Rachel Carsonの「沈黙の春」について、以前少し触れたことがありますが、この本は私が生まれる前に出版され、ベストセラーとなって世界22カ国語に翻訳された、合成化学薬品による環境破壊の告発書です。私は中学生の頃に日本語訳を読んだのですが、子供心に大きな恐怖を感じたことをよく覚えています。前の週末に図書館に立ち寄った際、Rachel Carsonを特集したテレビ番組の記録がDVD化されているのに気がつき、借りて見てみたのでした。ボストンの教育系テレビ局PBSのAmerican experienceというシリーズの中で1993年に放映されたもので、メリルストリープがナレーションを担当しています。第二次世界大戦中、多数の兵士がチフスなどの感染症により死亡し、その対策として病原菌を媒介するシラミなどの昆虫駆除のため、合成化学薬品であるDDTなどが開発され、除虫に著効をあげました。まもなくDDTは一般市民の生活や農業にも使用されるようになり、アメリカ国家を上げて大量の合成除虫薬が散布されました。当時、DDTが除虫に有効であるのは分かっていましたが、なぜ有効であるのか、環境にどんな影響があるのかなどについては、ほとんど何も分かっていないまま、この化学薬品が大量にばら撒かれたのでした。エコロジストのCarsonが、DDTの空中散布の後に野生鳥の生息地で大量の鳥類が変死しているのを見つけ、丹念な調査の後、合成化学薬品が原因であると確信するに至り、本を書く決心をします。Carsonはそれ以前の2-3の著作で自然の作家としての地位を得ていたのでしたが、出版にはさまざまな妨害が入り、ちょうどCarson自身も乳がんをはじめとする病との闘病中であったため、ずいぶんの苦労があったようです。最終的に本は出版され、2週間で大ベストセラーとなりました。化学者や薬品業界は大挙してCarsonの本や説を弾圧にかかりましたが、一般アメリカ人を巻き込んでの運動が、当時のケネディー政府を動かし合成化学薬品の使用制限を勝ち取ることになりました。Carsonはエコロジストであるというだけでなく、筆一本で社会を動かした女性という社会的アイコンとなり、スヌーピーの漫画にもルーシーの理想の女性として現れています。残念ながらCarsonは「沈黙の春」の出版の2年後に亡くなってしまいました。ですから私が本を読んだのは、出版後20年近くたってからで、農薬などの化学薬品の恐怖が社会から薄らいできたころであったのだろうと思います。私も農薬の恐ろしさなど知らないころでしたので、なおさらこの本を読んで恐怖を覚えたのだろうと思います。
それでは、現在、50年前と比べて、化学薬品やその他のものによる人間の環境破壊は減少してきているでしょうか。私はそうは思えません。はっきりと目に見えるような破壊は確かに少なくなってきているかもしれません。野生の生物が大量に死んだとか、昔クリーブランドであったみたいに、可燃性の化学薬品を川に垂れ流し続けた結果、川が火事になったとか、そういう派手な話は聞かなくなりました。しかし現実に毎日毎日、数種という生物種が絶滅していっている状況は、刻々と「沈黙の春」の到来に向けて進んでいっているようです。生理活性を持つ合成化学品の開発、応用は製薬業界ではますます盛んです。それらの薬品の環境に対する長期にわたる影響は誰も知りません。 「自然は人間のために利用するもの」という態度が、環境破壊を生んできたのは間違いないと思います。しかし、ここで指している「人間」とは人類一般ではなく、限られた人々、自然破壊に繋がる産業で潤う人々とそれを享受する人々に限られており、その他の人にとってそうした産業活動は全くの悪影響しかありません。外部不経済の典型的な例でしょう。人間の起こしてきた地球温暖化や環境汚染で、多くの生物種が日々絶滅していくなか、いずれそれは人間に返ってくるものだろうと思います。ですから、理屈上、人間がまずすべきことは、自らの愚かさを反省してその行動を改めることであって、自分たちの欲が引き起こしてきた問題を解決するために、さらに問題を引き起こす様な小手先の手段を弄することではないと思います。
