末も働きたいと思うのですが、先週末にここ2ヶ月ばかりやっていたウイルス実験がどうも根本的な誤りがあって動いていないということが判明し、すっかりめげてしまいました。「まさか、そんなことは起こるわけがない」というような所でいつもやられてしまうのが、私の弱点なのです。ウイルスをいじり出したのは、マウスだと締め切りに間に合わないからという必然性のない理由で、これまで組み替えウイルスを作ったことも無く、in vitroでの実験も余り得意ではなかったのに、つい手を出してしまったのでした。アデノとレトロの組み換えウイルスを作るところまではそれほど苦労はなかったのですが、肝心の遺伝子(今回は蛋白ではなく、microRNAを発現させようとしていました)が、感染後もどういうわけか目的のものが期待したレベル程発現しないということがはっきりしたのでした。コンストラクトから組みなおしとなりそうで、ちょっとがっくりしています。コンストラクトのレベルで明らかな誤りはないようなので、それが発現しないなどとは「まさかおこるまい」と思っていたのが甘かったのでした。それに加えて、感染そのものや感染時に使う薬剤などによる非特異的な反応にさんざん悩まされていて、そこに注意が向いてしまっていて、足元をすくわれた感があります。研究は一人でやっていると、どうしても穴がでてきます。なかなか客観的に実験を見直して、正しい判断を適切に行っていくことが難しいと思います。そのために遠回りしてしまうのですね。最近はそうした穴を少なくするため、multiple choice の判断に迷った時は、できる限り全部やる方針にしています。以前は、判断に迷った時は、無理に判断しないでリストにして目のつくところに張っておくことにしていました。これを私は「エポケーリスト」と呼んでいて、これは良いアイデアだと思っていたのですが、放っておくとどんどんエポケーが増えていって、結局、目の付く所に張っておきながら、意識下では、その存在を全く無視してしまうということがおこることに気がつきました。そしてそのリストを意識的に眺めてみると、結局、判断を保留したものは、いつまでたっても保留状態のままで何一つ解決しておらず、そのリストから消せるものは、自分の興味が失せたものだけであることがわかり、これを実践するのは止めました。「判断は誤っていてもしないよりはした方がよい」というのが、いつでも誤りは正すことができる研究で私が学んだ教訓です。
というわけで、日曜日は仕切りなおしのために意図的に休むことにしました。ちょうど子供のサッカートーナメントがありました。普段はタウンリーグでプレーしているのですが、最近インタータウンに移ったコーチの厚意で特別に今回のトーナメントメンバーに入れてもらい、幸運にも2ゴールを決めて、本人は鼻高々、見ていた私たちに、自慢できてうれしかったようです。寒かったですが、楽しくすごせてよかったです。また今週から頭の痛い実験のトラブルシュートに戻ります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする