数年前、ヒトゲノムプロジェクトで、とりあえずヒトのゲノムDNAの全配列が解読されたわけですが、そのDNAの提供者の中には、ジムワトソンとクレイグベンターがいました。ヒトゲノムプロジェクトはパブリックセクターはNIHのフランシスコリンズが指揮し、ゲノム情報は随時公開するというポリシーでやっていましたが、プライベートセクターでは、シークエンス男、クレイグベンターが遺伝子情報を売るビジネスとしてセレラを立ち上げ、両者しのぎを削る戦いとなりました。学者然としたコリンズとあくの強いベンターという対照的な両者でしたが、この二人を見ていると最澄と空海を思い浮かべてしまいます。しかし、ベンターがNIHを飛び出してから、セレラを始めとして数々のシークエンスプロジェクトを成功させていった旺盛な活力には目を見張るものがあります。彼の一見突拍子もないようなアイデアは、レトロスペクティブには、やはり時代を先取りしたものでした。例えば、数年前、サルガッソー海でヨットに載っている写真とともに、彼の新プロジェクトが、サルガッソー海に漂っている数々の微生物由来のDNAを大量シークエンスするというものであると紹介されたとき、正直、私はそんなことやって何の意味があるのか理解できませんでした。普通の感覚だと、いろんな生物種に由来するごったまぜのDNAの断片を片っ端からシークエンスしても解釈に困るであろう、サンプルはできるだけ純粋にしておく必要があるのではないかと思うところです。普通の生化学の研究室での常識とは全く逆です。ところが、この大量シークエンスデータをもとに、彼らは海の生態がどれほど多様であるか、何種類の生物種がいると見込まれるか、といったいわば外向きの問題を解決していったのでした。この発想の転換にはうなりました。ヒトゲノムプロジェクトでは5人という限られた供与者からのDNAをショットガンシークエンスで断片を読んでは繋ぎ合わせるという作業によって、全配列を決めていったわけで、ここでもし大勢のバリエーションのあるサンプルを使ってしまっては、シークエンスのアライメントで狂いが生じてしまいます。限られた比較的ピュアなサンプルであるからこそ、このシークエンスプロジェクトは成功したのです。サルガッソー海のプロジェクトでは、これとは全く逆の発想でした。一つの生物種を狭く深く知るためのシークエンスではなく、むしろ未知の生物も含む多数の生物を広く浅く知るためのシークエンスだったのです。このアイデアは医科学にも応用されはじめているようです。例えば口腔内の常在細菌の種類は非常に多いようですが、どういう細菌がどういう割合でいるのかということについて殆ど分かっていないらしいです。口から出してしまうと細菌がうまく増えないので、培養して調べるという方法が使いにくいらしいです。ベンターの大量シークエンスのアイデアを使って、口腔内のDNAを片っ端からシークエンスすることで、そういう口腔内細菌の種類や多様性の情報が得られる可能性があります。これは口腔内の数々の歯科疾患の原因の解明と治療法の開発に重要な情報となると考えられます。
ところで、最近、そのベンターの遺伝子がさらに相同染色体別にシークエンスされて、某有名雑誌に載りました。彼の非常にプライベートな遺伝情報の多くが一般公開されたことになります。それで、ベンターのDNA配列を見て、MAOA遺伝子のポリモルフィズムがあることを発見した人がいて、そのポリモルフィズムが「反社会的行動」と関係があると指摘したのでした。ベンターの履歴とつきあわせてみると、ゴシップネタとしては面白い話です。それに対し、また別人がその解釈は逆ではないかと反論しています。この反論では、ベンターのような成功者なら、多少遺伝子配列から「反社会的傾向がある」と誤って公に口にしても、問題は少ないかも知れないが、公開されている個人情報をもとに、誤った解釈を広めた場合に大きな問題になる可能性があると警告しています。いずれにせよ、ベンターという有名人のゲノム配列をもとにした、本来芸能ニュースになるべきレベルの討論が科学誌でなされているということです。(実際のところ、有名科学雑誌のフロントページの半分以上はゴシップといってよいようなネタですが)もしこのDNA配列が無名または匿名の人であれば、何の議論も起こらなかったでしょう。ベンターのDNAである故にこうしたゴシップめいた議論に花が咲くのです。