合成化学薬品の無謀な大量使用は、自然を愛する一人のエコロジストの地道な小さな活動がきっかけで止めることができました。近年では、アルゴアらの活躍や科学雑誌を通じた環境問題や温暖化の啓蒙活動は、少しずつ人々の意識を変えつつあるように思いますが、環境破壊が抑えられて環境が改善する方向に向かうまでには、まだまだ長い年月が必要だろうと思います。クリスマスシーズンで、ツリーのための生木が大量に売り買いされているのを目にしますが、こうして使い捨てられる木が大量のゴミになって燃やされることも問題視されてきています。おそらく、生木を売り買いする人に環境破壊の意識は殆どなく、昔からやっていることを続けているだけだと思っていると思います。残念ながら、地球環境の急激な変化は、人々の意識が自然と変化していくのを待ってくれません。人間がプロアクティブに自らの意識を変えなければならないように思います。それには即効薬はありません。地球の住人の一人一人が、環境破壊への危機感と環境の改善のためへの意識を持つように、地道な努力をすることしか解決策はありません。小さな個人の力でも時にはとても大きな成果をあげることができるのだと、Carsonの話は教えてくれているのだと思います。
それでは、現在、50年前と比べて、化学薬品やその他のものによる人間の環境破壊は減少してきているでしょうか。私はそうは思えません。はっきりと目に見えるような破壊は確かに少なくなってきているかもしれません。野生の生物が大量に死んだとか、昔クリーブランドであったみたいに、可燃性の化学薬品を川に垂れ流し続けた結果、川が火事になったとか、そういう派手な話は聞かなくなりました。しかし現実に毎日毎日、数種という生物種が絶滅していっている状況は、刻々と「沈黙の春」の到来に向けて進んでいっているようです。生理活性を持つ合成化学品の開発、応用は製薬業界ではますます盛んです。それらの薬品の環境に対する長期にわたる影響は誰も知りません。 「自然は人間のために利用するもの」という態度が、環境破壊を生んできたのは間違いないと思います。しかし、ここで指している「人間」とは人類一般ではなく、限られた人々、自然破壊に繋がる産業で潤う人々とそれを享受する人々に限られており、その他の人にとってそうした産業活動は全くの悪影響しかありません。外部不経済の典型的な例でしょう。人間の起こしてきた地球温暖化や環境汚染で、多くの生物種が日々絶滅していくなか、いずれそれは人間に返ってくるものだろうと思います。ですから、理屈上、人間がまずすべきことは、自らの愚かさを反省してその行動を改めることであって、自分たちの欲が引き起こしてきた問題を解決するために、さらに問題を引き起こす様な小手先の手段を弄することではないと思います。
合成化学薬品の無謀な大量使用は、自然を愛する一人のエコロジストの地道な小さな活動がきっかけで止めることができました。近年では、アルゴアらの活躍や科学雑誌を通じた環境問題や温暖化の啓蒙活動は、少しずつ人々の意識を変えつつあるように思いますが、環境破壊が抑えられて環境が改善する方向に向かうまでには、まだまだ長い年月が必要だろうと思います。クリスマスシーズンで、ツリーのための生木が大量に売り買いされているのを目にしますが、こうして使い捨てられる木が大量のゴミになって燃やされることも問題視されてきています。おそらく、生木を売り買いする人に環境破壊の意識は殆どなく、昔からやっていることを続けているだけだと思っていると思います。残念ながら、地球環境の急激な変化は、人々の意識が自然と変化していくのを待ってくれません。人間がプロアクティブに自らの意識を変えなければならないように思います。それには即効薬はありません。地球の住人の一人一人が、環境破壊への危機感と環境の改善のためへの意識を持つように、地道な努力をすることしか解決策はありません。小さな個人の力でも時にはとても大きな成果をあげることができるのだと、Carsonの話は教えてくれているのだと思います。