百醜千拙草

何とかやっています

エゴの問題

2007-12-07 | Weblog
ネブラスカ州オマハのショッピングモールで19歳の男性が銃を乱射し、8人が殺されたという先日のニュースを聞いて、今年のヴァージニアテックでの同様の事件やコロンバイン事件を思い出しました。いずれも犯人の追いつめられた精神状態が原因となっているようです。アメリカ中西部のネブラスカと聞いて、何か特別なものを思い浮かべることができる人は少ないと思います。オマハは、「オマハの託宣」のアメリカ第二位の金持ち、ウォレンバフェットが住んでいる所で、バークシャーハサウェイの株主集会が行われますから、ハサウェイの株主なら毎年オマハに詣でて、バフェットの託宣を聞くことを楽しみにしている人は多いと思います。一般人にとっては、バフェットが住んでいる場所としてオマハは有名かもしれませんが、ではオマハは何州にあるかといわれてもわからないアメリカ人は少なくないと思います。多分、ネブラスカというのは、一般的にはその程度の認識だと思います。そのような田舎の州のおそらく大変保守的な社会環境というのは、この19歳の傷つきやすい年頃の男性にも良くなかったのではないかと思います。ニュースは、犯人を典型的な「負け犬」として描き出そうとしているように見えます。実家を追い出され、マクドナルドの店員をクビになって、ガールフレンドに捨てられた男。19歳だったら、これで自分への自信を失ってしまわない方がおかしいです。しかし、小さな子供の目の前で、何の関係もない母親を撃ち殺した犯人の行為に怒りを覚えないものはいないし、いくら犯人が精神的に追いつめられていたからといって、その行為が正当化されることはありません。この犯人の行為が、直接の被害者やその家族はもちろん、大勢の現場に居合わせた人々、その関係者などに与えた深く暗い影響は、大変大きいものであろうと想像します。ヴァージニアテックでの事件もそうですが、犯人は犯行に際してのメッセージを残しています。ヴァージニアテックの犯人は、自分自身を録画したビデオテープを残していますし、今回の犯人は「(今回の無差別殺人で)自分は有名になる」と書き残しています。つまり、他人の命や自らの命を犠牲にしてでも、自分の存在が誰かから認められることの方がはるかに重要であったということなのだと思います。この破滅的なエゴ充足欲は理解できないではありません。エゴの充足は人間の生存理由の筆頭項目でしょうから。これらの犯人は通常の生活から自尊心を確立することができなかったのでしょう。今回の犯人が、かつてのコロンバイン事件やつい何ヶ月か前のヴァージニアテックの事件を知らないはずはないと思います。犯人はモールで銃を乱射すればどういう結末になるか、全て正確に知っていた上で、犯行を行った筈です。大きな全国ニュースになることも、無関係の人を殺すということも、自分が死なねばならないことも、全部知っていて、それでも自分のエゴを一瞬でも満たす事を選択したということなのだと思います。ある意味、冷静な計画性に基づいた犯行なのですから、テロリストの自殺爆弾と同じです。ヴァージニアテックの乱射事件のときにも感じたのですが、こういう事件は防ぎようがないと思うのです。犯人は全てわかっていて計画性を持ってやっているのですから、犯人の精神状態をなんとか安定させる以外の予防策はない思います。アメリカの個人主義的社会は、個人と社会との繋がりが希薄であって(最近の日本もそうですが)ちょっとした事で、個人は容易に孤立してしまいます。苦しい時に、自分以外に個人をサポートできるのは家族とか友人とかの特別な人しかいません。個人がそうしたサポートを持っているかどうかを制度としての社会が包括的に確認する方法はありませんし、従来それは小さなコミュニティーのレベルで日常のコミュニケーションを通じてやっていたことでした。おそらく、現在社会システムができる精一杯のことは、せいぜい、武器へのアクセスを難しくするとか、警備体制を整えるとかの表面的なことぐらいでしょう。それでは事件の規模を多少小さくはできても、根本的解決には繋がらないと思います。根本的解決法は「ない」といってよいのですから、悲しいことに、今後もこうした事件は引き続いておこってくるのでしょう。
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