その記事は私もにやにやして読み飛ばしたのでしたが、そのあとすぐ、イギリスの新聞がジムワトソンのゲノム解析の話を報告していたことを知って、いよいよ可笑しくなってしまいまいた。やはり、有名人の欠点を見つけてやろうと思うのは人の性なのでしょうか。少し前、触れたように、ノーベル賞科学者ジムワトソンは、「アフリカ黒人の知能は遺伝的に悪い」という失言がもとになって、科学者引退に追い込まれてしまったのですが、そのイギリスの新聞によると、ワトソンの公開されているDNA情報を解析したところ、通常ヨーロッパ系白人には1%未満しか見られないアフリカ黒人由来の配列が16%も認められたということで、ワトソンの祖父母がアフリカ系黒人である可能性が高いと結論しているそうです。またアジア人由来の配列も通常より多いらしく、ワトソンはアフリカ系黒人、白人、アジア人の混血である可能性があるということでした。人種が交じり合っている北米や南米では、先祖が黒人だろうと何人だろうと、大した問題ではないと思いますが、黒人蔑視的発言を繰り返していたワトソン自身の何割かが、その黒人由来だとすると皮肉です。いったい、ワトソンは、このニュースをどう聞いたのでしょうか。遺伝学者なら、「人類の共通の祖先はアフリカに始まり、現在の様々な人種に別れた」という説をおそらく支持しているであろうと思うのですが。同じ根から生まれても同じ枝では死ねないということでしょうか。遺伝学者ワトソンも自分の遺伝子情報を他人があれこれ探り回ってゴシップネタにされるというのは気分のよいものではないでしょうね。
ところで、最近、そのベンターの遺伝子がさらに相同染色体別にシークエンスされて、某有名雑誌に載りました。彼の非常にプライベートな遺伝情報の多くが一般公開されたことになります。それで、ベンターのDNA配列を見て、MAOA遺伝子のポリモルフィズムがあることを発見した人がいて、そのポリモルフィズムが「反社会的行動」と関係があると指摘したのでした。ベンターの履歴とつきあわせてみると、ゴシップネタとしては面白い話です。それに対し、また別人がその解釈は逆ではないかと反論しています。この反論では、ベンターのような成功者なら、多少遺伝子配列から「反社会的傾向がある」と誤って公に口にしても、問題は少ないかも知れないが、公開されている個人情報をもとに、誤った解釈を広めた場合に大きな問題になる可能性があると警告しています。いずれにせよ、ベンターという有名人のゲノム配列をもとにした、本来芸能ニュースになるべきレベルの討論が科学誌でなされているということです。(実際のところ、有名科学雑誌のフロントページの半分以上はゴシップといってよいようなネタですが)もしこのDNA配列が無名または匿名の人であれば、何の議論も起こらなかったでしょう。ベンターのDNAである故にこうしたゴシップめいた議論に花が咲くのです。その記事は私もにやにやして読み飛ばしたのでしたが、そのあとすぐ、イギリスの新聞がジムワトソンのゲノム解析の話を報告していたことを知って、いよいよ可笑しくなってしまいまいた。やはり、有名人の欠点を見つけてやろうと思うのは人の性なのでしょうか。少し前、触れたように、ノーベル賞科学者ジムワトソンは、「アフリカ黒人の知能は遺伝的に悪い」という失言がもとになって、科学者引退に追い込まれてしまったのですが、そのイギリスの新聞によると、ワトソンの公開されているDNA情報を解析したところ、通常ヨーロッパ系白人には1%未満しか見られないアフリカ黒人由来の配列が16%も認められたということで、ワトソンの祖父母がアフリカ系黒人である可能性が高いと結論しているそうです。またアジア人由来の配列も通常より多いらしく、ワトソンはアフリカ系黒人、白人、アジア人の混血である可能性があるということでした。人種が交じり合っている北米や南米では、先祖が黒人だろうと何人だろうと、大した問題ではないと思いますが、黒人蔑視的発言を繰り返していたワトソン自身の何割かが、その黒人由来だとすると皮肉です。いったい、ワトソンは、このニュースをどう聞いたのでしょうか。遺伝学者なら、「人類の共通の祖先はアフリカに始まり、現在の様々な人種に別れた」という説をおそらく支持しているであろうと思うのですが。同じ根から生まれても同じ枝では死ねないということでしょうか。遺伝学者ワトソンも自分の遺伝子情報を他人があれこれ探り回ってゴシップネタにされるというのは気分のよいものではないでしょうね。